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久しぶりの平原は、以前にも増して軽い足取りで歩く事が出来た。山登りやら荒れ道やら洞窟やらを闊歩していくうちに、どうやら僕の身体は無意識のうちに鍛えられていたらしい。持ち運ばなければならなかった重い荷物が綺麗さっぱり無くなったのも、僕の旅が幾分か快適となる要因となっていた。ただし、僕の徒歩移動に限れば、の話である。
「……これっぽっちかよ」
山脈を後にして数日が経ったある日、夕食の席でフォドが落胆の声を上げた。彼が覗き込んでいる自らのお椀には、見るからに薄そうなスープと申し訳程度に浮かんだ二個の肉団子が入っている。
「文句あるなら、あげないわよ」
今日の食事当番だったミレナは素っ気なく応答しつつ、自分の分の汁を啜る。そのぶっきらぼうな態度から、彼女の方にもストレスが溜まっている事は明らかだった。
「いや、食うけどよ」
フォドは慌ててそう返し、自らも質素な食事に手をつけ始める。エリシアは静かに手を合わせた後、箸を手に取った。彼女はこれまで一切不平を洩らしていなかったが、前に比べてだいぶやつれてしまった印象を受ける。恐らく、他の二人に比べて外での野宿に慣れていない為だろう。彼女の目元に浮かぶ二つの隈も、そのイメージを強めていた。
――まあ、無理もないよね。
僕は心の中で、盛大な溜息をつく。グランドドラゴンの親子やメノと別れ、ミレナとフォドが我を取り戻した後、僕達は岩陰に隠している自分達の荷物をどうするか決めなければならなかった。そして話し合いの結果、僕達は荷物を泣く泣く放置する事にしたのだ。流石にもう一度ロルダ山脈の奥地に向かうのはリスクが高すぎるし、何より日数がかかり過ぎるからだ。巨竜に麓まで送ってもらえるという極上の申し出に目が眩んでしまっていたとはいえ、全員が完全に荷物の事を忘れていたのはあまりに不運だった。
二つだけ幸いだったのは、エリシアとフォドの荷物が無事だった事である。彼女とメノだけは自分達の荷物が軽量な事もあって洞窟内でもそのまま携帯していたし、フォドは自分の重要な荷物を全て例の皮袋の中にしまっていた。
しかし、僕やエリシアの荷物や、ローリエンで買い揃えていた物はほとんど全滅してしまった。その中には勿論の事ながら食料も含まれていて、そのせいで僕達はこの数日間、食を細くせざるを得なくなっているのだ。エリシアやフォドの手荷物の中には僅かながら非常食も含まれているのだが、それらは万が一の時に残しておいた方が良い。必然的に、僕達の食事は狩った動物やら植物の採取やらの結果に左右されていた。
そして今日は、食料の調達が全くうまくいかなかった日なのである。
簡素な夕食はすぐに終わり、僕達は焚き火を囲むようにして体を休めていた。空高くには形の整った三日月が浮かんでいて、横切る雲がその光を遮る度、燃え盛る炎の明かりがいっそう強まったように錯覚してしまう。風の流れは穏やかで、時折に虫の歌声が静かな空気に乗って耳に入ってきた。
「そういえばよ」
おもむろに、地面に寝転がっていたフォドが口を開く。
「王都まで後どれくらいなんだ?」
「あ、ちょっと待って下さい」
彼の質問を受け、エリシアがゴソゴソと荷物の中を漁り、愛用の地図を取り出す。紛失を免れた道具の一つだ。ちなみに彼女は所持金も肌身離さず持ち歩いているのでそちらも無事である。尤も、近くに店がない今の状況では最も役に立たない代物なのだが。
「えっと」
彼女は広げた紙面に視線を向ける。
「ロルダ山脈を迂回せずにそのまま突っ切ったので、かなり距離を短縮出来てますから、王都までは後少しってところです。まだ、けっこう歩かなければならないですけど」
「ねえ」
横からミレナが口を挟んだ。
「近くに村とか町はないの?」
「そうですね」
と、エリシアの目線を地図上にしばらくさまよわせた後、
「見回した限りでは一ヶ所だけあるみたいです」
と告げた。その言葉を聞いた途端、フォドがパッと跳ね起きる。
「それって本当か?」
「はい。ちょっとだけ迂回する事になりますけど」
「どれくらい遠回りなんだ?」
「二日、三日くらいだと思います。ここからだと、明後日には到着出来るかなって感じです」
「じゃあ、立ち寄って食い物買おうぜ!」
フォドは僕達の顔を順に見回し、明るい声で提案する。
「少しの遅れなんて安いもんだろ? 死活問題なんだし」
「そうね……」
ミレナは髪に手串で髪をかきあげながら、
「これから先、何が起こるか分からないんだし、備えがあった方が良いと思うわ」
と、同意の言葉を述べた後、
「アンタ達はどうなの?」
話題を振られた僕はあまり考える事もなく答えた。
「僕はその意見に賛成。正直、お腹減ったまま歩くのって辛いし……」
「エリシアは?」
ミレナから訊ねられ、エリシアは小さく頷いて微笑みを浮かべる。
「私もそれで良いです」
全員の承諾を得て、フォドは嬉しそうに両手を宙に掲げた。
「よっしゃ! もう少し我慢すれば美味しい食べ物にありつけるぜ!」




