19
アイスベアーを倒したおかげか、出口を塞いでいた氷壁は随分と脆くなっていた。僕達は奴の死体が残ったままの部屋を後にして、一本道の通路を進んでいく。目的は勿論、放置してままになっていた宝箱の山を開く為だ。
「おったか~ら! おったか~ら!」
あれだけの激闘を繰り広げたにも関わらず、ミレナは意気揚々としている。どんなアイテムが入手出来るか楽しみで仕方がないのだろう。はしゃいでいる彼女の姿を眺めていると、疲れはてた僕の心も少し和まされた。
「凄い物が手に入ると良いね」
「凄い物というよりは、金目の物ね」
「売る気まんまんなんだ」
「そりゃそうよ。せっかく町に行っても、宿に泊まれなかったら意味無いんだし」
彼女と色々な事を話していると、あっという間に宝物庫の入り口に到着した。
「さて、早速……え」
元気な声が途切れ、彼女がその場に立ち尽くす。それは僕も同様だった。目の前の光景に絶句してしまったのである。
何しろ、宝箱のほとんどが消失していて、ボロボロの黒マントを羽織った人物が残りの箱も次々に開いていたのだから。
「んー、大量大量」
楽しそうに鼻歌を歌いながら作業に勤しんでいるのは、少年だった。恐らく僕やミレナとそんなに違わない年齢だろう。黒い髪の毛がツンツンと逆立っているのが印象的で、快活そうな顔つきをしている。ほっそりとした体つきをしているが腕や足の筋肉は引き締まっていて、その風貌は俊敏そうなイメージを僕に抱かせた。衣服の下から覗ける素肌にはいくつもの切り傷が浮かんでいて、平穏無事な人生を送ってきたようには思えない。腰には短剣を差していて、彼の横には大きな皮袋が置いてある。ここで発見した戦利品はあの中にしまってあるのだろう。
僕達は茫然自失で彼を凝視していたのだが、しばらくして相手もその事に気がついたようだった。
「ん?」
と振り返り、僕らの姿を確認する。すぐさま、表情に人懐っこい笑みが浮かんだ。
「ああ、アンタ達か」
初対面の筈なのに、少年は気兼ね無い口調で声をかけてきた。傷だらけの僕達を交互に見つめて、
「その様子だと、無事にあのシロクマから逃げられたんだな」
と、あっけんからんに言い放つ。僕より一足先に硬直が解けたミレナは眉をひそめて、
「もしかして、あの悲鳴を上げたのはアンタ?」
と棘のある声色で質問した。
「まあね」
彼は肩を落として深い溜息をついた。
「はぁ。あの化け物にはこれまでにも散々手こずらされたんだよな。そこにあった行き止まりで頭を悩ませてたらいきなり現れてさ。危うく首を跳ねられる所だったぜ。一階に降りてもまだ追いかけてきやがるし」
「もしかして、あの時クシャミしてたの、君?」
少年の饒舌な説明に割り込んで、僕は訊ねた。
「あ、やっぱり聞こえてたのか」
少年は苦笑いを浮かべてツンツン髪を手でいじる。
「一旦引き上げて作戦を練ってたら、ちょうどアンタ達がやってきてさ。これは使えると思ってちょっくら様子を見てたわけ。案の定、意味不明な暗号を解いてくれて、シロクマ野郎も引き付けてくれて大助かりだったぜ。サンキューな」
「ちょっと待って」
鋭い口調で口を開いたミレナの額には青筋が浮き上がっている。
「それじゃあアンタ、アタシ達を囮に使ったってわけ!?」
「ご名答~!」
怒りを叫びに滲ませた彼女に対し、少年は大袈裟に声を弾ませて両手を叩いた。パチパチ、という拍手の音が静かな部屋内に木霊する。
――僕の横で、ミレナのどこかがプチッと切れる音がした。
「こんの盗人があ!」
一気にダッシュして、彼女は生身の人間に向けて御自慢の刃を降り下ろす。
「うわっと!」
少年はいきなりの攻撃に仰天とした様子だったが、その行動は素早かった。置いてあった皮袋を掴み、大きく跳躍して彼女の斬撃を避けると、そのまま遠くの地面へ着地する。彼女がアイスベアーとの戦いで疲弊していたとはいえ、勢いよく繰り出された一撃を軽々と回避した身のこなしはとてもあざやかだった。
「いきなり攻撃してくる奴があるかよ」
困惑の表情を浮かべながらも冷めた態度を取る少年に対し、血が頭に上りきったミレナはカンカンだった。
「なら今すぐに袋の中身を渡しなさいよ!」
「それは無理な相談」
「元々アタシ達が最初に見つけたのよ!」
「見つけただけだろ?」
「う……」
ミレナは言葉に詰まっている。どうやら反論が頭に思い浮かばないらしい。それは僕も同じだった。確かに僕達は宝を見つけただけなのだ。
――もう、諦めた方が良いんじゃないかな。
僕は心の中で呟いた。腹は立つが、少年の言い分は至極正当であるように感じる。せめて、残っている宝箱を貰えるように交渉するべきではないかと僕は思った。尤も、残りは一つしか無いのだが。
しかし、彼女は諦めていない様子だった。何か閃いたように手をポンと叩いたミレナは宝物庫の入り口へと向かい、そこで仁王立ちになる。そして彼女はニヤリと笑った。
「アンタが宝箱の中身を渡さないと、ここ通してあげないから」
「……おいおい、どっちが盗人だよ」
「知らないわよ! さっさと寄越しなさいよ!」
呆れた様子の少年に、ミレナは歯を剥き出しにして怒鳴りつける。
――止めなよ、こっちが悪者じゃんか。
そう彼女を諫める勇気は無かった。
しばらくの間、無言の睨み合いが続いた。彼女はいつまで経っても折れる様子を見せす、少年は深い息を吐く。
「あーあ、本当はこれ使いたくなかったんだけどな」
独り言のように呟くと、彼は懐からある物を取り出した。マジックカードだ。先ほどまで僕が持っていたそれとは違い、紫色をしている。
何が起きるか分からず、僕は身を強ばらせた。しかし、ミレナの方はそのカードがどのような効果を持っているか知っていたようだ。
「……あっ!」
そう叫んで、彼女は彼めがけて走り出す。その様子を見て、少年は愉快そうに笑った。
「それじゃ、さよなら~」
次の瞬間、彼の姿は煙のように消失し、その首筋に伸ばされたミレナの手は虚しく空を切った。