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26

「……なんだ?」


 僕達三人とは離れたところで友人と会話していたノルスが、呟きと共に入り口の方へ視線を送った。


「足音にしては妙だね」


 彼と同じく通路を見やったセディルは、険しい面持ちで口を開いた。


「さっきの奴が呼び寄せたお仲間じゃねえのか」


「いや」


 フォドの言に彼は首を振って、


「地面を踏みしめる、というよりは身を引きずりながら移動しているみたいだ。こちらに向かってきている相手が、人間とはとても思えない」


「じゃあ、人じゃなくて魔物?」


 たやすく辿り着いた発想を口にした途端、これまた簡単に連想出来る事が脳内に閃く。僕とフォドは互いに顔を見合わせて、


「もしかして」


「噂をすれば、ってやつか?」


 一方で依頼主はというと、


「あわわわ……」


 慌てたような声を発し、視線をせわしなく上下左右に動かしていた。


「なにオドオドしてんだよ。やっと、お待ちかねの標的に出会えるかもしれないんだぜ」


「じゃ、じゃが。ここに来られると、うち達の逃げ場が無いじゃろう」


 メノの言う通り、このホールから出る現状唯一の通路は長い一本道となっていて、相手がそこを通って接近している以上、僕達が安全に逃げる事の出来る退路は皆無だ。何者かが出ていった隠し通路を用いれば逃走は容易だろうが、残念ながら誰も使用方法を知らない。


 従って、今の僕達は、猫によって袋小路に追いつめられた鼠も同然だった。


「とにかく、こうしてジッとしているわけにもいかないよ。こちらに戦闘を避ける手段が無い以上、体勢だけは整えておかないとね」


 そう言って、将来を有望される少年騎士は長槍を握りしめながら通路の入り口に立った。俊敏な身のこなしの盗賊と堅実な技量を誇る勇者もまた、彼の両横に立つ。黄金の甲冑を、対を成すような漆黒と真紅のマントが挟んでいた。


 僕はというと、彼らから少し離れた位置で大剣を構え、メノはその僕の背にしがみつくようにして隠れた。


「あの、メノさん」


 服を掴まれ、身を反らすような格好になっていた僕は、たまらず彼女に呼びかけた。


「そんなに引っ付かれたら、いざって時に動けないよ」


「ん……そ、そうじゃな。すまなかったのじゃ」


 か細い声が耳に届いたのと同時、小さな手が服から離れていくのを感じた。その口調に秘められた怖れを感じ取って振り向くと、そこには俯く小さな女の子がいた。女の子という表現は適当ではないのかもしれないが、いつもは明るい気性である彼女の不安そうな表情は、その幼さを残した体を、思わず守ってあげたくなるようなか弱さで包んでいた。


 ――大丈夫だよ、僕達がついてるから。


 年の差も忘れ、思わずそう声を掛けようとした時、


「お、ガキらしくビビってんのか?」


「ば、馬鹿を言うでない! 全然ビビってないのじゃ!」


 にやけ顔で振り返ったフォドの軽口に、メノは勢いよく顔を上げた。


「大体、子供扱いは止めろとさっきから言っておるじゃろ!」


 頬を真っ赤にして反論する彼女の動作に釣られ、紫色の癖毛が様々な方向にピョンピョンと飛び跳ねた。


「おー、それだけ元気があるなら大丈夫そうだな」


「当たり前じゃ!」


「メノさん、僕達が負傷した際は治療薬をお願いします」


 激しく火花を散らし合う二人の会話に割り込むようにして、ノルスが言った。


「いざという時は貴女だけが頼りですから」


「も、勿論じゃ! 大船に乗ったつもりでいるのじゃ!」


「大船ってよりはむしろ小舟……」


 フォドの口から発せられようとしたからかいの言は途中で切れた。何者かの発する移動音が耳にハッキリと聞こえてくるほどまで大きくなっていたのだ。相手は、僕達まで後少しというところまで迫ってきている。


 大剣を握る両手に、自ずと力がこもった。誰もが暗闇の支配する通路の奥を凝視していて、何れやってくる来訪者の物音に耳を澄ませていた。前線役を務める三人は瞬きもしないほど集中していて、後ろにいるメノは再び僕の陰に隠れていた。


 ――もし戦いになったら、セディル達を援護しながらメノを守らないと。


 緊張感が徐々に高まっていき、首筋を冷たい汗が伝う。息をゆっくりと吐いて気持ちを落ち着けつつ、僕は戦闘に入った際の自分の役割を心中で反芻した。


 全員の微かな呼吸音が、静まり返ったホールに反響する。


 そして遂に、来訪者の影が、闇の向こう側から這い出てくるようにして、その風貌を露わにした。見る者全てを戦慄させるような、通路の天井まで届くほどの巨体。怪しく黒光りしている鱗の下地を裂くように彩っている、毒々しい黄の模様。口から出されている真っ赤な舌は細長いとはいえ人間の男に巻き付けて丸飲みするには十分なサイズで、その端から突き出している一対の牙も恐ろしいほどに大きく、鋭い先端で貫かれれば大人でもタダでは済まないだろう。


 まるで、恐怖を周囲にまき散らす為に生まれたような、深淵の怪物。




 ――雷の大蛇。




 胸の内でメノから教えられた異名を呟いた時、背筋にゾクリと震えが走った。

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