18
僕は驚きながら目の前に放置されている色褪せた宝箱を凝視した。どうしてこんな所に、と一瞬思ったが、すぐに大して不思議ではない事に気がつく。ここは森の最深部で、村の猟師すら立ち入る事の無い場所だ。冒険者だって滅多に来ないだろう。目立たない場所にあった為にずっと人から発見されず、長い年月を放置され続けていた宝箱の一つや二つ、あってもおかしくない筈だ。
――とにかく、これはチャンスだ。
思いもがけない幸運に感謝しつつ、僕は宝箱へと手を伸ばす。もしかすると、この中には今の状況を打開出来る凄いアイテムが入っているのかもしれないのだ。音を立てて気づかれないように注意しつつ、僕はゆっくりと箱を開いて中身を確認する。
――これって……剣?
そう、宝箱の中には一つの剣が納められていた。ミレナの愛用している細身の剣や、ノルスの使っている標準的な剣よりも幅が広く、彼らのそれよりすこし長めのように思える。特に印象的なのはその色だった。彼ら三人の使っている剣はどれも銀色の光沢をしているのだが、僕の目の前にあるそれは鈍い茶色の輝きを放っている。泥で汚れているというよりは、剣そのものが輝いてみえる感じだ。
僕は自然と、その剣の柄に両手を触れ、そして握りしめる。
――あれ?
瞬間、僕は奇妙な感覚に襲われた。まるで、剣から溢れた温かい何かが僕の体内に溢れだし、そして全身を駆け巡っていくような、そんな感覚だ。すぐに消え去った感触に内心動揺を覚えつつ、僕は自然と剣を取り出そうと手に力を込める。
案外、軽々と剣は持ち上がった。
――え?
またもや驚き、瞳を見開く僕の目の前で宝箱は消失する。僕は握った剣を片手で左右に動かしてみる。たやすく武器は僕の要望に答えた。以前、僕はミレナの剣を借りてみた事があるのだが、いくら細身とはいえ金属で出来た武器は重く、僕はそれを振り被る事さえ出来ずに、彼女から爆笑されてしまったという苦い経験がある。だが今現在、僕の手元にある剣はどうだ。彼女愛用のそれよりも一回り大きいのに、僕でさえ片手で易々と扱える。もしかすると、特殊な材質が使われているのかもしれない。
毒に蝕まれた思考で何とかそこまで考えた、その時。戦闘の音が更に激しくなる。僕は慌てて振り向き、様子を確認した。二つの松明が地面に落ちていて、周囲の植物が轟々と燃え盛っている。ミレナの両手が空いている所から察するに、どうやら彼女が自身の持っていたそれらをゲルーテに投げつけたらしい。その攻撃が身を掠めたのか、敵の体には炎が燃え移っていた。植物と動物の身にはやはり堪えるのか、寄生体は悲痛な雄叫びを上げながらもの凄い速度で走り回っている。
やがて、自力で消火する事が出来ないと悟ったのか、ゲルーテはその顔をミレナの方へ向け、一際甲高い声を発しながら飛びかかった。せめて、自らに死をもたらした相手だけは道連れにしようという魂胆なのだろう。今の彼女は身を守る術を持たない。頼みの綱であるノルスとフォドは彼らから遠く離れた位置にいて、走り出してはいるものの救援には間に合わないだろう。
一番近くにいて、彼女にピンチを切り抜ける術を与えられるのは、僕しかいなかった。
「ミレナ!」
精一杯の大声を発しながら、僕は剣を抱えて隠れていた茂みから飛び出る。未だ猛毒の為に体中はズキズキと痛んではいるものの、気力を振り絞って僕は走った。
「これを使って!」
僕はミレナめがけて、力一杯に剣を放り投げる。彼女は驚きに満ちた表情を浮かべはしたものの、しっかりと僕の渡した剣を掴んで防御の構えを取った。そして、ゲルーテの爪は初撃の際と同様、彼女の身を傷つけるには至らなかった。炎に焼かれて力が衰えていた事も原因だろう。攻撃が不発に終わり、寄生体はよろめきながら地面に着地する。そして、千載一遇のチャンスを不意に終わらせた者、つまり僕に向かって再び加速した。
僕の耳には、三人が口々に逃げるよう叫んでいるのが聞こえていた。しかし、もう体が思うようには動かない。恐らく、さっきの動きで持てるだけの力を使い果たしていたのだろう。逃げるだけの力は、残っていなかった。
そして、僕の体に対し、再びゲルーテの一撃が加えられた。今度は牙ではなく爪だった、という違いはあるものの、猛毒が秘められた武器である事には変わりない。抵抗すら出来なかった僕は呆気なく後方へ吹っ飛ばされ、地面に強く打ちつけられて勢いが削がれるまで転がり続ける。ようやく自分の身体が静止した頃、僕は残りの力を振り絞って敵の姿を探した。ゲルーテは僕に止めの一撃を刺した後、自らも力尽きたらしい。その亡骸は地面の上で激しく燃え上がっていた。それを見て、僕は安堵の気持ちを抱く。
――これで、少なくともミレナ達は大丈夫だ。
安心感が満ち足りると、今度は強い睡魔が襲ってくる。その誘惑に逆らう気力も無く、僕の意識は深い奈落の底へと落ちていった。




