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「……はぁ」


 一つ、溜息をついた。その間にも、隣の部屋から女性達の喧噪が聞こえてくる。


「だ・か・ら、アタシが一番ふさわしいって言ってるの!」


「何言ってんのさ、あたしの方がふさわしいよ」


 壁越しに伝わってくる、二人の苛立った声。今日、というよりは昨日から、何度同じような言葉を耳にしたことだろう。昨夜から続く響くような頭痛が、彼女らの言い争いを耳にしていっそう酷くなったように感じられる。ベッドの縁に腰掛けたまま、僕はこめかみに右手を当ててうなだれた。


「……はぁ」


 また一つ、溜息が増えた。今度の主は、僕ではない。


「まだ、続いてるみたいだな」


 対面の椅子に座っているフォドが、疲れた様子で口を開いた。


「そうだね……」


 陰鬱な口調で、僕も顔を上げ、言葉を返す。


「アレ、いつになったら終わるんだ?」


「決着がつくまでじゃないかな」


「マジかよ……昨夜からずっとだぜ」


 ツンツン髪の少年は呆れたように小さく頭を振って、


「いい加減、他の部屋から苦情とか来ねえかな」


「朝食の後、ビルモさんに聞いてみたんだけど、ミレナの部屋の左隣や上下はちょうど空き部屋なんだってさ。一応、部屋の壁には簡単な防音魔術が掛けられているから、多少は大騒ぎしても大丈夫だろうって」


 窓の外に視線をやりながら、僕は説明した。澄み渡るような晴天の下、都トルヴァーラの城下町は活気に満ち溢れている。往来を行き交う人々の陽気な会話や、彼らを呼び止める為に発せられる店主達の明るい声があちこちから沸き起こり、開け放たれた窓から室内に入り込んでくる。だが、彼らの声量に負けず劣らずの騒音が隣から聞こえてくるので、風情を感じるもへったくれもありはしなかった。


「大丈夫だって言われてもなぁ……俺の所まではそこまで聞こえなかったけど、お前の所は大変だろ?」


「そりゃ、部屋が隣同士だからね」


「眠れなかったのか?」


「うん」


 掛けられている防音魔術も、流石に隣室の大騒ぎを完全にせき止めるまではいかなかったらしい。昨夜、ベッドに入ってからも、僕の耳には隣の部屋から聞こえてくる強烈な言い争いの残滓がひっきりなしに届いてきた。ダンジョン探索の疲れもあって、こちらとしては体の休息を早く取りたかったのだが、ベッドを頭から被って喧噪の波を頭から追い出そうとしても、お陰で全く寝付けなかったのだった。


 主に、橙髪の少女の声が殊更に大きかった所為である。


 今の自分の目元には、実に深い隈が刻まれていることだろう。


「ま、あれだけ隣で騒がれちゃなぁ。眠気も吹っ飛んじまうよな」


 てか、アイツらは眠くなんねえのかよ。そう呟くように言って、フォドは呆れ返ったようにこの部屋と隣室を隔てている白い壁を見やる。日を跨いで夜を越えた現在でも、喧噪は収まることを知らず未だ続いていた。よくもまぁ、夜中ずっと起きていながら、ここまで争いを繰り広げられるものである。


「さぁ……やっぱり、二人とも頭に血が上って、興奮しきってるんじゃないかな」


 睡眠不足の所為でやけに鈍く重たい頭を右手で支えながら、僕は言った。


「エリシアちゃん、途中で抜け出て眠ったりしなかったんかね」


「うーん、どうだろう……声は聞こえてこなかったけど。誰かが出ていく気配はしなかったな」


 防音処理が施されているのは床と天井、そして壁のみと聞いている。窓とドアには施されていない。その為、廊下の外を誰かが歩いていたり、ドアがしまるような音がすれば、ちゃんと聞こえてくるというわけだ。眠れない夜を過ごしていた僕の耳には、ドアがバタンとしめられる音は全く聞こえてこなかった。


「となると、まだエリシアちゃんミレナの部屋にいて、二人を仲裁しているかもしれないってわけか」


「かもしれないね」


「そう考えると、エリシアちゃんも災難だよな」


 彼女に同情するような口調で、フォドは言った。


「アイツらの言い争いに巻き込まれてしまって」


「だね……」


 彼の言葉に、僕は力無く頷く。そうしている間にも、隣室からは絶えず言い争いの声が聞こえ続けていた。


「いつ終わるかな」


「いつ終わるんだろね」


 どちらからともなく、僕とフォドは深い溜息をつく。そして、こうなる事となった原因である昨日の出来事を、僕は眠気に苛まれながらも回想し始めたのだった。

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