20
少年が二人の鎖を全て外し終えた後、立ち上がって大きく背伸びをしながらミレナが口を開いた。
「それで、今から脱出するわけ?」
「うん、そうだよ」
「警備の人とか、いないんでしょうか」
「夜明けだから、ほとんどの人間が寝てる。逃げるなら今のうちだ」
小声で話をしつつ、僕らは音を立てないよう慎重に扉を開く。そして、その陰から外を覗いた。薄暗い廊下に人影は見当たらない。
「よし、行こう」
少年の合図で僕達は監禁部屋を抜け出す。抜け出したのがバレないように扉を閉めてから、僕達四人は忍び足で進み始めた。角を右に曲がり、左に曲がり、そしてまた右に曲がる。そんな事が何回も続き、女性達はだんだん心配になってきたようだった。
「ねえ、随分と入り組んでるわね」
「迷ったりしないでしょうか」
小声で囁き合う二人。僕は安心させようとして口を開いた。
「大丈夫だよ。僕は道を覚えてないけど」
「ええ?」
しかし、どうやら逆効果になってしまったらしい。エリシアの顔はますます曇り、ミレナは慌てたように顔をひきつらせる。
「なんでそれで大丈夫だって言えるのよ。しかもそんな自信満々に」
「だってほら、迷った様子じゃないし」
僕は先頭の少年を目で示す。彼は後ろを振り向かず、ただ黙々と前を向いて進んでいた。その様子を見て、ミレナは肩を竦める。
「まあ、確かにね」
その時、急に少年が立ち止まった。危うくぶつかりそうになり、僕達はすんでのところで足を止める。
「ちょっと、なんで急に止まるのよ」
「何かありましたか?」
女性達が心配から声を掛けるも、少年はすぐに反応せず、しばらくずっと突っ立っていた。やがて、彼はゆっくりと首を動かしてこちらを振り向く。その顔は少し青ざめていて、困ったような笑みを浮かべていた。
そして、彼はあっけんからんとして言い放ったのだ。
「……すまん、迷った」
固まりきった僕達に対し、ハハハと乾いた笑い声を上げる少年。しかし、やがて一人の女性の堪忍袋の緒が切れたらしく、怒りを爆発させた。
「何が『ハハハ』よ!」
押し殺した声を上げつつ、ミレナは少年に近づくと握り拳で彼の頭を両側からグリグリと押した。そしてそのままブンブンと振り回し、彼は痛みと揺れのせいか、その両目をグルグルと回し始める。
「何で道も分かんないのにズンズン進みまくったのよ!」
「間違ってたらアイツが教えてくれると思ってたんだって!」
――ギロッ。
そんな効果音の幻聴と共に、ミレナの鋭い両眼が隣の僕へと向けられる。僕は背筋が凍り付くような悪寒を感じ取り、
「うぎゃあああ」
彼女に怒りの矛先を向けられ、彼に続いて酷いお仕置きを喰らった。僕の脳内を無数の星が砕け散るような衝撃が襲う。
「アンタ達は揃いも揃って! 帰り道の事くらい考えときなさいよ!」
「ご、ごめんなさいいいい」
「ミレナさん、落ち着いて下さいっ」
「おい」
朦朧とする意識の中に響いたのは、明らかに大人の声だった。ぐちゃぐちゃになっていた脳内がまるで冷水を浴びせられたかのように覚醒し、それとほぼ同時にミレナの攻撃がピタッと止んで、僕はようやく強烈な頭痛から解放された。僕は高まりきった緊張の中、視線を声の聞こえた方向へと移す。そこには僕達の前に見張りをやっていた男の姿があった。
「お前ら……その小娘共の仲間だったんだな!」
顔を怒りに歪めると、男は声高に叫んだ。
「誰か! 誰か来てくれ! 小娘共が逃げ出した!」
「やべえ、走るぞ!」
少年の掛け声と共に、僕達は男とは別の方向に向かって駆け出した。
しかし。
「追えー!」
「逃がすなー!」
すぐさま他のごろつき達に進路を塞がれる。エリシアが悲痛な声色で叫んだ。
「通れないですよ! どうしましょう!?」
「こっちだ! 急げ!」
少年の指示に従い、僕達はまた別の道を走り始める。だが、またもや別の男達が僕達の目の前に現れた。そして、またしても僕達は方向転換を強いられる。
「そこだ!」
「いたぞー!」
「もう! これじゃキリがないじゃない!」
果ての見えない逃走劇の中、ミレナが苛ついたように叫ぶのが耳に入ってくる。しかし、誰も彼女の言葉に反応しようとはしなかった。誰もがひたすら足を動かし続けるだけで精一杯だったのだ。
だが、人の体力は無尽蔵ではない。
「キャアッ!」
恐らく既に限界だったのだろう。小さな悲鳴を上げて、エリシアが転んだ。
僕達はすぐに歩みを止め、彼女の元へと駆け寄る。
「エリシア、大丈夫?」
心配そうなミレナの問いかけに、エリシアは涙ぐんだ。
「ごめんなさい……私のせいで」
彼女の言葉に僕はハッとなり、周りを見回す。既に四方八方の通路はごろつき達で埋め尽くされている。僕達は今や、完全に包囲されていた。
「ふん、ようやく追い詰めたか」
勝ち誇ったような声と共に、一人の男が僕達に近づいてきた。長身で筋肉質、更に身の丈程もある大剣を背負っているその風貌は並の人間なら迫力を感じずにはいられないだろう。銀色の短髪の下、両目に宿る残忍な光を見て、僕は自らの血管に冷たい氷が流れ込むような感覚を抱いた。
そして、僕は恐怖に歪む心の中でこう直感したのだ。
――この男がごろつき達のボスなんだ、と。




