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「ねえ、宿まで後どれくらい?」
「もうちょっとって所ね」
僕達はミレナが以前に泊まった事のあるという宿を目指して、城下町の通りを歩いていた。やはり王国の中心という事もあって、人通りも多ければ出店も多い。ある所では怪しげな格好をしたピエロが今にも転けそうな危うい玉乗りで観衆を湧かせているし、またある所では紙芝居のお爺さんが語るお話に聞き入っている幼い子供達の姿があった。一般の町や村では普通見かけないような光景だ。
「うー、早く飯が食いたいぜ」
脂の弾ける音と共に漂う肉の香ばしい匂いを嗅ぎながら、フォドが落胆の声と共に腹を撫でさすった。
「だからさっきも言ったけど、外で食べると高くつくのよ」
ミレナの話によれば、ここトルヴァーラでは物価が高い為、食事を外で済ませようとすればあまりに釣り合わない値段が掛かるのだそうだ。ただ宿に泊まれば幾分か安い料金でそれなりの食べ物を提供して貰えるので、僕達のような金のない旅人達はそこで朝昼夜の食事を済ませるのだという。そういう訳で、僕達は昼下がりの町を空腹に耐えながら歩き回っているというわけだ。
「なぁ、ちょっとくらい買い食いしていこうぜ。ほら、あの牛肉たっぷり焼そばって奴とか美味そうじゃん」
「後少しだから我慢してって……あれ?」
急に根が生えたようにミレナが立ち尽くす。
「ミレナ、どうしたの?」
僕が呼びかけるも、彼女は応答しなかった。僕の声が全く耳に入らない様子で、どこかを驚愕の表情で凝視している。僕は彼女の豹変を訝しく思いつつも、その視線の先を追った。
そこは通りの端っこだった。店の前に小さな女の子が立っていて、彼女と向かい合うようにして一人の男が立っていた。女の子の年齢は三、四歳くらいだろうか。背丈は低く、髪は短く切りそろえられていて、子供らしい洋服に身を包んでいる。一方、男の方は傍目から見て二十代後半くらいだろうが、妙な外見をしていた。まず体つきだが、痩せている割に身長が高く、何となくほっそりした木を連想してしまう。顔立ちは整っていて、柔和で優しそうな印象を受けるものの、腰の下辺りまで伸びきっているボサボサの黒髪がその清潔感を台無しにしていた。格好もどこか浮き世離れしていて、通気性は良さそうだがかなり目立つ黒白の衣装を身に纏っている。腰に剣の鞘をぶら下げている事から察するに、旅の剣士だろうか。
男は気さくな笑みを浮かべて、女の子に話しかけた。
「やあ、お嬢ちゃん、こんにちは」
「こんにちはー」
「こんな所で何をしてるんだい?」
「おかあさんをまってるの」
「へえ、お母さんは今どこに?」
「みせのなかでおかいものしてる」
「はは、そうかい。お嬢ちゃんは偉いね」
彼はおもむろに右手を伸ばし、女の子の頭を優しく撫でた。彼女はくすぐったそうに目を細める。男はそんな彼女の様子を穏やかに見つめ、
「そうだ、良い物をあげよう」
「いいもの?」
可愛らしく小首を傾げる女の子。男は彼女を撫でていた手を離すと、衣服のポケットをゴソゴソと漁り、やがてある物を取り出した。それは薄い包装を施されたハート型の虹色ロリーポップだった。
「はい、プレゼント」
「うわー、ありがとう」
男から差し出された棒キャンデーを女の子は満面の笑みを浮かべて怪しむ事無く受け取ると、すぐに包みを取ってペロペロと飴を舐め始めた。
「すっごくおいしい」
「ハハハ、何せすっごく高い店のだからね」
「おにいさん、ありがとう」
「いやいや、どういたしまして」
「……アイツ、めっちゃ怪しくないか」
僕の心中を、見事にフォドが代弁した。僕は彼の問いかけに頷く。
「うん、今にもあの女の子をさらってどこかに行きそう」
どう好意的に見ても、不審者である事に間違いはないだろう。
「でもミレナさん、どうしてあの人が気になってるんですか? ミレナさん?」
エリシアが呼びかける声も聞こえていないらしく、ミレナは呆然と、というよりは顔をひきつらせて彼らを見つめていた。やがて、店から一人の女性が両手に買い物袋を下げて出てきた。
「ユーちゃん、待たせてごめんね。あら」
どうやら女性は女の子の母親だったらしい。彼女はすぐに警戒の目つきを男に向ける。
「おかあさん、おかえり」
「ただいま。ねえユーちゃん、この人は?」
自身に抱きつく女の子の背を軽く撫でながら、緊張感を滲ませた声色で母親が訊ねる。
「おにいさんとはさっきまでおしゃべりしてたの。これもくれたんだよ」
手に持っている食べかけのキャンデーを振り回しながら、女の子が答える。途端、母親の顔が強ばった。恐らくは僕とフォドが抱いたのと同じ印象をあの男に感じたのだろう。
「あら、そうだったの。どうも、娘がお世話になりました」
「いえいえ、お構いなく」
明らかに他人行儀な挨拶で頭を下げる母親に、男は朗らかな態度を崩さずに礼を返す。その後、
「さ、ユーちゃん。行くわよ」
と、母親は女の子の手を引いて早足にその場を立ち去っていった。
「おにいさん、あめだまありがとーね!」
少女の元気な別れの叫びに、彼は静かに手を振って答えていた。




