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声のした方向に目を向けると、そこには一匹のゴブリンがいた。他の同族達よりも一回りガタイが良く、少し背が高い。闘いを好みそうな面構えで、ニヤニヤ笑いながら怖い表情のミレナと視線をぶつけ合っている。周囲を見渡すに、他のゴブリン達はどうやら全員やられてしまっているようだ。
――仲間がみんなやられているのに、笑ってるなんて。
僕にはどうにも理解出来なかった。
長い沈黙が辺りを支配する。やがて、ミレナが挑発するような笑みを浮かべて口を開いた。
「へぇ、人間の言葉を話せるゴブリンなんて、珍しい奴もいたものね」
「これは独学ゴブよ」
「そういう努力をもっとマシな事に使えないわけ?」
「使ってるゴブよ。泥棒、盗み食い、家荒らし」
「……それって、全くマシじゃないじゃんか」
「弱っちい奴は黙ってるゴブ」
「う」
ツッコミを入れたら心にズキッとくる一言を告げられ、僕はガックリと肩を落とした。ゴブリンは愉快そうに唇をめくり、再びミレナへと向き直る。
「俺はこの辺りで一番強いゴブリン、ゴブレオ様ゴブよ」
「ふーん、そうなんだ」
「怖じ気付いたかゴブ?」
「いいえー、全然」
得意げなゴブレオに対し、ミレナは余裕のある態度を崩さない。それが癪に障ったのか、彼は顔を歪めた。
「お前、人間の女の癖に生意気ゴブ」
「アンタの方こそゴブリンの癖に生意気よ。何よ、いっちょ前に人の言葉喋ってるつもりだろうけど? 語尾にしっかりゴブゴブ付いてるじゃない。正直、すっごくダサい」
――うわあ……。
ミレナの口撃を聞いて、僕は思わずゴブレオの方に同情してしまった。こんな物言いをされたら、絶対に頭に血が上って仕方がないだろう。案の定、彼の顔はこれ以上ないほどに紅潮してしまっていた。
「黙るゴブ!」
声高に叫び、彼は棍棒を振り上げてミレナに突進する。行動自体は他のゴブリンと何ら変わりないが、スピードは明らかに違っていた。この辺りで一番強いというのは、満更誇張でも無かったらしい。
ミレナの方も素早く反応し、剣と棍棒が鈍い音を立ててぶつかり合う。力は互角のようで、お互い一歩も譲らない鍔迫り合いが展開される。僕は彼らの戦いに巻き込まれないよう部屋の端へ移動し、勝負の行方を固唾を飲んで見守った。
しかし、しばらくして彼らはお互いに素早く後退し距離をおく。
「フフン。まあまあやるゴブね」
「……チッ」
ゴブレオの言葉に、ミレナは舌打ちを返す。彼女は心なしか、苛立っているように見えた。もしかすると、他の敵と違って一撃でしとめられなかったのが悔しかったのかもしれない。
今度は同時にダッシュして攻撃を仕掛けた。何度も何度も武器を打ち合い、洞窟中に無数の金属音が反響する。
しかし、力では互角でも、技術の方では彼女の方が数段格上だったらしい。
「ゴ、ゴブッ!?」
ゴブレオは動揺の声を上げつつも、必死の動きでミレナの剣を棍棒で防ぎ続ける。しかし、彼女の素早い斬り返しを受け、次第に押し込まれ始めていた。
そして、勝敗がつくのはあっという間だった。
「たあっ!」
彼女の鋭い叫び、そして鈍くも高い金属音と共に、ゴブレオの武器である棍棒が彼の手から弾き飛ばされ、遠く離れた地面に落ちる。
「ゴ……ブ」
通路を背に立っていたゴブレオは顔をひきつらせ、おずおずと下がる。一方で、ミレナの方は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「どう? まだやる?」
「ゴ、ゴブ……」
額に冷や汗を浮かべているゴブレオは、どうやら自分に勝ち目がないと判断したらしい。彼はミレアと僕に背を向け、
「お、覚えてやがれゴブー!」
と、典型的な捨て台詞を叫びながら猛ダッシュで洞窟を出ていった。
それを見届けて、僕は彼女に近寄った。
「ミレナ、凄いね!」
「ま、ざっとこんな感じよ」
僕の賞賛に、彼女は得意げに自らの髪をなびかせた。
「この辺で一番強いとか言ってたけど、ぜんぜん大したこと無かったわね」
「でも、大丈夫なの? あのゴブレオってゴブリン、逃がしちゃったけど」
「ヘーキよ、ヘーキ」
彼女は剣を腰に差してある鞘にしまうと、おどけたように両手の平を天井に向けて肩を竦めた。
「ゴブリンっていうのは、一匹じゃ悪質な悪巧みは出来ないんだから。アイツ一人じゃ村を襲うなんかしないわよ」
「そ、そうなんだ」
その一匹だけに追い掛け回された僕、というフレーズは頭から追い出して平静を装った。
「ま、とにかく依頼も済ませた事だし」
と、彼女は辺りを一瞥して、
「さっさと帰るわよ」
と、部屋の入り口へと歩いていく。僕も慌ててその後を追った。
「そういやさ」
細く長い通路を進みながら、僕は口を開いた。
「僕、初めてゴブリン倒したよ」
「へえ、何匹?」
「一匹。このカードって凄いね」
僕は手に持った赤いカードに視線を移した。
「まあね。それ使ってゴブリンも倒せなかったら人としてヤバいくらいだし」
別によくやったと褒められたかったわけでは無いが、あまりの辛辣な言葉に僕は気分を落ち込まさずにはいられなかった。
「……それ、皮肉?」
「だって事実だし」
それにしても、と彼女が何故か首を傾げた。
「アンタ、どうしてマジックカードの事を忘れてたんだろね」
僕は最初、彼女の言っている事の意味が分からなかった。
「え、そんなに変な事かな?」
「いや、だってさ。剣とか、ウサギとか。そういう普通の物の名前は覚えてたわけでしょ?」
「特殊そうなアイテムだからじゃない? 昔の僕って、あんまり魔法とか戦いとか関係なさそうだし」
「でもそれって、剣とか鎧だって同じでしょ。むしろ、カードって聞いて最初にトランプを連想する方が何か変よ。貴族っぽいっていうか、ギャンブラーっぽいっていうか」
「そ、そうかな」
「そうよ。普通カードっていったら、マジックカードの事を指すんだから。この世界じゃ、よっぽどの事が無い限りみんな知ってる筈だし」
そういった他愛もない話をしている間に、僕らは洞窟の入り口に到着したのだった。




