13
「こ、これからどうするの」
隠れるには打って付けの部屋に身を寄せて、途切れ途切れの息をだんだんと落ち着けさせながら、僕は彼女に訊ねた。
「あんなのに付きまとわれたらマズいよ。一旦、ここを出た方が」
「そう言うけど、アイツがいるのは出口側じゃない」
僕は唾を飲み込んだ。確かにそうだ。今まで辿ってきた道の記憶を辿ると、アイスベアーを撒いたのは僕らが唯一知っていた入り口へと繋がるルート上だ。けれど、そこを通ると奴に再び遭遇する確率は絶対に高い。相手の彷徨く場所を通るリスクを考えると、出口へ続く別の通路を探した方が良い筈だ。
となると、真っ先に浮かぶ解決案は。
「……先に進んで、戻れる道を探す?」
「まあ、そうなるわね」
彼女は苛立たしげにオレンジ色の髪の毛をいじる。
「あのさ、あの熊ってミレナでも本当に倒せないの?」
「逃げてる時に言ったじゃない。分が悪いって」
「でもさ、二回くらい敵の攻撃防げてたよね。一回くらい、ダメ元で挑戦してみたら?」
「アンタ、アタシに死ねって言ってるわけ?」
途端に彼女の目つきが険しくなる。僕は慌てて弁明した。
「い、いや。そういうわけじゃなくて。ただ、試してみるのも良いんじゃないかって」
「あのねぇ」
彼女は両手を腰に当てて、強い口調で話し始めた。
「死んだらやり直し、みたいな事を前も言ってたけど、そういう考え方は甘いわよ。そりゃ、アタシだって修行の身だし、あのデカ熊とは戦ってみたいって思ってるの。けど、満足に逃げ道も確保出来ない所で、後ろにいるアンタを庇いながらじゃ分が悪すぎるわよ。アタシがアイツに気を取られている間に、他の魔物がわらわら群れてきたらどうするの? そうなったらもうお終いよ。死んだらそれっきりなの。もう少しそういう自覚を持ちなさいよ」
一気にまくし立て、彼女はキッと口元を十字に結んでそっぽを向く。彼女の辛辣な言葉の数々は僕の心に深く突き刺さった。しかし、否定は出来ない。僕は意気消沈して俯く。僕が戦う彼女にとってお荷物になっているのは本当の事だし、認識だって甘かったと思う。最初に探索したダンジョンとは違って、この世界では死んだからと言って生き返る事は出来ないのだ。『死んでも構わないから取りあえず試してみる』というやり方は最早通用しない。
――もしかすると、あのダンジョンが高難易度だったのは、僕がこの世界で簡単に死なないようにする配慮だったのかもしれない。
掲示板に書かれていた『試練』の二文字がふと頭をよぎる。
「ちょっと、いつまでしょげてんのよ」
彼女の声に気づき、僕は頭を上げる。ミレナは頬を膨らませつつも、それでいて少し心配そうな表情で部屋の入り口に立っていた。
「いや、その」
口にするべき言葉が見つからず、僕があたふたしていると、やがて彼女は強く息を吐いた。
「別に反省しろって言ってるわけじゃないわよ。これから気をつければ良いの」
さぁ行くわよ、と彼女は返事も待たずに通路へと出ていく。僕は慌ててその後に続いた。彼女に追い付いた後、僕はおずおずと話しかけた。
「あの、ミレナ」
「何よ」
「さっきはごめん。その、戦ってみればとか言って」
「……もう」
彼女はしょうがないとでも言うように笑みを洩らした。
「だから謝らなくていいって言ったのに。なんかしんみりしちゃうじゃない」
「でも」
「分かってる。だからそれはもういいの。とにかく、死んだらそれっきりって事はしっかり頭に入れておいてよ」
「……うん」
なるべく目立たないよう、足音を殺しながら探索を進めてく。モンスターと遭遇した場合も、彼女は迅速に敵を処理した。
「それにしても、不思議ね」
長い通路を歩きながら、ミレナが呟く。
「不思議って?」
「アイスベアーがどうしてこんな場所にいたかって事」
「群れとかとはぐれたんじゃない? それでここに迷い込んだとか」
僕は思いついた推論をそのまま口にした。彼女は神妙な顔つきで首を傾げる。
「氷の魔力を浴びた魔物は普通、雪山とか寒い所に住んでるものなのよね」
「そうなんだ」
イメージ的には合ってるな、と僕は何となく感じた。
「だから、アンタの言うようにはぐれた個体だとしても、ここら辺ってそんなに寒い場所じゃないし。やっぱり何か違和感があるのよ」
ふと、ミレナと出会って最初の日に彼女が教えてくれた知識を思い出す。
「そういやここ、大陸の南側って言ってたよね」
「そう。だから比較的、気候は温暖なのよ。雪は冬に少し降るくらいだって聞いてるし」
「言われてみると、なんか気になるね」
「不思議でしょ? ……あら」
ある部屋の前で立ち止まった彼女が、目を見開いて中を覗いている。
「どうしたの?」
「階段がある」
「え……」
僕は彼女の隣まで移動して、部屋の様子を確認する。確かに彼女の言う通り、そこには二階へと続く階段が存在した。アイスベアーと出会う前まで、僕らが必死になって探していた場所だ。しかし、今となっては手放しに喜ぶ事も出来ない。
「ミレナ、どうする?」
彼女はしばらく考え込んだ後、口を開く。
「……取りあえず、上がってみるわよ」
「アイスベアーはどうするの? 出口は?」
「上に行けば、ひとまずは安心でしょ。あの魔物が一階を根城としてるなら、階段使って上ってくるなんて事はそうそう無いだろうし。アタシ達もゆっくり休息を取る必要があるし、そういう場所が見つかるかもしれない」
勿論、もっと強い敵がいるかもしれないけどね。最後に彼女はそう結んで、固く口を閉じて階段の先を凝視していた。




