19
気がつくと、僕は見知らぬベッドの上に寝かされていた。
「あれ……」
不思議に思いながらも上体を起こそうとした所で、頭がズキリとした。身体の節々に残る鈍い痛み、そして左肩の激痛を感じて、僕は再び枕の上に後頭部を乗せる。ふと視線をあると、僕の左肩には包帯が巻かれていた。多分、ゲルーテの毒が未だ全身を蝕んでいるのだろう。けれど、それならどうして僕は生きてこんな所にいるのか。僕は倒れる前の記憶を呼び起こす。ミレナに剣を投げ、そして寄生体から攻撃を受けた。一度目ならまだしも、二回猛毒を浴びたのだから、僕は絶命していてもおかしくない筈だ。
よくよく周囲を見回してみると、僕がいるのは木で出来た家の一室らしい。出発した村だという事は、容易に察しがついた。という事は、僕の命は助かったのだろうか。けれど、何故なのだろう。
疑念を抱いたまま視線をさまよわせていると、ベッドの側にあった小テーブルの上に、小熊のぬいぐるみが置かれているのに気がついた。無造作に手にとって、じっと眺める。子供向けに可愛らしくデフォルメされたその顔をじっと見つめていると、心がだんだん落ち着いてくる。それにどこか、懐かしい感じがした。どうしてかは分からないけれど。
「うわー、アンタってそういうの好きなわけ?」
「え」
聞き慣れた声がして、僕は慌てて顔を上げる。部屋のドアが開いていて、その扉の後ろ側からミレナが顔を覗かせていた。何ともまあ、悪魔のような笑顔である。
「もしかして、趣味? 気に入ったとか?」
「べ、別にそんなんじゃないよ」
「ふーん、まあ別にどっちでもいいけど」
バタンとドアを閉め、ミレナがベッドの側まで歩いてくる。先ほどまでは見えなかったが、彼女は水の入ったコップと野菜スープのお椀、それにスプーンの乗ったお盆を手に持っていた。彼女はそれらをテーブルの上に置いて、ふうと息をつく。
「アンタが起きてくれたから、これでアタシもやっと楽になれるわよ。全く」
「楽って何が?」
「べーつに。なーにも」
僕の質問に、彼女は軽く頬を染め、唇を尖らせてそっぽを向く。その動作が意味する事を全く理解出来ず、僕は困惑した。
「あのさ、ここってクレサ村だよね」
「そうよ」
彼女は未だに何故かむくれて突っ慳貪に返答する。その意味不明な態度に戸惑いながらも、僕はおずおずと質問を続けた。
「実は僕、どうしてここにいるか全く分からないんだけど」
「あー、そりゃそうね。ここで三日も寝てたんだもの」
「三日!?」
予想外の日数に、僕は驚愕した。
「ちょっと、いきなり大声出さないでよ」
「う、ごめん」
「ちょっと長くなるけど、まあアレから色々あったのよ」
頬を掻きながらそう前置きして、彼女は説明を始める。その話によると、僕が倒れてから、ミレナは弱った寄生体を切り捨てて、その息の根を完全に止めたらしい。その後、愛用の剣を取りにいったついでに他のウィーヌ草も発見し、彼女達三人は急いで村へと戻った。知識のある村人がウィーヌ草からゲルーテの毒を癒す薬を調合し、それを僕と女の子に飲ませたらしい。女の子の方はすぐに回復して目を覚ましたらしいのだが、僕の方は三日三晩眠り続けていたという事だ。
「それにしても、アンタって」
ミレナが不思議そうに眉を潜めつつ、再び僕を見つめる。
「意外に体が丈夫なのね」
「丈夫?」
「ゲルーテの毒を食らってるのに、こうして生きてるって事」
彼女は肩を竦めて、
「掠り傷ならともかく。あの牙で肩を貫かれた上で爪に切り裂かれてるんだから。普通の人なら死んでるってノルスが言ってたわよ」
まあ、その事はどうでもいいけど。そう呟きながら、彼女は人差し指でテーブルの上のお盆を示した。
「とにかく、目が覚めたんだから。これ飲んで、しっかり休むのよ。いいわね?」
「う、うん」
もの凄い剣幕でまくし立てられ、僕は反射的に頷く。それを確認した後、ミレナは荒々しい足取りで部屋の入り口へと向かっていき、ドアノブに手をかける。すぐに出ていくと思っていたのだが、意外な事に、彼女は何故か立ち止まった。
「ミレナ……?」
物言わぬ後ろ姿に、僕はおずおずと声を掛ける。返答はすぐにされなかった。そのまま、しばらく時間が過ぎる。チュンチュンと、外で小鳥がさえずるのがやけにはっきりと聞こえた。
「別に助けが必要だったってわけじゃないけど……」
こちらを向かずに、彼女が喋り出す。相変わらず、ぶっきらぼうな口調だったが、いつもよりもどこか大人しげだった。
「一応言っておくわ」
声のトーンとは裏腹に、彼女は強くドアノブを回し、そして扉を開く。そこからまた、一瞬の静寂。すう、と彼女は小さく深呼吸を行い、そして。
「ありがと」
たった四文字の言葉を早口な口調で淡々と告げた後、彼女は部屋を後にした。入ってきた時と同様、バタンという大きな物音がする。少し時間が経ち、ようやくテーブルの上のお盆に手を伸ばした僕の耳には、足早に遠ざかっていく彼女の靴音がずっと残り続けていた。




