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「魔物の巣窟?」
予想もしていなかった答えに、僕は驚いて瞬きをした。慌てて目を凝らし、ロルダ山脈を見る。遠目からでは鮮明な様子までは分からないが、特別何か異常があるようには思えなかった。少なくとも、どデカい怪物はいない筈だ。どっからどう観察しても、何の変哲もない山である。
「何にもいそうにないけど……」
「外から眺めると、確かにそう見えるけど」
ミレナは人差し指を空に向かってピンと立てた。その様はまるで、子供に常識を解説する大人のようである。
「そうなのは外見だけで、奥にいけばそこら辺に彷徨いているのとは別次元の強力な魔物が住み着いてるって専らの噂なのよ」
「スライムとかゴブリンとかよりずっと?」
「そんな弱小モンスター、比較にするのもおこがましいわよ。アンタじゃあるまいし」
――ズシッ。
そんな音を立てて背負っている荷物が重くなった気がしたのは、きっと僕の精神面が原因だろう。
「それじゃ、山を通るのも駄目ですね」
エリシアは途方に暮れた様子で、
「私達はどうしたら良いんでしょう」
と、手に持つ杖を抱き込んだ。
「……いや、よくよく考えてみると案外良い手かもしれないぜ」
ずっと黙っていたフォドが、独り言のように呟く。すかさずミレナが訊ねた。
「アンタ、本気で言ってるわけ?」
「要は奥に行かなきゃ良いんだろ?」
「ハァ?」
「え?」
「どういう事ですか?」
僕達は三者三様に口を開く。しばらくの間、僕はフォドの口から発せられた言葉の意味が分からずに戸惑った。しかし、彼の言わんとする真意をようやく理解した直後、自然と感嘆の呟きが僕の口から洩れた。
「そっか、あんまり奥にはいかないようにするんだね」
「そうそう、そんな感じだ」
「なるほど、そういう事ですか」
「ちょっと」
顔をパアッと明るくさせて両手を叩いたエリシアとは対照的に、未だに渋い顔をしているミレナが口を開く。僕はふと、いつもの仕返しをしようと思い、彼女を少しからかおうとして、
「あれ、もしかしてミレナまだ分からないの?」
「分かってるわよ!」
――豪快な一発を脳天に食らった。
「痛い……」
「フォドが言いたいのは、あんまり強い魔物がいない場所を選んで迂回しながら登頂するって事でしょ」
激痛に悶える僕を無視するようにして、ミレナは話を再開させる。
「けど、あそこは普通の山と違ってあんまり木が斜面に生えていないじゃない。多分、人が登っていたりしたら目立つと思うわ」
「いや、平地から見えないくらい奥まで行けば大丈夫だろ。結構な広さがある山脈なんだろ?」
「そういう場所、確認するまで安全かどうか分からないじゃない」
「だけどよ、じゃあ他にどうするっていうんだ?」
「それは」
ミレナは言葉に詰まった様子でしばらく視線を宙に漂わせていたが、やがて肩を竦めて溜息をついた。
「分かったわ。それしかないみたいだし」
「私も異存ないです」
「僕も」
「それじゃ、決まりだな」
四人の意見が一致して、僕達の進路は決まった。目指すはロルダ山脈だ。
「……ところでよ」
しばらく黙々と目的地へ進み続けていた後、おもむろにフォドが口を開いた。先ほどとは打って変わった、沈みきった声色である。僕と同様に体中、汗びっしょりだ。
「俺達、いつになったら荷物持ちを交代出来るんだ?」
「交代無しよ」
あっさりとした口調でミレナが答える。
「この前から、というか俺がお前らと旅するようになってから、ずっとじゃねえか!」
「何よ、か弱い女の子達にそんな重い荷物背負わせるつもり?」
「都合の良い時だけ女の子ぶりやがって……」
ボソッと呟かれたその言葉に、彼女の両眼がギラリと異彩を放つ。
「何か言った?」
「別に」
「あ、そう」
それっきり両者の会話は途絶え、フォドは僕に話題を振ってきた。前を行く女性陣達には聞こえないように、小声でだ。
「もしかして、俺がいなかった頃はお前一人でこれ全部運んでたのか」
「うん、そうだよ」
受け答えしながら、僕は過去の苦難を思い出してげんなりとしていた気分が更に落ち込んだ。彼の方はというと哀れみの表情を浮かべて、
「マジかよ……相当キツかったろ」
「ミレナ一人の時はまだマシだったんだけどね」
「エリシアちゃんが助けてくれたりしなかったのかよ」
「時々、心配してはくれてたんだけど……ミレナが『ただでさえひ弱なんだから、少しは鍛えないと』って」
その他に思いついたエピソードを話していくうちに、フォドの顔つきはだんだんと強ばっていった。
「おいおい、鬼じゃねえか。あの拳骨グリグリ女」
「ちょっと、二人で何話してるの?」
いきなりミレナが振り向いて訊ねてきたので、僕は心臓が跳ね上がるのを感じた。彼女は妙に鋭い所がある。
「べ、別に何でもないよ」
「そ、そうそう。別に何でもないぜ」
ミレナは僕達の受け答えが不自然だと思ったのか、困惑の表情を浮かべていたが、
「……変なの」
と呟き、再び前を向く。僕達は会話の内容を悟られずに済んだので、ふうと安堵の息をついた。




