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「うう、だんだんと暗くなってきたぞ……」
小部屋を出て、すぐに僕は問題の一つにぶち当たった。土と岩で構成されたダンジョンの内部は迷宮のように入り組んでいて、その事自体は構わないのだが、あまりに暗すぎて道を進みにくいのだ。明るい小部屋を見失わないように進んだのだが、それにしたって限界がある。
「どうしよう……」
やがて、進みすぎた僕は小部屋の位置を完全に見失ってしまった。周囲を完全な暗闇が支配してしまい、僕は頭を抱える。
「明るいものがあればなぁ」
そう呟いた時だった。岩を這いずりまわるような音がして、僕は身を強ばらせた。
――何か、いる。
直感した。けれども、体が動かない。変に動けば、どうなるか分からない。そんな恐怖が僕の脳内を完全に支配してしまっていた。
やがて、冷たく湿った何者かが僕の足下をなぞる。
「ヒッ……!」
けれど、どうしようも無かった。
「う、うわああああああ!」
僕の体はその得体の知れない何かに包まれて……そして僕は意識を失う寸前にこう思ったのだ。
――ああ、ここで死ぬんだな、と。
バタッと跳ね起きたそこは目覚めた時の小部屋だった。
「あれ? 僕、死んだんじゃ……」
ぼんやりとした意識の中、掲示板に書かれていた事を思い出す。ああ、そういえば。ここでやられてもこの場所に、スタート地点に戻されるんだった。
自分の体を注意深く点検する。外傷は見当たらないし、少し気怠い以外は至って健康のように思える。けれど、どうしてなのだろう。死んでも復活出来るなんて、どう考えてもおかしい。そこでようやく、記憶を失っていても常識的な感覚はどうやら残っているようだとふと気づく。
「……とにかく、ここを出なきゃ何も始まらないんだ」
もう一度、自らに渇を入れて、再び僕はダンジョンへと足を踏み入れた。
しかし、現実はそう簡単に上手くいかないものらしい。
「うわっ!」
「痛い!」
「ひぎゃあ!」
挑戦する度に暗闇の中で得体の知れない何かに叩きのめされ、僕は何度も何度も小部屋に強制送還されてしまった。
「うう。一体、どうすれば良いんだよ……」
スタート地点に戻る度に疲労はリセットされるようだが、それにしたって暗闇の中で死んだ時の恐怖は忘れる事が出来ない。
とにかく、ここを脱出する為に僕が一番必要とする物は。
「明かり……だよなあ、やっぱり」
迷路のような場所を探索するわけだから、やはり辺りを照らす物が無いとどうにもならない。モンスターとやらの対策を練るにしても、とにかく相手の正体を把握する為には光源が必要だ。
……まさか、目に見えない敵とかなんじゃ。
脳裏に浮かんだ不安を首をぶんぶん振って隅へと追い出す。
「考えろ……とにかく、考えなきゃ」
僕は腕組みをして地面に座り込んだ。しばらくの間、両目を瞑って考えに耽る。けれど、どうしても良いアイデアが浮かんでこない。どんどん時間だけが過ぎ去っていく。
ふと地面に寝転がり、こんがらがった頭で視線を宙に向けた時だった。
「……あれ?」
頭上に輝く一筋の光を目にした時、僕の脳裏に一つのアイデアが閃いた。壁に近寄り、煌めく石を一つ手に取って力を込める。石はたやすく壁から引っこ抜く事が出来た。
「なんだ、簡単な事だったんじゃないか」
思わず、笑みを浮かべてしまう。どうしてずっと目にしていた光を有効活用するという事を思いつかなかったのだろう。
とにかく、これで準備万端だ。もう十数回になるかというダンジョン探索への一歩を僕は踏み出す。小部屋を出て、通路を歩いていく。だんだんと小部屋から溢れる光が消え失せていったが、持ち運んでいる石のおかげで周囲の明るさを保つ事が出来た。おかげで迷路の様相も把握しやすくなった。
幾度か行き止まりにぶつかり、通路を行ったり来たりしているうちに、僕はソレに出くわした。
「……何、これ?」
それは何とも形容し難いような形状をしていた。記憶にあるような猫とか犬とか、そういった類ではない。むしろ、生き物かどうか疑うレベルである。まるで、水が生きているような錯覚を受けるソレはゲル状の青色をしていて、時折に不気味なくらい音を立てて這いずっている。
