15
その幻想的なほど白く美しい野草は、暗く陰険な色をした無数の植物の中にひっそりと根を下ろしていた。ようやく森の奥までやってきた目的を果たした僕達は一斉に安堵の息を吐く。
「これを持って帰れば、あの子も助かるのね」
「さっさと摘み取ってしまおうぜ」
「うん、分かった」
フォドの提案を受け、僕はウィーヌ草の側にしゃがみ込む。土を少しかき分け、根っこの部分から慎重に掘り起こすと、僕はそれを丁寧に荷物の中へとしまい込む。
その時だ。僕の耳に、風を切るような音が微かに聞こえてきたのは。
「ねえ、今何か聞こえなかった?」
僕が呼びかけると、ミレナとフォドは怪訝そうな顔つきになり、互いに顔を見合わせる。
「アタシは何も……アンタは?」
「俺も聞こえなかったぜ」
「いや、確かに何か音がしたよ」
ノルスが神妙そうに顎に手をやりながら、口を開いた。
「あれはまるで、獣の足音のような」
彼の話を遮るようにして、甲高い獣の砲哮が周囲に響きわたる。恐ろしい叫び声を耳にして、僕は慌てて地面に置いていた荷物を手にとって立ち上がった。どうやら異変に気がついたらしいミレナとフォドもしきりに周囲に警戒の目を向けている。前者は松明を持っていない右手を剣の鞘にかけ、後者は既に短剣を抜いていた。
「ちょっと、今の何なのよ」
「魔物だろ」
ミレナが上げた戸惑いの声にフォドは即答し、
「けど、ちょっと今までの奴とは違うっぽいぜ」
と、目を細めて遠くを凝らしながら僕達に注意を促した。こうして会話をしている間にも、だんだんと地を蹴る足音は近づいてくる。僕達は誰からともなく背を向けあい、互いの死角をカバー出来るような体勢を取る。そして、いずれ現れるだろう襲撃者に備えて、神経を尖らせていた。
そして、ガサッという茂みを揺らす音と共に、ついに敵がその姿を現す。僕達は一斉に物音がした方向を向き、そしてほぼ全員が絶句した。
「何よ……アレ」
ただ一人、いつもの勝ち気な態度からは想像出来ないほど、自らの顔を恐怖心で歪ませているミレナだけがか細い声で呟く。彼女だけでなく、僕もまたそのおぞましい容姿を凝視して戦慄していた。恐らく、残りの二人も同じ気持ちだろう。
多分、僕達と相対している相手は本来、大柄な灰色狼だったのだろう。しかし今やその四肢には紫色の蔓が絡みついていて、背中にはそれらに加えて巨大な花びらが植え付けられたような状態で咲き誇っている。目玉は落ち窪んでいて、体中の至る所からウネウネと動く触手が表皮を突き破って姿を見せていた。元は別の色だっただろう鋭い牙や爪も、今やドス黒い青に染まっている。ノルスが口を開く前から、僕は目の前の敵の正体を何となく察していた。
「多分、村の子を襲った奴だろうね」
そう。僕達が相対しているのは紛れもなくゲルーテの寄生体だった。敵は低い唸り声を上げながらゆっくりと僕達の周りを旋回し出す。その様はまるでこちらの隙を伺っているかのようだ。狼自体の意識が残っているのかどうかは定かではないが、少なくともそれなりの知性を持った敵ではあるようだ。
「みんな、松明をアイツに向けて掲げるんだ」
真剣な口調でノルスが僕達に指示を出す。
「ゲルーテは植物だから、炎が弱点なんだ。花の部分さえ焼けてしまえば、寄生されている方も無力化出来る筈」
確かに敵はこちらの持つ松明を警戒してか、ずっと一定以上の間隔を保って移動している。
「けどよ、このままじゃ埒があかないぜ」
落ち着かない様子で告げるフォドに対し、ノルスはあくまで冷静な調子を崩さずに、
「今は闇雲に動かない方がいい。ゲルーテは寄生した相手の体にも毒を流しているから、あの狼に噛みつかれたり爪で引っかれるだけでアウトなんだ。無茶はせず、機会を待とう」
と、彼を諫めた。フォドは言い返そうとした様子だったが、やがて何も発せずに口を閉じる。待つのは性に合わないが、ノルスの言う通り、無闇な行動は避ける方が良いと判断したのだろう。
僕達と寄生体は無言で牽制しあい、そんな状態がしばらく続いた頃。その危うい均衡を崩してしまう出来事が起こった。別種の叫び声が聞こえてきたかと思うと、寄生体の現れた場所とはまた別の茂みから巨大な熊が姿を現し、僕達めがけて突進してきたのだ。
「ヤバい! 避けろ!」
いち早くその異変に気がついたフォドの大声のおかげで、僕達は散開してその突撃をする事に成功した。
だが、その行動はすぐにまた別の危機を僕達に与える事になる。ゲルーテもまた、ついに僕達に攻撃を仕掛け始めたのだ。最初に標的になったのは、奴に一番近い距離にいたフォドだ。
「げえっ!」
彼は小さな叫びを上げつつも、寄生体の繰り出した爪を横にひとっ跳びして何とか回避する。寄生体は突進した勢いを殺さずに再び地面を蹴り、新たな対象へと飛びかかっていく。自身に向かってくる敵に気がついた相手は反撃を試みようとするも、反応が一歩遅く。
ついにその鋭い毒牙が、獲物の腕に深く突き刺さったのだった。




