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「なるほどね……」
僕が全ての話を終えた後、ワズリースはしみじみといった口調で、
「本当に色々、あったわけだ。君も相当、苦労しただろう?」
「そうですね、アイスベアーと遭遇した時は本当にどうしようかと……」
「いやいや、そうじゃなくてだね。私の娘に、さ」
「へ?」
予想外の言葉に目を丸くする僕に対し、彼はフフと吹き出しながら、
「ミレナは結構、我が強い所があるからね。君も相当、振り回されたんじゃないかなと思ったんだ。どうかな?」
「あ……」
全くもって図星中の図星ではあるのだが、すんなりと同意を述べるのも何となくはばかられる。どう答えようか迷っているうちに、ワズリースは笑いの息を洩らした。釣られて僕の口元も弛んでいく。どうやら、察しの良い父親には色々と感づかれていたらしい。
「やっぱり迷惑をかけているようだね」
「いえ、迷惑ってほどの事でもないです」
「まあ、何か度が過ぎた事があれば遠慮せず私に言いなさい。子の責任を持つ親として、力になるよ」
「は、はぁ」
その時、前から感じていた疑問が、僕の脳内に降って湧いてきた。
「そういえば、ずっと気になってたんですけど。どうしてミレナって、一人で旅をしてるんですか?」
「ん、それは剣の修行の為なんだが……」
ワズリースはあっけんからんと言った後、表情を暗くして言葉を続ける。
「まあ、確かに一人旅するには若すぎるとは私も思ったよ。いつかは必ずとは思っていたが、こんなに早く過酷な修行に身を費やす事もないんじゃないか、ってね。しかし……私も何度か説得したんだが、全然聞き入れてもらえなかったんだ」
本当に頑固な娘だよ。深い嘆息を吐きながらワズリースは遠い目をして再び窓の外へと視線を移す。端正なその横顔を見つめながら、僕は更に質問を重ねた。
「でも、いつかは必ずって事は、成長したら一人旅に出すつもりだったって事ですよね」
「そうだね」
「どうしてなんですか? ミレナって一応は女の子ですし、一応はまだ僕と同じくらいの年ですし、修行とはいっても一応は傍にいてあげた方が良かったんじゃ」
僕の言葉にワズリースはクスリと笑いながら、
「なんだか、一応が多いね」
「あ……」
無意識のうちに、心配とは真逆の感情が文章に表れていたらしい。
「まあ、それは置いといて……君の質問に答えなきゃいけないか」
彼はゴホンと大きな咳払いをした後、先ほどまでとは打って変わって真剣な面持ちを浮かべ、口を開いた。語られた説明によると、ワズリースの一族は先祖代々にとある剣術を継いでいるのだそうだ。そして、その技の数々は一朝一夕ではとても身につける事の出来ないようなものばかりなのだという。なので、彼もまた少年時代に両親から一人で修行を行う事を命じられ、そして実際に孤独な長旅を行ったのだそうだ。尤も、その時は今のミレナよりは年を取っていたらしいが。
更に話された壮絶な体験の数々を耳にし、僕は驚愕に目を大きく見開かざるを得なかった。それだけ衝撃的な内容ばかりだったのだ。
「……ざっと話せばこんな感じかな」
彼はおどけるように肩を竦めつつ言葉を続ける。
「だから、いつかはミレナにも同じような経験をさせなければとは思っていたんだよ」
「そうだったんですか……」
「まあ、さっきも言ったように私自身、不安を感じてはいたんだが。本人が全く聞き耳持たずでね」
ワズリースはガックリとうなだれて、
「確か最初に旅に出ると告げられたのは、町で小さな女の子達に飴を配っている途中だったかな。何故かもの凄い剣幕で怒鳴ってきたから、その子達が泣き出しちゃって大変だったよ」
「そ、それは災難でしたね……」
この時、僕は悟った。ミレナがどうして一人旅したいと言い出したのか、その明瞭な理由を。そして同時に、ある事をふと思いつく。
「でも、奥さんは反対されなかったんですか?」
剣術の継承者であるワズリースはともかく、ミレナの母親は恐らく普通の人であった可能性が高い。過酷な修行に縁のない人生を送っていたのなら、大事な娘を旅に出す事に猛反発くらいはした筈だ。
しかし、僕の質問に対する彼の返答は予想し得なかったものだった。彼は小さく首を横に振りながら、
「いや、私に妻はいないよ」
「え……?」
ワズリースの言葉を聞き、僕の胸には困惑の感情が広がっていく。僕が抱く動揺の気持ちが口に出さずとも伝わったのか、彼は複雑そうな表情を浮かべる。静けさが広がる室内に、窓の外から人々の賑やかな叫び声が場違いにも響きわたっていく。しばしの沈黙の後、ようやく声を取り戻した僕は再び訊ねた。
「その、それじゃあミレナって……」
様々な疑念や憶測が、意識していなくても心の中に芽生えていく。ワズリースはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく息を吐き、ボサボサの髪を弄くった後、重々しい口調で、驚愕の事実を告げたのだった。
「私は……ミレナの本当の父親じゃないんだ」




