12
「階段、見つからないね」
通路を歩きながら、僕は前を行く彼女に話しかけた。結構な時間を探索に費やしているのだが、一向に二階へと辿り着く事が出来ない。建物の中は思っていたよりもずっと広大だった。
「まあ、虱潰しに探していけば、いつか見つかるでしょ」
ミレナの方は気楽な調子である。こういった冒険にはきっと慣れているのだろう。
「宝箱の一つでもあれば、気持ちも変わるんだけどねー」
と、近くの部屋に入ってキョロキョロと辺りを見回す。
「どこにも見当たらないね」
「一つくらい落ちてても良さそうなんだけど」
「誰かが、取っていっちゃったのかな?」
僕はダンジョンに入る前に、聞いたくしゃみの音を思い出した。
「そうかもねー。モンスター退治はやってくれてないみたいだけど」
と、ミレナは頬を膨らませる。小部屋を出ていく彼女の後を、僕は松明を両手で大事に握りしめてついていった。
行き止まりにぶつかって引き返し、道中で出くわしたスライムを彼女が無造作に踏み潰し、見かけた小部屋は片っ端からチェックして、それでもなお階段はおろか宝箱すら見つからない。
「ねえ、そろそろ休憩しない?」
とある部屋の中、足が張ってきた僕がそう提案すると、
「しょうがないわね。じゃあ少し」
彼女はそう言って、近くの壁に寄りかかって座り込んだ。ホッとした僕は背負っていた荷物を石の地面に置き、その横に松明を横たえる。途端に体が羽が生えたように軽くなった。そして彼女の隣に腰を下ろす。
「これから、どうするの?」
「どうするって?」
「ここを出る? それともまだ歩き回る?」
「探索するに決まってんでしょ」
彼女は握り拳を顔の前に掲げて震わせながら主張した。
「これだけ時間を潰して、何も戦利品が無いなんて冗談じゃないわよ。草の根かき分けてでも金目の物を見つけだしてからでなきゃ」
「草の根なんて無いけど……」
ボソリと呟いた僕を、彼女はギラリと睨みつける。僕の首根っこが自然と縮こまった。
「なんか言った?」
「う、ううん。何でもない」
どうやら、彼女は是が非でも宝物やら何やらを入手する気らしい。けれど、僕の本音としてはもう体がクタクタで、今すぐにでもここを立ち去りたい気分だった。荷物持ちも楽では無いのである。
荷物の中から水の入った皮袋を取り出し、口付けせずに舌の上へと落とす。疲労からくる渇きが少しだけ癒された。あまり多く飲むと彼女から苦情が来るので、僕は水分を欲する身体に鞭打って、皮袋をバックパックの中へと戻す。代わりに手に取ったタオルで顔や両腕の汗を拭った。
「……ねえ」
彼女がおもむろに口を開いた。先ほどとは打って変わって、真剣な顔つきをしている。
「何か、聞こえない?」
耳を澄ませてみる。確かに彼女の言うとおり、ズシンズシンと、重々しい足音が聞こえてくる。しかも、僕らのいる所へだんだんと近づいてきているようだ。
「……あ」
「ちょっと、ボーッとしてないで早く荷物まとめなさいよ」
「う、うん」
僕は急いでタオルをしまい、立ち上がってバックパックを背中にからう。そして、松明を手に取った。見ると、彼女は既に銀色に輝く剣を構えて、鋭い目つきで足音の近づいてくる方向を警戒している。僕は唾を飲み込んで彼女とは逆方向の入り口近くに移動し、迫り来る相手に備えた。
そして、ソレは通路の陰から姿を現した。
「うわっ……!」
僕は小さい悲鳴を上げてしまう。
結論から言えば、物音の主は熊だった。しかし、目の前の敵は普通の熊なんかよりも随分と大きく、ミレナよりも遙かに背が高い。体つきもガッシリとしていて、両手の爪は大きくて鋭利だ。一般的な人間の大人であればひとたまりも無く殺されてしまうだろう。
しかし、何よりも勝る特徴は、その白っぽい体色と、背中に無数に生えている『氷柱』だった。
「……アイスベアー」
今までの敵とは違い、表情に緊張を走らせているミレナがぽつりと呟いた。
そして、彼女が『アイスベアー』と呼んだソレは威圧的な雄叫びを上げる。周囲の空気がピリピリと振動し、僕は思わずたじろいだ。
次の瞬間、相手はその自慢の鉤爪をミレナへと振り下ろす。彼女は剣を使ってその攻撃を弾いたが、受け止めきれなかった衝撃を流すように後方へと小さくジャンプして、僕のすぐ前までやってきた。その顔には明らかな焦りが浮かんでいる。
「逃げるわよ」
「え?」
即座に告げられた彼女に似合わない命令に、僕は自然と聞き返してしまった。その間に敵の二撃目が彼女を襲う。後ろに僕がいた為か、彼女はその場に踏みとどまってその剛爪を防いだ。彼女は怒ったように叫ぶ。
「逃げるって言ってるのよ! ほら、急いで!」
「う、うん!」
僕は全力で走り、通路へと出る。後ろを振り返ると、彼女が小部屋の入り口から走ってくるのが見えた。そして、アイスベアーもまた、その巨体を再び僕の視界へと現す。走る速度が遅いのが唯一の救いだ。
あっという間に彼女は死に物狂いで走っている僕に追いついた。
「ね、ねえ。あの熊、何なの?」
僕はゼイゼイと息を切らしながら、彼女に訊ねる。
「背中に氷柱がある熊なんて、知らないよ!」
「さっきも言ったけど、あれはアイスベアーっていうのよ」
彼女は神妙な面もちで答えた。
「元々はただの熊だったのが、何故か氷の魔力を帯びた変異種。だから、魔法だって使える」
「魔法? それってどういう」
質問を言い終わる前に、僕の頬を冷たい何かが掠めた。前方の壁に砕け散ったその何かを見ると、それは熊の背中にあった氷柱だった。
「ひ、ひええ……」
全力で足を動かしている筈なのに、自分の顔から血の気がサッと引いていくのを感じ取る。
「さっきのみたいなヤツよ。氷を操る魔法。ひょっとしたら、別の事も出来るかもしれないけど」
「ど、どうすれば良いの? ミレナはアイツを倒せる?」
「……正直、ちょっと分が悪いかも。話には聞いていたけど、遭遇した事なんて無かったし」
彼女が唇を噛みしめているのが分かった。
「じゃあ、どうするの?」
「とにかく、今は逃げるの!」
「え、ええ!?」
僕達はそれから、追いかけてくるアイスベアーを撒くまで懸命に走り続けた。途中で他の敵と鉢合わせしたりもしたが、それらをミレナが素早く切り捨ててくれたおかげで、時間のロスは最小限に食い止める事が出来た。
かなりの時間を費やして、僕達は何とか奴を引き離す事に成功したのである。