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「魔法の……イメージですか」
「そうよ。でも、実際に見せた方がやっぱり分かりやすいわよね」
今から私が魔法を唱えてみせるから、よく見てなさい。そう告げた後、イルラミレは僕から少し離れた位置まで歩き、そして止まった。若々しい緑色をした野草達が、彼女の足下で風にそよいでいる。美しい黒髪を穏やかに揺らし、草原の真ん中に一人立っているイルラミレの姿は、その優れた容貌と特異な服装も相まって、どこか幻想的な気分を僕に抱かせた。深く深呼吸をした彼女は、穏やかに目を閉じる。その瞬間、空気がピンと張りつめたような気がした。やがて、イルラミレはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。彼女の詠唱は朗々としていて聞き取りやすかったので、僕は手元の紙切れでその内容を把握しながら様子を観察する事が出来た。しばらくして、彼女の足下が光輝き、そこに複雑な紋様の魔法陣が形成されていく。前にセティが作り出したそれと、ほとんど同じ形をしているように思われた。ただ一つ明瞭に異なる点は色で、セティの場合は魔法陣の光が煌めく赤だったのに対し、イルラミレの場合は目映い茶色をしている。
魔法を唱える速度と関係しているのか、魔法陣の生成も呼応するかのように遅めだった。しかし、彼女の艶めかしい唇が着実に詠唱を進めていくにつれ、その光はだんだんと強さを増していく。
――何だか、凄いな。
目の前に雰囲気に圧倒され、僕はゴクリと唾を飲んだ。
遂に詠唱も佳境に差し掛かる。イルラミレが両目を開き、そのほっそりとした女性らしい右手を前に向けてかざす。
そして、彼女が最後の言葉を呟いた、まさにその瞬間。魔法陣が一際眩しく輝いたかと思うと、開かれた彼女の掌から、赤ん坊程度の大きさをした岩が出現した。それはしばらく宙に浮かんでいたが、イルラミレが右手を下ろした途端、まるで糸が切れたように落下し、大きな音を立てて地面に転がった。いつの間にか、彼女の作り上げていた筈の魔法陣も消滅してしまっている。
「どう?」
「とっても凄いです!」
振り向いた彼女に対し、僕は素直な賛辞の言葉を掛けた。
「ふふ、ありがと」
イルラミレは笑顔で僕に近寄り、
「でも、しっかりと練習さえすれば、レン君もこれくらいの魔法は簡単に唱えられるようになるわよ。岩を作り出すだけじゃなく、前に飛ばしたりもね」
「はい、頑張ります!」
僕の口から飛び出した大声は高揚感のせいか、普段より些か上擦っていた。この魔法さえマスターすれば、セディルとの戦いで多いに役立つ事は間違いなしだ。勝機が、僅かながらも見えてきたような気がする。
「それじゃあ、これから何をするかだけど」
どんな試練を言い渡されるのか、自然と身を強ばらせつつ、僕は次の言を待った。
「レン君には今から、瞑想をしてもらうわ」
「……瞑想、ですか?」
「そうよ」
イルラミレの話は、こういうものだった。これから大会まで、僕はこの草原で二人から指導を受ける。午前中は剣の特訓をワズリースと、午後からはイルラミレと魔法の訓練だ。至難相手の都合がつかない場合、その時間帯は自主練習だ。ただ、イルラミレもワズリースもそこまで暇なわけではないので、自然と一人の鍛錬が多くなる。そこで、彼女はまず僕に一人でも行えるような練習方法を教えるつもりらしい。やり方は実にシンプルで、草原の木に背を預けて座り、両目を閉じて岩を作り出すイメージをひたすら思い浮かべるというものだ。
「二人でいる時は他の練習をするつもりだから、絶対にサボっちゃ駄目よ」
イルラミレは念を押すような口調で、練習の説明を締めくくった。
「ただ頭の中で想像するだけだから簡単だって思うかもしれないけれど、これはかなり重要な訓練なんだから。気を引き締めて行う事。いいわね?」
それから、過酷な修行の日々が始まった。ワズリースの鍛錬は初心者の僕に対しても容赦なく、いつも彼の指導が終われば、僕は草原から身を起きあがらせる事が出来ないくらい疲弊していた。僕の力では木刀ですら振り回すのに苦労してしまい、程なくして両手が筋肉痛に見舞われるほどだった。彼が稽古を二日連続で行おうとしないのは、僕の身体面を考慮すれば英断のように感じられた。
昼食と休憩を取った後、午後からは魔法の鍛錬になるのだが、こちらはどちらかというと楽な方だった。イルラミレが僕に課す練習は意味不明ではあるが苦痛を覚えるようなものではなく、僕は体を休めながらそれらを行う事が出来た。しかし、厄介なのは一人で行うよう命じられた訓練だった。岩の姿を頭の中で想像する事は当たり前ながら容易だったのだが、果たしてそれが自分にとってプラスになているのか分からないのだ。時折、彼女から受け取った紙切れの文章をこっそり唱えてはみたのだが、僕の意志に反して、足下に魔法陣が作られるといったような事は起こらなかった。
そして。剣術にも魔法にも殆ど成長が見られないまま、数日が経ったのだった。




