10
外に出ると、晴れやかな空に似つかわしいような清々しい微風が僕らを迎えた。
「久しぶりに、気持ちの良い朝ですよね」
人で大いに賑わう通りを歩きながら、エリシアが言った。
「うん、本当にね。最近は暗い天気ばかりだったし」
「やっぱり、レンさん達が見つけた装置が関係していたんでしょうか」
「まだハッキリとはいえないけど……多分、そうじゃないかって僕は思う。でも、今日は天気が良くて良かったよ」
このままだと雰囲気が重くなってしまうような予感がしたので、僕は話題をさりげなく逸らした。せっかくの休日だ。エリシアには今まで迷惑を掛けっぱなしなのだから、今日くらいは思いっきり楽しんでほしい。
「ふふ、そうですね。雨が降ったら出掛けられなかったですし……実は私、昨晩は良い天気になるよう祈ってたんです」
「え、そうだったの?」
僕の問いかけに、はにかんだエリシアは小さく頷いた。
「はい。明日の為にと思って少し早めにベッドに入ったんですけど、『悠久の庭園』に行けると思うと凄くワクワクしてしまって、結局なかなか寝付けなかったんです」
「ふふっ。なんだか、エリシアらしくないね」
「……ッ! いえ、その……」
率直な感想をそのまま口にすると、彼女は恥ずかしげに頬を赤らめた。その様がとても可愛らしく感じられ、自然と口の端から笑みがこぼれてしまう。
「でも、夜に眠れなくなるくらい、楽しみにしてたんだ」
「……ずっと、夢見てましたから」
消え入りそうなか細い口調で、エリシアは答えた。そんな彼女の様子を眺めていると、これから向かう場所についての好奇心が、今更ながらに湧いてくる。僕達の訪れようとしている聖地は、一体どんな場所なのだろう。その場所が『聖地』と呼ばれる所以は、どのようなものなのだろう。
――ていうか、エリシアの信仰している宗教って、そもそもどんなの?
『アイレーヌ教』という名前だけは聞いているが、よくよく考えるとそれ以外のことは全く知識として頭になかった。
それらの疑問を訊ねると、彼女はあっさりと話してくれた。
「『悠久の庭園』はですね、アイレーヌ様が世界の幸福を願って作り上げられた、この世で最も美しく清らかな場所だといわれているんです。アイレーヌ教については話すと長くなるんですけど……」
数十分にも及ぶエリシアの説明を細かい部分を色々と省いて要約すると、つまりはこういう伝承だった。
今日まで続く巨大宗教の一つ『アイレーヌ教』の祖である聖女アイレーヌは、かつて流浪の僧侶だった。慈愛の心に満ちていた彼女はどんなに貧しい者であっても必ず救いの手を差し伸べ、どんなに重き病にかかった者でも絶対に見捨てようとせず、どんなに罪を犯した者であっても迷うことなく受け入れた。
決して見返りを求めることなく、困っている者を助け続けていた彼女は数多くの人々から尊敬と感謝の念を受けていたが、若い間にその名が広く知れ渡ることはなかった。慎ましい気性の彼女は決して自らの名を助けた者に語らず、行った慈善を他者に打ち明けなかったからである。
しかし、一つの土地に定住することなく、各地を旅して恵まれない者達の為に力を尽くす女性の噂は、徐々にではあるが諸国の間で広まっていった。やがて、とある国の都に滞在していた彼女は、巷談を聞きつけた王に城へ招待を受ける。その求めに応じてやってきた彼女を見て、当時の王は言葉を失ったという。ボロ切れを縫い合わせたような見窄らしい衣服で包まれた彼女の姿は、その貧しい装いには不釣り合いなほどに美しく、高貴な気品に満ちていたからだ。僅かな時間の交流を通し、彼女の穏やかな気質と礼儀正しく相手を立てる態度に心惹かれた王は、アイレーヌと名乗ったその女性に対し、自分に仕えないかと誘いをかけた。
だが、彼女は王の申し出を受けなかった。柔らかな物腰の女性ではあったが、その決心は固かった。下手すれば極刑を免れないような行為ではあったが、王は寛大な心で彼女の無礼を許した。
謁見の時間も残り少なくなってきた頃、王は最後に一つ質問をした。
「お前は僧侶だそうだが、一体どんな宗教を信じているのかね?」
アイレーヌは目を伏せて言った。
「厳密にいえば、私はもう僧侶ではありません。ですが、信仰を捨てているわけではありません。神の御心だけは心から信じています」
この返答に王は困惑したものの、詳しい事情を問い詰めはせず、彼女を街へ帰した。女性のことをいたく気に入った王は配下の者に命じ、城を去る彼女に沢山の贈り物を与えさせた。程なくして、アイレーヌが自分の頂いた数々の物品を貧困に喘ぐ人々に無償で分け与えていたという話が城まで届いた。それを耳にした王は感嘆し、いっそう女性に対する想いを強くした。
やがて女性は王国を去った。それから暫く、アイレーヌの消息は途絶えることになる。彼女がどこで何をしているのか、王は女性の行方をたいそう気にしたものの、城を訪れた高名な旅人や諸国からの使者で、彼女の近況を知っている者は誰一人いなかった。
彼女が再び歴史の表舞台に姿を現すのは、それから暫く後のことになる。




