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「安全な裏道?」
僕がオウム返しに訊ねると、セティは小さく頷いて、
「うん、危ない奴らに殆ど出くわさずに街まで帰れる凄い抜け道だよ……いつもなら」
「その『いつもなら』って言うのがちょっと引っかかるんだけど」
「いや、えっと、実はね」
彼女はぎこちない笑顔を浮かべながら頬を掻いた。
「今は問題があって、少し危険なんだ。まあ、ちょっと通り抜けるくらいなら問題ないと思うよ」
「そんな曖昧な」
「けど、ほら。怖いおじさん達に絡まれるよりはマシでしょ? そっちなら城の奴らもいないだろうから、あたしもついていけるし」
「うっ……」
僕は言葉に詰まる。一人であの薄暗く小汚い街道を歩いて戻るよりは、彼女と一緒に『普段なら安全な裏道』とやらを進む方が気持ち的に楽だろう。考えた末、僕は渋々頷いた。
「分かったよ。それで、その場所はどこなの」
「こっちだよ」
手でついてくるよう促しながら、赤髪の少女は家に大きく空いた穴から外にでて、そのまま道の方へと歩いていく。慌てて僕も彼女の後に続き、廃屋を後にした。
――それにしても、酷い所だなぁ。
小さなビスケットを取り合って喧嘩をしている痩せがちの子供二人。道の傍らに座って物乞いをしている青年。木に寄りかかっていて、眠っているのか亡くなっているのか分からない白髪の老人。彼女と並んで寂れた街道を歩いていくと、嫌でも荒んだ光景がちょくちょく目に入ってくる。何人もの人々が僕の事を興味深そうに眺めていたが、ちょっかいをかけてくる者は皆無だった。ひょっとすると、セティが側にいたからかもしれない。ここに住まう人達は彼女の事をよく知っている様子で、何人かは親しげに声を掛けていた。
「あのさ」
しばらく歩き続けた後、セティがおもむろに話しかけてくる。その口調が若干の刺々しさを含んだものだったので、僕は一瞬ドキッとした。
「そういう眼差しは、ちょっとやめてほしいんだけど」
「……え?」
彼女の発した言葉の意味が分からず、僕は自然と戸惑いの声を上げてしまう。そんな僕をチラッと見て、彼女は小さく息を吐きながら言葉を続ける。
「いやー、まあ。あんまり自覚ないみたいだし、キツく言いたくはないんだけどさ。あんまり、心地良いものじゃないのよ。ここに住んでる身としては」
「あっ……」
ようやく彼女が言わんとしていた事を悟り、僕は言葉を失う。一方、セティは慌てて取り繕ったような笑顔を浮かべて、
「ま、まぁ。分かってくれればいいから。ちょっと気になっただけだし」
「う、うん」
それからしばらく歩いた後、彼女は急に立ち止まり、自身の足下を指で示しながら口を開いた。
「ここがその『裏道』なんだ」
「ここって……それ、マンホールじゃない」
明らかに通行用の入り口ではない金属性の蓋を眺め、僕は困惑から呟く。一方、呆然とする僕を後目に、セティは慣れた手つきでマンホールを開くと、即座に下り始めた。
「おーい、早く来なよー」
地下から、姿の見えない彼女がそう呼び掛けてくる。
――行くしか、ないんだよね。
ゴクンと唾を飲み込み、覚悟を決めた僕は錆び付いた梯子を握りしめ、ゆっくりと下りていった。
一言で表現すると、下水道の中はひどく気味が悪かった。辺りは薄暗く、通路の前方は黒い霧がかかっているかのようにぼやけている。空気はやけにジメジメとしていて、肌に張り付くかのようだ。漂っている悪臭も目に染みる。側を穏やかに流れている水も底が見えないくらい濁っていて、それが得体の知れない不気味さを醸し出していた。一つだけ救いだったのは、一度上に戻ったセティがマンホールの蓋を元通りに直しても、僅かばかりの明るさが残っていた事だ。
「ねえ、そういえばさ。君の用事っていうのは何なの? 『アレ』がどうとかって言ってたけど」
梯子から飛び降り、僕の傍らに着地した彼女に、僕は訊ねる。
「ああ、その事ね」
セティは返事をしつつ足を前に踏み出し、僕も彼女に並んで下水道を歩き始める。微かに流れている風を受けてか、混濁している水面が震えるように波打った。
「ここって街へ行くのに便利だから、よく子供達が通って遊びに行くのよ。ほら、大人達は普通に歩いていけばいい話だけど、小さい子達はあんたみたいにあちこち出歩くのは危険でしょ。だから、こっちの方を移動に使うわけ。だったんだけど……」
「何かあったの?」
先を促すと、セティは険しい顔つきになりながら、言葉を続ける。
「この前、誰かが怪物を見たって言い始めてね」
その物騒な物言いに僕は目を見開いた。最初は叫ぼうと大きく口を開いたのだが、それが何かに聞こえたらと思い直し、小さな声で恐る恐る質問を重ねる。
「か、怪物? どんな?」
「それがねえ、人によって報告がマチマチでさ。ある子は水の中をでっかい影が泳ぎ回っていたって言うし、ある子は通路を図体のデカい化け物がのそのそ歩いていたって言うし」
「み、水の中……」
僕は戦々恐々としながらも、すぐ右手側に広がる水面へ目を走らせる。しかし、今は何もいない様子で、巨大な影と思しきものの姿は全く見受けられなかった。
ホッと一息ついて、僕はセティの後に続き、たどり着いた分かれ道をそのまま直進しようとした。
まさにその時である。
「あっ……」
左手の道の奥から、誰かの声がした。




