15
立て札にはアイレーヌ教徒に向けての様々な言葉と共に、観光の道順が詳しく解説されていた。まずは一本道を進み、頂上の建物に向かうよう書かれてあったので、僕達はその指示に従って坂を上り始める。
その道中にも、アイレーヌ自らが足腰の弱い老人子供を気遣って作り上げたという休憩用の長椅子や、彼女の弟子達が日夜議論を重ねていたという小さな小屋など、熱心な信者であれば興奮間違いなしの観光スポットが幾つもあって、当然ながらエリシアは目をキラキラさせてそれらを眺めていた。
坂道は結構な長さがあり、外界と同じく気温が適度に高いことも相まって、頂上に着く頃には僕もエリシアも、額にうっすらと浮かぶ汗を手で拭っていた。
霧を抜けた場所でも遠目に見えていた石造りの家屋は、近くで眺めるとかなり年期の入った建造物であるように思えた。石材と石材の切れ目には蔦が絡まっているし、壁の表面にも様々な傷が目立つ。ただ、古びて劣化の目立つ割には清潔な印象だった。恐らく、管理を任されている者達の手入れがしっかりと行き届いているのだろう。
建物の名は『憩いの住処』といった。エリシア曰くこの家屋は、天涯孤独の身となってこの地に流れ着いた者達にとって文字通り憩いの場所だったのだという。土地や家族を失った人々は、『悠久の庭園』で言葉を通わせ合い、交流を深め合い、ここに新たな居場所を見出した。様々な絆を築き上げたこの建物もまた、アイレーヌ教を信仰している者達にとっては特別な意味を持つ場所なのだという。
中に入ると、まず宿の食堂ほどの中部屋が姿を現した。床には素朴な柄の品の良い絨毯が敷き詰めてあり、紐で作られた柵の向こうには古ぼけたソファやテーブルが置かれている。昔は団欒を楽しむ者達に使われていたのだろうが、今は展示品としての役割を全うしているようだ。配置されているその他の家具の殆どにも、人が近づけないように柵が張り巡らされてある。そのため、元は四角であった筈の部屋はいびつな通路と思しき様相を呈していた。勿論、僕らのように見学をしている人々も数人いる。来客者用に取り付けてある説明板には、当時の室内の雰囲気をそのまま後世に保存する為、誰かが不用意に手を触れないようにしてあるのだと書かれてあった。
「でも、こんな紐くらいだったら、誰かが簡単に飛び越えてイタズラしそうなものだけどなぁ」
説明を読み、辺りに見張りがいないことに気がついて呟くと、
「多分、目には見えない魔法が掛けられているんだと思いますよ」
「……なるほど」
庭園内に置いてある貴重そうな物品には不用意に手を出さないでおこうと、エリシアの予想を聞いた僕は肝に銘じた。
建物は三階立てで、二階部分の小部屋二つのうち一つは案内所となっていた。ここにはアイレーヌ教の僧侶が多数いて、聖地を訪れた人々の案内役として働いていた。かつては泊まる場所を持たない者達に寝床として、男女別に提供されていた二部屋だったらしいが、そのうち案内所とされているのは男性部屋の方らしい。隣の元女性部屋は、庭園内で体調を崩した人々の看護をする為の一室として使用されているそうだ。三階の方は食料の貯蔵庫として使われていたらしく、現在でも様々な物品を収める倉庫として利用されているらしい。
エリシアが声を掛けたのは背の高い青年の僧で、彼はその日焼けした顔に爽やかな笑みを浮かべ、彼女の質問にそつなく答えていた。その間、僕は案内所の隅に積まれていた無料のパンフレットを眺めて時間を潰した。
青年からの勧めで、僕達はまず庭園の奥へ向かい、そこから迂回して『憩いの住処』へ戻ってくることにした。彼の言うところには、庭園を一日かけて見回ろうとするなら、先に険しい道の続く庭園の最奥へと向かい、戻ってきてから改めて『憩いの住処』付近の見物へ向かった方が楽だろうとのことらしい。
礼を述べて歩き出すと、青年は階段を降りようとする僕達に小さく手を振りながら、別れ際にこう言った。
「かなり歩き疲れると思うけど、途中には休憩所もあるから、もしくたびれたらそこで一休みするといいよ」
建物を出て、入り口から反対方向へと伸びる坂を下っていくと、新緑の庭をかき分けて道が三方向に伸びている。僕達はその内の一つ、真っ直ぐ進む道を選んで歩き始めた。
途中にある名所も一つ残さず、僕達は見て回った。勿論、エリシアは憧れの地を訪れている興奮からか異様にハイテンションで、アイレーヌが所持していた道具の現物や彼女にまつわる有名なエピソードの舞台となったとされる場所を実際に目にすると、あまり彼女らしくない、同年代の少女達のような黄色い歓声を上げることもあった。
僕はというと、アイレーヌ教に思い入れというものもないので、彼女ほどには興味をそそられなかったが、有名な場所を訪れたというだけでも得したような気分になれたし、同行している少女の心底嬉しそうな顔を見ていると、こちらまで何となく心が弾んだ。
寄り道を沢山して体にも疲労が溜まってきたところに丁度よく、青年の話していた休憩所が見えてきた。彼の助言通り、僕達は昼飯がてら、そこで暫しの休息をとることにした。




