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「と、とにかくここを離れよう」
僕は二人と共に、出来るだけグランドドラゴンから離れた。側にいる事で危険に陥り、前で奮闘している二人の邪魔になってはならないと感じたからである。
ある程度、戦闘の起こっている場所から遠ざかった所で、メノが悔しそうに口を開いた。
「むう、あの薬はかなりの自信作だったのじゃがのう」
命中してしばらくは効き目があったように思えたが、今では多少のふらつきこそすれ、グランドドラゴンは本来の調子を取り戻している様子だった。小瓶が直撃した左目だけは酷く腫れ上がっているが、行動に支障はないようだ。物理攻撃に対する防御力だけではなく、麻痺毒に対する免疫力もまた優れているらしい。ただ、敵の狙いが不安定になった事で攻撃を避けやすくなり、前線の二人が多少楽に立ち回れるようになったのが救いか。しかし、どれだけ攻撃を当て続けても、その頑丈な皮膚を破るには未だ至っていない様子だった。
「メノさん、他に何か使える物はないんですか?」
「それがじゃの」
僕が訊ねると、彼女は途方に暮れた様子で俯く。その華奢な手には彼女の荷物が握られていた。
「さっきの衝撃波で、中身がだいぶやられての……。どうも、役に立ちそうな物はほとんど残っていないのじゃ。さっき使った麻痺薬のスペアが一本と、その他はうちお手製の治療薬がいくつかくらいかの」
僕はゴクリと唾を飲み込む。彼女のサポートが受けられないとなると、いよいよ頼りになるのはミレナとフォドの二人だけだ。エリシアは疲弊している様子だし、僕は唯一体力に余裕があるとはいえ戦いに出ても足手まといになるだけだ。前のようにカードを渡されていれば良かったのだが、値段が張るので町では調達していなかったのである。
となると、今の僕達に出来るのは、戦っている二人を見守る事だけ。
自然と握りしめられた僕の両手に、行き場の無い力がこもっていく。
「これでどうだ!」
「はあっ!」
掛け声を上げながら武器を振り回す二人の額には玉のような汗がいくつも浮かんでいる。長時間にも及ぶ戦闘のせいで、疲労も相当溜まっている様子だ。僕の隣ではエリシアが祈るような視線を二人に送っている。
だが、一向に状況が好転する事は無かった。二人の連続攻撃を数え切れない程に浴びているにも関わらず、グランドドラゴンは苦しむ素振りを全く見せないおろか、自身が立っているその場から一歩も動かないという有様だ。また、いくら狙いの精度が落ちているとはいえ、身をかわせばかわすほど二人の体力がじわじわと奪われていくのも事実だ。このままでは持久戦に持ち込まれれば持ち込まれる程、数で優勢な筈のミレナ達が不利になっていってしまう。
――何か、弱点はないの!?
僕は必死の思いで、グランドドラゴンの動きを観察する。
「……あっ」
そして、ある事に気づいたのだ。
「どうしたんですか?」
僕の呟きに反応して、エリシアが訊ねてくる。
「あの竜ってさ、後ろを守っているように見えない?」
「後ろ?」
首を傾げる彼女に、僕は人差し指をグランドドラゴンのいる方向へと向ける。一歩も動かない巨竜の後方の壁には、僕達がくぐり抜けてきたような穴が一つ空いていた。そして、敵はその前に立ち塞がるようにして、自身に立ち向かってくるミレナとフォドをあしらうように攻撃している。それも、両前足だけを使い、出来るだけ敵を寄せ付けないように戦っていた。
「なるほど……確かに一理あるかもしれん」
今まで沈黙を保っていたメノが、考え込むように口元に人差し指を当てる。
「考えてみれば、妙じゃの。もう一度あのブレスを放たれれば、うち達はイチコロじゃ。それなのにあれを使わないという事は、息を吸い込む時に出来る隙を危惧しているのかもしれん。戦い方もどこか消極的のように見えるの」
「それじゃ、あの穴には私達に気づかれたくない何かがあるんでしょうか」
「可能性は無しとは言えんの……そうじゃ!」
何か思いついたようにメノは両手をパチンと合わせ、そしてチラリと僕を見た。
「お主、ちょっとあの中に入ってきてくれんかの?」
とてつもない衝撃発言に、僕は思わず飛び上がった。
「ええ!?」
驚きの叫びを上げる僕の右手に、彼女は何かを押し付けるようにして手渡してくる。見ると、それは先ほど彼女が巨竜に投げつけたあの麻痺薬だった。話に聞いていたスペアの一本だろう。
「それを持って、あれに突撃して来るのじゃ。ヤバいと思ったら、迷わず使うんじゃよ」
「え、ちょっと、勝手に決めないで……って」
有無を言わせず僕の背中を前線に向けて押し出そうとするメノ。彼女に抗議の声を浴びせようと後ろを振り返ったところ、僕の視界にエリシアの姿が入ってきた。とても心配そうな表情で、しかし祈るように両手を合わせて僕を見ている。
「すみません、私からもお願いします。このままじゃミレナさんとフォドさんが……」
ふと、前線に視線を移す。そこには強大な敵と懸命に対峙している二人の姿があった。既に両者の足元はふらついていて、武器を握り締めている手も下がり気味になっている。彼女達が既に疲労困憊なのは明らかだった。
二人を、見捨てるわけにはいかない。
「すまんの」
後ろから、申し訳なさそうなメノの言葉が耳に入ってくる。
「足の遅いうちらじゃ、あの穴に入ってしまう前にやられてしまうじゃろう。もう、お主しか頼める者はおらんのじゃ」
決心がつくのに、少しだけ時間が必要だった。
「……分かったよ、行ってくる」
僕は彼女達の顔を交互に見つめた。笑顔を浮かべようとしたが、恐怖のせいで頬の筋肉がぎこちなく動いてしまっていて、実際自分がどんな顔をしているかは分からない。
「……自信はないけど、頑張ってくるよ」
二人の返事を待たず、僕は再び視線を巨竜へと向き直る。受け取った小瓶を服のポケットにしまった後、息を大きく吸い込み、そして一気に吐いた。
――こうなったら、やるしかない!
自分を心の中で励まして、僕は目の前の巨大な敵めがけ、勢いよく地面を蹴った。




