6
ごく一般的な一軒家の扉を叩くと、ごく普通の中年女性が出てきた。
「失礼ですが、どなたでしょう?」
「あの、依頼を目にしてやってきたんですけど」
「え……」
最初、女性は訝しげに僕を見つめていた。恐らく、魔物退治なんて出来そうにないと思ったのだろう。だが、僕が少し幅広の剣を片手で軽々と持っている事に気がつくと、途端に顔つきが変わった。
「ああ、はい。どうぞ中に入って下さい」
女性の後に続き、僕達は玄関から居間へと通される。そこで案内役はごく普通の中年男性へと変わった。恐らく、二人は夫婦に違いない。
「いや、最初に見た時は本当に驚きましたよ」
地下へと続く階段を下りながら、彼は苦笑しつつ話し出した。
「秘蔵のワインを飲もうかと思ったら、床一面にウジャウジャとね。いつからいたかは分からないのですが、以前に何度か、地下室のドアを開いたまま外出してしまった事がありまして。多分その時に入り込んだんだと思います」
「一体、どんな魔物なんだ?」
「それは見ればすぐに分かりますよ。多分、そんなに危険な種類ではないと思うんですが、一般のそれと体の色が違ってて……そういう生き物って、何だか不気味じゃないですか。だから、怖くて手出し出来なかったんです」
男性が喋っているうちに、僕達は階段の一番下まで到着する。突き当たりには木製のドアがあった。男性はノブに手を掛け、
「それでは、開けてよろしいでしょうか?」
「急に飛びかかったりはしてこないのか?」
「その点は心配ありません。気性が大人しい生き物なので」
僕達の同意を得た後、彼はドアノブを回し、扉を開く。途端、地下室内部の惨状が目に入ってきた。そこらかしこにワインボトルの破片が散乱し、床は赤紫色の液体でびっしょりと濡れている。
そして、そこら中でプルプルと蠢くゼリー状の生き物達の姿を目の当たりにした時、僕は発狂した。
「ぎゃあああああ!」
「どうなされました!?」
「お、おい! そんなにビビるなよ!」
絶叫する僕を、フォドが後ろへと引きずっていく。低級魔物の大群が視界から消えた事で、僕は正気を取り戻した。フォドが耳元で、呆れた風に口を開く。
「落ち着けって。たかが、スライムじゃねえか」
「……ちょっと、苦手、でさ」
僕は息苦しさを感じつつ、途切れ途切れに答える。そう。地下室に蔓延っているのはスライムの群れだったのだ。
「スライムが苦手? 珍しい奴だな、お前って」
「い、色々あってさ」
――何度も殺されたら、そりゃあトラウマになるよ。
謎のダンジョンで幾度もやられた経験が脳裏に蘇り、僕は自然と身震いした。
「あの……依頼は受けてもらえるのでしょうか?」
家の主が不安そうに問いかけてくる。フォドが慌てて、
「あ、いや。俺は平気だから問題ないぜ」
と答えると、彼は安堵の息をついて、
「そうですか、良かったです」
「けどよ、本当に普通のスライムか? あれ?」
フォドが眉をひそめて、部屋の中に視線をやる。彼の言う通り、室内の魔物は一般的なそれとは異なる特徴を持っていた。さっき男が告げていたように、それは体色である。普通のスライムは青いのだが、目の前の彼らは床一面にぶちまけてあるワインと同様のカラーリングをしていたのだ。
「さあ……私にもどうしてかは分かりませんが」
男は不思議そうに頭を傾げ、
「多分ワインを飲んで繁殖したからではないでしょうかね?」
「毒、持ってたりはしませんよね?」
恐る恐る訊ねると、彼は首を横に振って、
「はい。それが気がかりで依頼を出したのです」
「ま、多分大丈夫じゃねえか? 遠くから一匹ずつ駆除していけばどうにかなるだろ」
フォドは腰の短剣を抜いて、僕の方を振り返ると言った。
「とにかく。とっとと片づけてしまおうぜ」
それから。家の主が見守る中、僕達は依頼に取りかかった。正直、おぞましいゲル状の物体に近づきたくもなかったのだが、フォドだけに駆除を押しつけるわけにもいかない。とはいえ、やはり近づきたくはなかったので、僕は剣の先っちょでツンツンと魔物を突いて駆除する事にした。弱小の魔物だからか、はたまたトラフェールの剣に秘められた魔力の所為なのか、数回つつかれたスライムは面白いくらいパチンと音を立てて弾けていく。周囲に飛び散る体液が僕にもかかったのだが、幸いな事に毒が僕の全身を蝕む事はなかった。どうやら、体の色は本当にワインを栄養源にしていたせいらしい。また、僕の地味な作業とは裏腹に、フォドは二本の短剣をまるで舞うように振るい、実に鮮やかな手際で魔物を処理していった。
ほぼ半日を費やした結果、無事にスライム退治は終了した。僕達は夫婦からお礼と報酬の五千ゴールドを受け取った後、彼らの家を後にする。もう辺りも暗くなっていたので、僕達はそのまま宿へ帰る事にし、通りを歩き始めた。
こうして、長く続くだろう借金返済生活の、記念すべき一日目の依頼は終了したのだった。