「……スライム?」
頭の中にぽんと浮かんだ単語を、僕は呟く。スライムと思しきソレは答えない。ただ、何も語らずにプルプルと震えているだけだ。
――何故だろう。適当にパンチかキックしているだけで倒せそうな気がする。
「……えいっ!」
意を決して、僕はそれを勢いよく蹴りつけた。グジュッという嫌な感触と共に、スライムは四方八方へと体の一部を飛び散らせる。僕が踏んづけたままでも身動き一つしない。
「……倒せたかな?」
そう、僕が安堵しかけた時だった。スライムは勢いよく僕の足を水音を立てながら駆け上がった。
「わわっ!」
突然の事に僕は動揺して振り払おうとしたが、上手くいかない。そうこうもがいているうちに、スライムは僕の眼前まで迫り、
「ん!? んー! んー!」
僕の口と鼻を自らの体で塞いでくる。僕はスライムを掴んで自らの顔から引き離そうとしたが、彼とも彼女とも言い難いソレはビクともしない。次第に僕の抵抗する手も弱まっていき、
「んー、ん……」
僕は今まで倒れてきた中で、一番苦しい気持ちを味わいながら意識を失った。
「うーん、どうすれば良いんだろ?」
僕は光輝く小部屋の地面に座り込み、今後の事について考える事にする。先ほどの出来事で、今まで僕を暗闇の中で襲っていたモンスターの正体が一種類だけ分かった。あの粘着質な液体で構成されているスライムだ。けれど、それを知った所で対策する術が無い。僕の力じゃ、蹴りつけても効果が薄いようだった。
「なんか、ちょっと攻撃したらすぐ倒せそうだったのになぁ」
どうしてそう思ったのかは自分でも分からない。でも、とにかく厄介な相手ではないだろうと侮った事には間違いない。しかし、実際には恐ろしい相手だった。僕は最後の時の感覚を思い出し、身震いする。鼻と口を塞がれ呼吸もままならず、空気を吸おうと必死でもがいた。あんな死に方は二度としたくない。けれど、正面きって戦っても今の僕じゃ勝ち目は薄い。となると、頭に思い浮かぶ選択肢は一つしか残っていなかった。
「逃げながら進むしかないよなぁ、やっぱり」
幸いにも、スライムはあまり素早く移動出来そうには思えなかった。出くわしたら即座に引き返し、別の道を進むようにすれば問題は取りあえず解決する筈だ。
「よし、今度こそ!」
僕は手に握っていた煌めく石を、もう一度強く握り締めながら立ち上がった。
先ほどの探検で道筋は少しだけ把握出来るようになっていた。行き止まりだと分かっている場所には近づかないようにして、周囲を警戒しながらゆっくりと歩みを進めていく。
――あ。
通路を右に折れた所で、僕はすぐに身を翻した。そっと頭だけを伸ばして様子を見やる。通路の奥には先ほど見かけたのと同じ、青いスライムが小さく這いずり回っている。
どうやら、引き返した方が賢明のようだ。僕は来た道を戻り、違う通路へと歩を進めた。
そんな事は何度か繰り返しているうちに、階段が存在する部屋にたどり着いた。
「やった……ようやく上に行けるんだ」
安堵感から、僕はホッと胸を撫でおろす。
――しかし。聞こえてきた叫び声が僕の神経を再び張り詰めさせた。
「ゴブー!」
「……へ?」
声の方にを振りむくと、そこには荒田に目にする生き物が三匹いた。小さい人間に似た外見だが、顔つきは荒そうで、手には小振りの棍棒を持っている。特徴的な鳴き声と容姿のせいか、僕は記憶の中に存在する一つの単語を連想した。
「……ゴブリン?」
「ゴブゴブー!」
「わ、わわっ!」
掛け声と共にゴブリン達が突撃してきたので、僕は大慌てで走りながら階段を上っていく。
――どうしてだろう。階段を上りきってしまえば、ひとまず助かるような気がする。
しかし、そんな根拠のない浅はかな希望はすぐに打ち砕かれた。
「わっ! まだ追いかけてきた!」
地下九階に到達しても、ゴブリン達は棍棒を振り回しながら僕を追いかけてくる。僕は必死で通路へと駆け込んだ。後先考えずに走り回り、やがて耳に届いてくる、
――ぐちゃ。
というデジャブな感覚。
ハッとして下に目を向けると、そこにはあの青い粘着質の液体がグジュグジュと音を立てて震えていた。
「う、う、うわあああああ!」
そして、またもや僕は強制送還を食らう羽目になったのである。