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「くっ! こうなれば多少の被害は仕方がないか……!」
僧達のリーダー格らしい男は、表情を焦燥に歪めながら呟く。彼は残っているもう一人の男と無言で頷きあうと、再び杖を正面に掲げて詠唱を始めた。先ほどと同じ神聖な輝きに彩られた魔法陣が、彼らの足元に展開される。今度は、発動までにさほど時間は掛からなかった。二言三言を僧達が唱え終えた途端、即座に光球が杖の先端から発射され、敵をめがけ飛んでいく。ほぼ間違いなく、攻撃用の魔法だろう。男の言葉から察するに、今までは庭園に及ぼす損害を危惧して、使用を控えていたに違いない。人数を半分に減らされてしまい、周囲の被害を考慮に入れる余裕すら無くなってしまったということだ。
――この攻撃が通ればいいけど……。
さっきと同様、魔物は術を避ける気配を全く見せなかった。案の定、放たれた二つの光球は目標に直撃し、眩しい輝きと共に爆発する。
「よしっ!」
「やったか!」
攻撃を命中させた僧達は、ほぼ同時に歓喜の叫びを上げた。しかし、彼らのように楽観的な感想を抱くことが出来ず、僕は爆発により生じた白光を漠然とした不安と共に眺め続ける。
――このままじゃ、終わらない。
根拠のないそんな確信が、何故か脳内を渦巻いていた。
やがて、視界の一部を奪っていた輝きはだんだんと消え失せていき、光球の爆発した地点の様子が目に映るようになる。
「なっ……!」
リーダー格の僧が顔をひきつらせ、驚愕の叫びを上げた。案の定、術をまともに食らった筈の魔物は、全くダメージを負った様子もないまま、その場に立ち続けていたのだ。その身体には、今もなおどす黒い紫色のオーラが纏われている。
「そんな……」
もう一人の僧が、怯えのこもった口調で呆然と呟く。
「あの直撃を受けて、それで傷一つついていないなんて……」
化け物は二人に次の手を考える余裕を、今度は与えなかった。巨大蟷螂は四本の足で勢いよく地面を蹴りつけ、真上ではなく前方に向かって跳躍する。両腕の刃が大気を斬り裂いていく鋭利な音が、遠く離れて戦いを見守っている僕達の耳にも届いた。
不気味なほど赤い瞳の先にいるのは、先ほど呟いた男だった。
「う、うわあああ!」
彼は悲鳴を上げながら後ずさりし、手に持っている杖で自らの身を庇おうと試みる。猛スピードで標的に迫った化け物の刃は、攻撃を防ぐように構えられた木の棒をいともたやすく切断し、その勢いのままに男の胸元を掠める。
血飛沫が花畑の一面を染め、ドサリと男が地面に崩れる音と共に、散った花弁が庭園の空を舞う。
僕の横で、エリシアが小さな悲鳴を上げる。ただ一人だけ無事に残っていたリーダー格の男は、身の危険も省みずに仰向けに倒れている仲間の元へと駆け寄った。
一方、魔物は虫の息となった人間を放置して、体を半回転ほどさせると、何事も無かったかのように再び歩き始める。
――あれ?
このとき、僕は一つの疑問を抱いた。
――なんで、敵にトドメをささないんだろう……?
化け物に『常識』という言葉が通用するかは分からない。けれど、普通の魔物なら、自身に危害を加えようとした者をそのまま放置しようとするだろうか。
人間なら、理性だとか優しさだとか情だとか、納得のいく理由を思いつく。けれど、野生の生き物がとる行動として異質だと思った。
勿論、もっと良い獲物をおびき寄せる餌にする為、子供の狩りの練習の為になど、ただ単にしとめた動物を生かしておくだけなら幾らでも例はあるだろう。けれどこのように、先の戦いなど全く気にしていない様子で、平然と歩き始めるのは明らかに不自然だ。それだけじゃない。周りに大勢の人間がいたのにも関わらず、自分から襲いもしない。敵の攻撃を回避する素振りすら見せない。
――まるで、自分の意志を持っていないような……。
操り人形。ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。
「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」
聞こえてきた叫び声と輝かしい光に反応して視線を向けると、去っていく魔物の後ろで、リーダー格の僧が傷ついた男を必死に介抱していた。男は胸から腹にかけてを鋭く斬り裂かれ、傷口だけでなく口の端からも血が洩れていた。何とか一命は取り留めている様子で、リーダー格の僧は自分の杖を相手の損傷箇所に当て、治癒魔法を唱えている最中だった。敵が側にいるにも関わらず治療を始めたのは、相手の注意が完全に自分達から逸れたと気づいたからに違いない。
戦闘がひと段落ついて初めて、僕は自分達の周囲から人影が消え失せてしまっていることに気がついた。魔物が植物を踏み荒らして進む音、無事に残った僧が懸命に呼びかける声以外、花畑はシンと静まり返っている。
――そういえば、僕らって避難するべきだったよね。
僕は心中でそう呟いた。人々の避難に尽力していた僧達が声を掛けてこなかったのが不思議だったが、目の前のことに手一杯で店の中にいた僕達を気にする余裕がなかったのかもしれない。或いは、誰か適当な者が声を掛けると全員が考えた所為という線もある。
何にせよ、ここにこうして残っていたのは賢明な判断ではなかったと、それだけは自分自身でもよく分かっていた。
ひょっとすると、『最初から』よく分かっていたのかもしれない。
――じゃあ、どうしてわざわざ残ってたんだっけ……?
何故か自分の感情すら不思議に思えて、何となく首を傾げていると、
「……あの人、大丈夫でしょうか」
横で不安そうに負傷者を眺めていたエリシアが、そう口を開いた。




