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「なんだよ……これで殴っても焼け石に水じゃないか」
いつもの小部屋まで強制送還された僕は、床を背に寝そべって愚痴を吐いた。手に持っていた木の棒を何となく振り回す。掲示板に書かれていた「殴るだけなら君のコブシより数段マシでしょ」という皮肉を思い出し、心が怒りで膨れ上がる。けれど、内容は事実であったから、結局は情けなさが次第に押し寄せてきて盛大な溜息が洩れ出てしまった。
「とにかく、このままじゃいつまで経ってもこの階すら悠々と突破出来ないよ」
何か、策を練らなければならない。まだ地下十階なのにこんなに手こずっていたら、地上に脱出するのは一体いつの事になるやら。そろそろ、せめて一階層くらいは攻略してしまいたい。
「取りあえず、幸運だったのは空腹が収まったことだよね」
そう。意図していなかった収穫である。今までは気がつかなかったが、一度倒れると疲労だけでなく空腹感もリセットされるらしい。つまり、餓死しても心配はいらないわけだ。そんな状況には陥りたくないけれど。
頭を小さく振ってネガティブな想像を頭から追い出し、僕は回していた腕を止めて木の棒を見つめる。
「これがあるという事が今までとの大きな違いなんだけど……戦闘には使えないしなあ」
僕がこの棒で敵を殴ったとしても、致命傷はおろか有効なダメージも与えられない事は先ほどの戦いでよく実感させられていた。
「となると、何か別の方法で役立てなきゃいけないんだけど、うーん……」
その使い道がどうしても思い浮かばない。僕は長い時間、ずっと考え込んでいたが、良い発想はなかなか思い浮かばない。
「ゴブリン達の持っている棍棒を奪って使おうか……でも、あれって食らった感じだと結構重いよなあ。僕が使っても重荷にしかならないような気がする」
僕の力じゃ上手く扱いきれない。
「ひたすら走って階段まで辿り着こうか。うーん、でもこの前みたいに追いかけられたらジリ貧になっちゃう。スライムとかにだって注意しなくちゃならないし」
地上まで強行突破しきる前に走り疲れてしまうだろう。
「話し合いで平和的に解決して争わないように……いや、まず言葉が通じないから無理だよね」
頭で無理だと分かっている事を口にしてしまうくらい、八方塞がりだ。
「せめて、足止めぐらい出来れば良いんだけど……あれ?」
僕は何気なく呟いて、そしてある事に閃いた。
「足止め……足を止める。それならもしかして」
僕は再び木の棒に視線を移し、そして自然と口元を綻ばせた。
「それなら、出来るかもしれない!」
あれから。僕は階段のある小部屋を直接には目指さず、まずは地下十階を探索していた。理由は一つ、ちょうど良い実験台を探す為だ。
「ゴブリン一匹、ゴブリン一匹、どこかにいないかな?」
呟きながら通路という通路を歩き回る。会いたくない時にはかなりの頻度で鉢合わせするのに、いざ遭遇したくなると見かけないものだ。
「根気が大事、根気が大事っと……」
しばらくして、僕はようやく一人っきりのゴブリンを発見した。ターゲットはとある小部屋の中央で鼻提灯を揺らしながら眠っている。まずは起こさなければならない。
「おーい! 起きろー!」
「ゴブッ!?」
辺りに響きすぎないように細く叫びながら木の棒で岩をガンガン叩くと、ゴブリンは飛び上がりながら目を覚ました。そして部屋の入り口に顔だけ出している僕の存在に気がつくと、
「ゴブー!」
と棍棒を振りあげながら突進してくる。
――しめた!
僕は通路に引き返してしゃがみ込み、足音からタイミングを見計らって、木の棒をちょうどゴブリンの足ほどの高さに突き出した。
案の定、ゴブリンは木の棒にまんまと引っかかり、
「ゴブッ!?」
という小さな悲鳴を上げながら勢いよく地面に頭をぶつけた。すかさず僕は彼が手から離した棍棒を両手で拾う。やはり結構な重さだ。僕が軽々と持ち運ぶのは無理だろう。けれど、それでも使い道はある。僕は素早くそれをゴブリンの頭へと勢いをつけて落とした。
「ゴ……ブ」
脳天に棍棒が直撃すればやはり堪らないようで、ゴブリンは泡を吹いて意識を失った。それを見て、僕はガッツポーズせずにはいられなかった。
「やったあ!」
木の棒を使ってゴブリンを転ばせて気絶させるという僕の作戦は大成功に終わった。
それからは、今までよりはずっと楽な探索になった。ゴブリンが集団で移動していればひっそりとやり過ごし、逆に単独であれば適当な場所におびき寄せて気絶させる。少々骨の折れる作業ではあるが、決まれば確実に敵を無力化出来る唯一の方法なのだから致し方無い。
「最初はどうなるかと思ってたけど……これなら何とかいけそうだ」
目的の部屋まで辿り着いた頃には、今までとは違い周囲に敵の気配は全く無かった。
目の前に存在する階段を目にし、僕は歩みを止める。ようやく、ここまで来れた。けれど、まだまだ一階層を攻略しただけに過ぎない。この上には更に未知の敵がいる事だろう。
――でも、これは僕にとって大きな一歩だ。
覚悟を決めて、僕はゆっくりと地下九階への階段を上っていった。