4
「どんな敵が待ち受けているんだろう……」
僕は恐々と階段を上りきる。前に一度だけ訪れた事のある場所だったが、あの時はゴブリンに追いかけられていて周囲をゆっくりと見渡す余裕は無かった。ぐるりと視線を一回りさせて様子を確認すると、自分の真後ろに立て札が存在している事に気がついた。
「あれ、ここにもあったんだ」
僕は近づいて文字を読む。
『ちょー重要な掲示板! その3』
「やっぱり、なんだか軽いなあ」
僕は内容に目を通した。
『ここまで辿り着いた愛しの君へ。
地下九階、到達おめでとう!
ゴブリンとスライムには何とか対処出来るようになったみたいだね。ただ走って逃げてきただけかもしれないけど。
さてと、ここでかなり重要な情報を教えるね。
これから先、君が到達した階段の部屋には必ず掲示板がある。そこは君の世界で言うセーブポイントだ。掲示板に一度でも触れておくと、何らかの理由で倒れた後、十階の小部屋では無く最後に触れた階段部屋に戻される。つまり、わざわざ地下十階からダンジョン攻略をやり直さなくて済むわけだ。どんどん活用してね。
尤も、そんな便利な場所が存在するのはこのダンジョン中だけだから、それは肝に命じておいてほしい。
話は変わるけど、この階から登場する新たな敵について少しだけヒントを与えるよ。
ソレはとてもすばしっこいんだけど、とってもひ弱。一匹だけなら時間をかければ君でも楽に倒せるだろうね。一匹だけなら。でも、数が揃うと危険だよ。楽に進みたいのなら、確実に攻撃を命中させる技術を身につける事だね。
それじゃ、地下八階目指して頑張って!
追記
「その3」という数字でもしかしたら首を傾げているかもしれないけど、もし気になるなら一度
下まで戻ってみて。「その2」は地下十階に存在してるから。』
「え」
内容を読み終えた後、僕は愕然となった。
「もしかして、この前にこの掲示板に気づいてさえいれば、こんなに手間をかけなくても済んだんじゃ……」
追記が気になって下に戻っていたかもしれないが、それにしたって上手にやれば、先ほどのような面倒作業は省略出来たかもしれない。僕はがっくりと肩を落とす。
「いやいや、ガッカリするより先に掲示板の内容をしっかりと考えよう」
気を取り直してもう一度、文章に目を走らせる。
「取りあえず、触ってみようかな」
立て札に手を伸ばす。指先が触れた途端、掲示板は一瞬だけ金色に輝いた。どうやら、これで倒された場合、ここまで戻る事にはなったようだ。
「じゃあ、続きだけど……新たな敵かあ。数が揃うと危険って事は、ゴブリンみたいに集団で行動するのかな? でも、一匹だけなら僕でも倒せるみたいだし、彼らよりは随分と楽に対処出来そうだけど」
しかし、彼らとは違って地下九階から出現するという事がどうにも気にかかる。地下十階の立て札には確か、上に進むにつれて手強い敵が増えると書いていた。つまり、新しい敵はゴブリンよりも格上という事になる。
「油断だけは絶対にしないようにしないと」
僕は自分の呟いた言葉を深く肝に命じた。
「追記に書いてある二つ目の掲示板はもう見つけてしまったし、一通り情報は纏め終わったから先に進もう」
僕は階段部屋を後にした。
「んー、あまり下と変わらないな」
しばらく探索をして、僕はそんな感想を洩らした。時折モンスターと出くわすが、ゴブリンとスライムばかりで肝心の新敵とやらには未だ遭遇していない。ダンジョン自体の構造も地下十階よりは少し広いといった印象以外、変わった様子は見られなかった。岩と土で出来た壁や床にも目に映る限りでは変化が無い。このままだと、けっこう楽にこの階は突破出来るかもしれない。
「んー、早く見つからないかな、階段」
僕がそう呟いた時だった。前方のT字路を素早い影が横切った。
思わず、体に自然と力が入る。影のサイズは丁度、僕の足首までくらいだ。かなり小さい。もしかすると、あれが例の敵なのかもしれない。
