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「え……」
――実の子供じゃ、ない?
予期せぬ事実に面食らい、僕は言葉を失ってしまった。固まったままの僕に対し、ワズリースは食べ終えたらしいキャンデーの棒を机の傍に置かれていたゴミ箱の中に軽く放った。そして思案するように軽く握った手を口元に当てた後、
「……そうだな。君には話しておいた方が良いかもしれないね」
と、僕をその穏やかながら鋭さを秘めた眼差しで見つめながら言った。
「その、どういう事なんですか?」
未だ動揺している中、僕は訊ねる。すると、彼は遠い目をして窓の外を眺めながら、過去を語り始めたのだった。
ワズリースがミレナと出会ったのは、彼がまだ修行中の身であった青年時代らしい。各地を旅していた頃、とある賊達を退治したワズリースは、彼らの拠点だった洞窟内へと足を踏み入れた。そして、略奪品の山々に埋もれるようにして泣きじゃくっている、一人の女の子と出会った。保護した少女がしゃくり上げながら語ったところによると、彼女は元々、とある村で両親と共に幸せな毎日を送っていたらしい。しかし、村を突如襲った略奪者により、女の子は両親と引き離され、このアジトまで連れてこられた。盗賊達の話を盗み聞きしている限りでは、どこかに高値で売られそうだったのだという。当初、ワズリースは少女を家族の元へと送り届けようとしたのだが、既にそこは凄惨な焼け野原と化してしまっていて、誰一人として生存者は見つからなかった。周辺の村々で訊ねても両親の情報が得られなかった事もあり、彼はその女の子を自らの娘として引き取る事にしたのだった。
「その女の子がミレナ……なんですか?」
「その通りだ」
呆然としながら口にした言葉に、ワズリースはゆっくりと頷き、
「けど、ミレナという名前は僕がつけたものなんだ」
「……え?」
思わず疑問の声を発する僕に対し、彼は再び説明を始める。長い監禁状態にあった女の子は、多大なストレスを受けた事により記憶の殆どを失った状態だったそうだ。先ほどの彼女の出生に関する情報は、彼女の脳内に微かながら残っていたものらしい。
「じゃ、じゃあ」
とある事実に思い当たり、僕は心を乱しながらも声を発する。いつの間にか溶けきったキャンデーの残り棒が床に落ち、僕は慌ててそれを拾い上げてゴミ箱に落とした後、ワズリースに向き直って口を開いた。
「ミレナも僕と同じ……?」
「うん、そういう事になるね」
あっさりと肯定するワズリース。一方、僕は信じられないような話を聞き呆然としていた。しかし、それでもなお、先ほどから生じて止まない疑問は休む事なく脳裏をよぎってくる。
「あ、あの」
何度目かも忘れてしまった質問を、僕は口にした。
「どうして、僕なんかに、その。そんな大事な事を教えてくれたんですか?」
いくらずっと一緒に旅していたとはいえ、ミレナと出会ってまだ半年も経っていないのだ。それを分かっている筈なのに、ワズリースは僕に先ほどの話を告げた。その理由が、どうしても分からなかったのだ。
「そうだね……」
彼はすぐに返答せず、しばらく視線を宙に泳がせた。その様子からして、何となく彼もまたハッキリとした正解を見つけられず、言葉に迷っている様子だった。やがて、視線を僕に戻したワズリースは、どこか意味ありげな瞳で僕を見つめながら、微笑みを湛えて言う。
「……親としての勘、かな? 君と話をしてる時、ミレナが普段より優しそうな目をしてると思ってね」
「……え?」
――優しそう?
またもや、心中が困惑で一杯になる。しかし、僕はその気持ちを一旦は隅に置いておく事にした。他にもまだ、大きな疑問が残っていたのだ。
「も、もう一つ聞きたい事があるんですけど。今まで、どうしてイルラミレさんに頼まなかったんですか? ミレナの記憶を取り戻してもらえるかもしれないのに」
「ああ、実は僕も同じ事を考えてたんだよ。けど、彼女に反対されたんだ。その時、彼女はこう言ってたよ」
ワズリースは万感のこもった息をつきながら、
「『失ったままの方が良い事もある。特に辛い記憶に関しては尚更だ』ってね。だから、ミレナにはその魔術をまだ受けさせない事に決めたんだ。彼女が自分から記憶の事について知りたいと言い出さないうちは、過去に関しては思い出させないようにしようってね」
「そう……だったんですか」
知りたかった事も尽き、僕はようやく口を休ませる事が出来るようになった。しかし、頭は絶えず働き続けていた。様々な事実を聞き、少なからず僕は混乱してしまっていたのだ。
やがて、ワズリースが窓に視線をやってポツリと洩らす。
「そう言えば、ミレナはまだ帰ってこないのか。随分と遅いな」
ハッとして外を見ると、すっかり日が暮れてしまっている。今まで気がつかなかったが、灯りをつけていない部屋の中も随分と薄暗くなっていた。
「ここで待ってて下さい。僕、呼んできます」
「私もついていこうか」
「いえ、大丈夫です」
今は一人になりたい。そんな一心からワズリースの申し出を断り、僕は部屋を後にした。




