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――どうしよう。
退路を断たれ、僕は途方に暮れた。一つパッと頭に思い浮かんだ解決策は、側で震えている傷だらけの子竜を捕まえて、その命と引き替えに僕達全員の身の安全の保証と鱗一枚を要求する、というものだ。けれど、僕は首を振ってその考えを頭から追い出す。そんなあまりに卑劣な真似はやりたくない。それに、たとえ約束を取り付けたとしても、子供を解放した後に相手は僕達に危害を加えるかもしれないのだ。生憎ここは敵のテリトリーで、僕らの退却路にはあの夥しいロックタートルの群が待ち受けている。欲しい物はどんな手でも使って手に入れる人間達だと思われたなら、グランドドラゴンの方も手段を選ばないかもしれない。
なら、どうするべきか。しばらく悩んだ後、僕の脳裏に新たな考えが浮かんだ。それも、先ほどの策よりずっと公明正大な考えである。こちらを怒りと焦りの入り交じった表情で睨みつけている巨竜に対し、僕はすぐに口を開いた。
「ねえ、僕達でこの子を助けられるかもしれないよ!」
途端、相手の顔つきが更に険しくなった。
「儂はいきなり襲いかかってくる相手を信じるような間抜けでは無いわい」
「嘘じゃないよ! 本当なんだ!」
僕は必死で訴えた。
「僕らの中には凄腕の薬売りがいる。彼女ならきっとこの子を治せるような薬を作れる筈だよ」
すると、巨竜は不機嫌そうに大きく鼻を鳴らして、
「フン、あの忌々しい毒薬を投げつけてきた奴だろう」
と、苦々しく口にする。当たり前だが、相当根に持っているらしい。
「確かにそうだけど……彼女は本当に薬の材料に貴方の鱗が欲しいだけなんだ。それに、僕達の中には癒しの魔法を使える人もいる。薬に頼らなくても、きっとこの子を元気にしてあげられる筈だよ」
ピクン、と相手の眉が釣り上がる。その意外そうな表情からみると、どうやら敵対心からの行動ではないらしい。
「治癒魔法……天使の代行者か」
独り言のように呟きつつ、巨竜は両目を閉じてしばらく考え込み、やがて口を開いた。
「ずっと後ろにいた、あの娘か?」
一瞬の間、僕は何を訊ねられているのかよく分からなかったが、僕が口にした人物がエリシアであるか確認を取られていると気づき、すぐに首を縦に振る。すると相手は、
「ふむ……」
と、先ほどよりは幾分か和らいだ声を発した。
「確かに、あの娘からは敵意を微塵も感じる事は無かったな。むしろ、あの毒を浴びせられて苦しむ儂を気遣うような眼差しで見ていた」
未だに目を瞑ったままの巨竜が口にする言葉に、僕は期待の視線を向けずにはいられなかった。
「それじゃあ……!」
「だが」
グランドドラゴンが目を開き、厳かな口調で告げる。
「儂の鱗をやると約束は出来んぞ」
こちらから危害を加えたのだから、仕方ないといえば仕方のない話だ。メノには諦めてもらうしかない。
「じゃあ、僕達の命は助けてくれるんだね?」
相手は一瞬、眉を潜めたが、やがて、
「……まあ、良かろう」
と、ぶっきらぼうに言った。
「勿論、儂の子を助けてくれればの話だぞ」
あれから。僕は洞穴を出てグランドドラゴンの真下を通り、呆気に取られた表情で僕を凝視している全員に事情を説明した。そして、エリシアとメノを子竜の元へと案内し、二人に治療を行ってもらった。幸いにもメノの元に残っていた治療薬が効果を発揮し、エリシアが自らの体力を削って治癒魔法をかけ続けた事も合わさって、しばらく経った後、子竜はすっかり回復した。
「いきなり儂の住処で好き放題暴れ回った事はこれ以上なく許しがたいが」
元気を取り戻した子竜が周囲を走り回っているのを潤んだ眼差しで見守りながら、グランドドラゴンは穏やかな調子で口を開いた。
「……取りあえず礼を言わせてもらおう。人間達よ、感謝する」
「ま、いいって事よ」
「そうね、気持ちだけは受け取っておくわ」
何故か、子竜の治療には雀の涙ほども貢献していない二人が偉そうな口を利いたので、僕は相手が再び怒りだしやしないかと焦った。しかし、巨竜は彼らの言葉に不服を示す事もなく、ただただ楽しそうに遊んでいる我が子を見つめている。どうやら、我が子が助かった事を心底嬉しがっているらしい。
「あの……」
おずおずといった調子で、エリシアが声を掛けた。グランドドラゴンは彼女の言葉に応じ、その視線を向ける。
「ん、お主には本当に世話になった」
「いえ、こちらこそあの子が元気になって良かったです」
でも、と彼女は顔を曇らせる。
「その……あの子の怪我、本当に酷い物でした。一体、何があったのですか?」
確かに、と僕は心の中で彼女に同意した。僕が最初に発見した時、子竜は本当に体中が傷だらけで瀕死の状態だった。もしかすると、あのまま放っておいたら絶命してしまっていたかもしれない。それほどまでに酷い傷跡だったのだ。
エリシアの質問に、グランドドラゴンは一瞬考え込むような素振りを見せた後、苦しそうに口を開く。
「……あの子は、魔物に襲われたのだ」