僕は警戒しつつも、T字路に出た。
「チュー」
「……え?」
気の抜けるような鳴き声に思わず拍子抜けする。
「ネズミ……?」
そう、影の正体は小さなネズミだった。毛は灰色で、僕の記憶の片隅に僅かながら残っている面影と、全く瓜二つである。
「チュー、チュー」
――あんまり、怖い生き物じゃなかったような気がするんだけどなぁ。
けれど、敵である事には変わりない。僕は手に持っていた木の棒を構えると、
「えいっ!」
目の前のネズミめがけて振り下ろした。しかし、外見に違わないすばしっこさで、ネズミは軽々と身を避わす。
「チュー、チュー」
「それ!」
「チュー」
「えいっ!」
「チュー」
「ていっ!」
「チュー」
「……ヤバい、ぜんぜん当たらないよ」
幾度となく攻撃しても、当たらないのでは意味が無い。そのまま放置しようかとも考えたが、このように耳元で鳴かれたのでは、近くにいるスライムやゴブリンに気づかれてしまうかもしれない。たとえ木の棒を使って転ばせるにしても、挟み撃ちにあえば万事休すだ。
「早く倒してしまわないと!」
何度も何度も棒を振り回す。しかしターゲットは軽々なステップで身を翻しては挑発するように鳴いた。
「チュー、チュー、チュー、チュー」
「……こんのぉ!」
怒りに任せて、僕は力の限り木の棒を振り下ろした。速度がついたせいか、運良く僕の攻撃は標的の胴体へと強烈に命中した。
「チュ!?」
「やった! 当たった!」
小柄な体では流石にひとたまりも無かったらしく、ネズミは壁に勢いよく飛ばされ、ぐったりと床に倒れた。
「何とか、倒せたよ」
掲示板に書いてあったように、一匹だけなら恐れるに足らないようだ。これなら再び違う個体に出会っても倒せるだろう。
僕はネズミに背を向けて通路を歩きだそうとする。その時だった。
「チュー」
「え?」
僕は振り返り、床に倒れているネズミを確認した。確かに気絶しているか、息絶えているかのどちらかに見える。ならば、今の微かな声は幻聴だったのだろうか。再び前を向いて歩きだそうとする。
「チュー」
「チュー、チュー」
「チュー、チュー、チュー」
「……まさか」
耳に響いてくる鳴き声と共に、今度は小さな地鳴りまで感じる事が出来た。恐る恐る、振り返る。
すると、夥しい数のネズミ達が僕めがけて突撃してくるのが見えた。
「う、う、うわああああ!」
僕は猛ダッシュで逃げ出す。どうして、あんな数のネズミがいきなりやってきたのか。息を切らせながら考える。多分、先ほど僕が倒したネズミの声のせいだ。倒すのに手間取ったせいで、奴の発した声に仲間達が気づいたのだ。もしかすると、あの声は助けを求めるようなニュアンスを持っていたのかもしれない。
「それにしても……多すぎでしょ!」
速度を落とさずに、後ろを確認する。ざっと見ただけでも、百匹以上はいる。いくらが何でもこんな数を相手にしていたら、倒しきるまでに再びぞろぞろと応援がやってくるかもしれない。
――いや、もうやってきていた。
「わっ!」
僕は十字路で立ち止まる。前、後、左、右。全ての方向から途方もない数のネズミ達が僕めがけて猛スピードで距離を縮めてくる。逃げ道はもう、無い。
「もう、こうなったら……うわあああああ!」
僕はがむしゃらに木の棒を振り回して前方めがけて突進した。何十匹ものネズミ達を倒す事には成功する。
――しかし、何百匹も何千匹も押し寄せてきたら雀の涙でしか無い。
「チュー!」
「チュー! チュー! チュー!」
「チュー! チュー! チュー! チュー! チュー!」
「うわあああああああ!」
ネズミ達が僕の体を隅々までかじり尽くそうと歯を剥き出しにして噛みつく。僕はあらがう術も持たないまま、意識が途切れるまで終わりのない激痛に苛まれ、体を悶えさせる事も許されないまま途方もない苦しみを味わったのだった。