19
岩だらけの地面は足場が限定されていて実に走りにくかったが、だからといって立ち止まる事は出来ない。息を弾ませつつ、僕はグランドドラゴンの元へ向かう為、懸命に足を動かす。早くも心臓が悲鳴を上げ始め、胸が苦しくなる。けれど、僕は折れそうになる心を必死で抑え込んだ。
「アンタ! 何こっちに来てんのよ!」
「危ねえぞ!」
近付いてくる僕に気づいた二人が口々に制止の言葉を投げかけてくる。しかし、僕らは彼らの言葉に返事をしなかった。前へと進む事だけで精一杯で、それだけの余裕すら無かったのだ。同じく僕の姿が視界に入った様子の巨竜が、フンと大きく鼻を鳴らす。
「儂に丸腰で向かってくる勇気は買おう……だが、力の違いを見誤ったな! 小僧!」
相手は二人に向けていた前足を両方同時に振り上げる。視線の狙いは明らかに僕だった。恐らく、この場にいる三人のうち、尤も倒しやすいと思われる僕から先に始末するつもりなのだろう。
しかし皮肉な事に、力の違いを見切った事で敵に生じたその油断が、僕が付け入るだけの僅かな隙をもたらしてくれた。
両方の前足を同時に掲げ、僕に振り下ろそうとしているグランドドラゴン。攻撃の準備を取っている今の体勢では、顔の周辺を即座に防御する事は難しいに違いない。
――使うなら、今だ!
僕は走る速度をなるべく緩めないよう努めつつ、ポケットに隠していた小瓶を取り出すと、ありったけの力で巨竜の顔面めがけて投げつけた。
「な、何っ!」
予想外の反撃、そして先ほど食らった苦痛が脳裏をよぎったのか、巨竜の目が大きく見開かれる。敵は今まさに振り下ろさんとしていた両腕を使って顔を庇おうとしたが、時既に遅し。その剥き出しになった恐ろしい牙にぶつかって、小瓶の中身が飛び散る。
「ぐ、ぐうっ!」
どうやら、少なくない量の麻痺薬がグランドドラゴンの咥内に入り込んだらしい。皮膚は頑丈でも、口の中は流石に無防備だったようだ。巨竜は苦しそうな呻き声を上げながら暴れ出す。真下を潜り抜けようとする僕の四方八方をその太い足が轟音と共に踏み潰していき、僕はパニックに陥りながらも一心不乱に走り続ける。
――早くあの穴に逃げ込まないと、死んじゃうよ!
「何やってんのよ! アンタ!」
後ろから事情を知らないミレナが悲痛な声で呼び掛けてくるも、後ろを振り返る暇なんて無い。もう少しで目標の場所に到達しようとした矢先、最後の難関が現れた。僕の目の前で振り回されている尻尾だ。だけど、もうここまで来たら引き返す事など出来ない。
――当たりませんように!
僕は地面をむち打つ尻尾をかいくぐるようにして、穴の中へ滑り込もうとした。途中、僕の右肩を尻尾が掠める。たかが掠っただけとはいえ、その威力は僕は吹き飛ばす程の強烈さだった。
僕にとって幸運だったのは吹き飛ばされた先がちょうど目の前、つまりは穴の中だったという事である。
――やった!
しかし喜んだのもつかの間、すぐに僕は目の前の壁に勢いよく激突した。脳内に無数の星々が散らばったかと思うと、僕の体は重力に逆らわずに背中から地面に落下する。心臓が飛び上がるようなショックが収まってきた後、僕はようやく上体を起こし、未だにクラクラする頭を右手で押さえた。
「イタタ……」
無意識のうちに呟いている間に、だんだんと意識が鮮明になっていく。そして、ひとまずの安心感を噛みしめる余裕が出来た。穴の入り口は小さいので、あの巨竜が入ってくるのは絶対に不可能だと確信出来たからだ。
――僕は何とか、グランドドラゴンを出し抜いてこの穴の中まで入り込めたんだ。
そして、当初の目的を思い出して気が引き締まる。僕が殺される危険を冒してまでここまでやってきたのは、敵がずっとここの入り口に立ちはだかっていた理由を確認する為だ。
頭痛が止んだ後、僕は周囲を見回して、
「あっ」
思わず息を呑んだ。
――あの竜が守っていたものは……。
「貴様!」
空気を震わせるような怒鳴り声が耳に入ってきて、『ソレ』に近付こうとしていた僕は思わず仰け反った。声の方向を向くと、外に憤怒の形相をしたグランドドラゴンの顔が見えた。自身の巨体が邪魔して中に入ってこれない敵は、僕を脅すような低い声に怒りを滲ませる。
「儂の子に手出しをすれば……命は無いぞ!」
そう、巨竜が必死で守ろうとしていたものは『自身の子供』だったのである。その子供は穴の中の隅っこに、弱々しく横になっていて、怯えた表情で見慣れない進入者を見つめていた。その体は血だらけで、あちこちに無数の切り傷が残っている。その痛々しい外見からして、どうやら何かに襲われたらしかった。
――どうしよう。
あまりにその姿が衝撃的過ぎたので、僕は自分がこれからどうすればよいのかすぐには判断出来なかった。穴の中はどうやらこの子の住処のようで、一ヶ所しか他の場所へ通ずる道は無い。そして、その唯一の出入り口は巨竜の頭が塞いでいた。
つまり、僕はこの場所に閉じこめられてしまったのである。




