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「儂の鱗、じゃと?」
エリシアの言葉を受け、グランドドラゴンは不思議そうに目を瞬かせ、そして視線をメノへと移し、しばらくして再び彼女を見やる。
「世話になった恩もある。儂の体の一部をくれてやるのは一向に構わぬのだが……しかしそれはお前ではなく、あの女の望む物ではないのか?」
「確かにそうですけど……」
エリシアは困ったような笑みを浮かべて、
「でも、私が頼みたい事もすぐにはちょっと思い浮かばなかったので」
「ふむ……」
巨竜は期待に満ちた眼差しを自身に向けているメノを一瞥し、しばらく考え込んでいた様子だったが、
「良かろう。それがお前の頼みならな」
と、自らの右腕を急に地面から離したかと思うと、その鋭利な爪で自らの背中を力を込めて引っかく。少しだけ渋い表情を見せたのは、やはり自分の体の一部を剥ぎ取る事に苦痛を感じていたからなのだろう。やがて、何かがちぎれるような音がして、巨竜は自らの大きな腕をぶっきらぼうにメノの真正面へと突き出す。その手の平には茶色い光沢が特徴的な彼の鱗が乗せられていた。彼女は慌てて目当ての物を両手で受け取ると、グランドドラゴンとエリシアを交互に見つつ、
「恩に着るのじゃ!」
と、屈託なくあどけない笑顔を浮かべつつ頭を勢いよく下げた。
――取りあえず、僕達がここへやってきた目的は達成だ。
「でもよ、帰り道どうするんだ?」
会話がひと段落した頃を見計らって、フォドが腕を組みつつ口を開いた。あっ、と僕も含めた全員が短い叫び声を発する。確かにそれは大問題だった。僕達がここまで進んできた通路を戻れば、苦戦を強いられたロックタートルの群れと再び相対する事になってしまう。彼らは標的を洞窟の入り口に返さないよう行動するのだから、僕達の歩く道は恐らく塞がれてしまうだろう。つまり、僕達の退路は阻まれているに等しい状況なのだ。
「……正面突破するのはちょっとキツいかも。アタシ、もうクタクタだし」
「俺もだっつーの」
グランドドラゴンとの戦闘の最中、前線で剣を振るい続けていたミレナとフォドは確実に疲弊しているだろう。二人の体中に残る無数の痣や掠り傷も、繰り広げられていた激戦がどれだけのものかを暗に示していた。となると、二人の力はこれ以上望めそうもない。
「……なるほどな」
訳知り顔で、巨竜が口を挟んだ。
「あやつらのせいで、外に出られないのだろう」
そして巨竜はこの場所についての説明を始めた。ここは元々、彼のような竜族が住み着いていた土地だったのだが、遙か昔に人間の強力な魔術師が住み着いたのだそうだ。人間と関わりを持つ事を極端に避けていた竜族だったが、その魔術師もまた他人と付き合う事が嫌いだった為にこの山脈の奥地までやってきていたのだそうだ。両者が行った話し合いの末、魔術師はこの山に住居を構える代わりに、簡単に人が竜族の元へは行けない仕掛けを施したらしい。それが先のロックタートル達や、僕達が頭を悩ませたパズルだったのである。そして他にも、様々な罠がこの山脈に張り巡らされているらしい。
「そ、それじゃどうやってここを出ればいいのよ」
唖然とした様子のミレナが絶望感を滲ませる口調で言った。それに対し、巨竜はしばらく考え込んだ後、
「ふむ、それなら儂が麓まで連れていってやろう」
と、口を開いた。
「あの、良いんですか?」
「お主へのお礼のおまけじゃ。それに、久々に外の空気を吸うのも悪くはなかろう。さあ、乗れ」
と、グランドドラゴンは自らの尻尾を僕達の目の前に動かす。僕はその動作の意味がすぐには分からなかったのだが、子供の竜がその太い尻尾をつたって父親の背に飛び乗ったのを見て、ようやく理解した。どうやら、ここから登れという事らしい。
グランドドラゴンの背中は見た目と違わずゴツゴツしていて、座るには不便な代わり、手足をかける場所には困らなかった。全員が登り終えたのを見届けてから、巨竜は尻尾をしならせて二度地面を叩いた。そして、ゆっくりと空洞に出来ている無数の穴のうち、一つを選んで入っていく。そこはどうやら上り道のようで、しばらく経つと、僕達は洞窟の中から久しぶりの外へと出る事が出来た。目の前には大空洞に出来ていた裂け目が存在し、眼下を見渡すとロルダ山脈の雄大な自然が目に入ってきた。空が仄かに白んでいるところを見るに、どうやら夜明けが近いらしい。
巨竜は僕達に進む方向を聞いた後、
「よいか、しっかり捕まっておくのだぞ」
と忠告してくる。誰かが返事をする前に彼は勢いよく山の天辺から斜面を下っていった。そして、僕の身体には凄まじい衝撃が加わる。いくら普段の速度が遅いとはいえ、これだけの重量をもった生き物が頂上から止まらず走り続ければ、どれだけのスピードになるか。僕は必死でグランドドラゴンの体にしがみつき、その身から振り払われないように必死の思いで耐え続けた。
そして、太陽が天に昇り朝がやってきた頃、へろへろになった僕達はようやくロルダ山脈を抜ける事が出来たのである。




