プロローグ
「あのね、きのう……」
草原の大杉の下で、二人の子供が話している……
と言っても、男の子が一方的に話しているだけで、女の子の方は聞いているのかいないのか、ぼーっと宙空を眺めている。
「それで兄ちゃんが…」
それでも男の子は話し続けている。
その時、女の子が口を開いた。
「そのときの?」
意味が分からなかったらしい男の子は首をかしげながら聞く。
「なに?」
「そのけが…」
指さした先には、左腕に巻かれた包帯。
「ああ、ちがうよ。これはさっき父さんと鍛練したとき、一回よけそこねて…」
一見無表情に見えるが、その紫色の目が包帯をじっと見ているのに気付くと、慌てて手を振りながら言う。
「だいじょうぶだいじょうぶ、全然いたくないよ。それにすぐ二人にやりかえしたから。」
「ふたり…?」
女の子の目が困惑を表しているのに気付くと、笑いながら、
「きょうから兄ちゃんもいれて2たい1なんだ。父さんが、いつもつまんないからって。一発いれたからすごい喜んでた。」
「…………。」
「……だからね。」
またあらぬ方向を向いた女の子だが、真剣味を帯びた声音に顔の向きをもどす。
「もっと強くなって、かなたちゃんが危ないときは、僕が助けてあげる。」
「…………」
「?」
「…いつでも?」
「うん」
「どこでも?」
「うん」
「…………」
「どうしたの?」
急に黙ったのを不審に思って顔を覗き込もうとするが、急に女の子が立ち上がったことに驚いて尻もちをつく。
「帰ろう」
そのままの体勢で見上げていたが、女の子の頬が赤くなっているのを見て、笑いながら立ち上がる。
そして、先に歩きだした女の子に小走りで追いつくと、手を握って二人で家路に着いた。
……しかし、この穏やかな日々はあまり長く続くことは無かった。
異変が訪れたのは、久しぶりに彼方が家に来ている時だった。
鍛えられた感覚で殺気を伴った複数人の侵入に気が付き、彼方を安全な場所に逃がそうとした。庭や家の中から死角になる場所にできた、小さな納屋に彼方を連れていくと、
「ここにかくれてて。」
と言って家の表……道場の方へと走っていく。
母屋の角を曲がると、父と兄が見慣れない二十人程の男を相手に必死に応戦していた。
しかし、そこが明らかに普通でないのは、火や石が空中に浮かんで2人を狙っているように飛んでいくからだ。
(異能者⁉)
接近戦を得意とする2人にはかなり不利な状況だろう。避けるのに必死で、反撃の糸口を掴めないでいる。
敵の練度は高くないものの、このままでは多勢に無勢。今は掠る位で済んでいる攻撃も、直撃するようになるのは時間の問題だろう。
門の内側には、赤黒い色をした物が転がっていた。一瞬何かと訝しむが、すぐに察しがつく。
あの引きちぎれたボロ布は、紅く染まってはいるものの、母親の服だ。何を感じるでも無く間に合わなかったか、と考える。
2人は自分の身を守るだけで一杯一杯に見える。
(仕方ないかな。母さんは足が悪かったし)
加勢しようと、一歩足を踏み出しかけたが、不意に最悪の展開がが頭を過ぎった。あるいはそれは、虫の知らせというものだったのかもしれない。
(あそこで訓練したことのある奴がいたら……かなたちゃんが危ない!)
すぐに踵を返すと、今来た道を引き返し始めた。
案の定、引き返した先には数人の男がいた。
気配を消している為、こちらに気づいた様子はないがこのままでは近づけない……と歯噛みしていると、奥から彼方が無理やり引きずり出されてきた。
乱暴をされた様子はないが、抵抗したのか擦り傷を負っている。
そこで、男の一人がおもむろに大ぶりのナイフを取り出し、彼方に向けて振りかぶった。
(危ないっ!)
走り始めるが、気配を悟られないよう、距離を空けていたのが裏目に出た。とても間に合いそうにない。
彼方は、ナイフの刃を目を見開いたまま凝視して動かない。
そのとき、彼方の口が小さく動いた。
その唇の動きから、発した言葉は……
『よーくん』と、この異常極まりない状況で両親でも他の誰でもなく良紀の名前を呼んだ。
(!!)
それを見た良紀は目の前が真っ白になった……。
『彼方ちゃん!!』
その時起こったことで良紀が覚えているのは、自分が彼方の名前を呼んだことと、男たちの腕が、足が、頭が、内臓が、おびただしい量の真っ赤な飛沫を上げながら自分たちの周りで渦巻いていたことだけだった。
数日後……
保護者の無い良紀は、しばらく彼方の家に居ることになった。とは言っても、せいぜい五日間位のものだったが。
一週間もしないうちに、良紀は親戚を名乗る男に連れられ、彼方の家を去って行った。
良紀は、これから住む場所の詳細を、彼方がどんなに尋ねても、泣いても、一切答える事は無かった。言ったのは、『きっとまた会えるよ。』という言葉だけ。
彼方は、危険に陥った時に不可思議な現象が起こったため異能力測定を受け、けして少なくはない
ーー異能者を志すには十分な、異能の力を持っていることが分かった。
良紀が居なくなってから一週間後、彼方はセンターの寮へと移った。
……彼方の力では、精々木の葉を一枚浮かせることしか出来なかった、という事実を知っている者はほぼ居ない。
――――――――八年後―――――――
『彼』は待ち合わせ場所になっている、異能力統括センター―――主にセンターと呼ばれる―――内部の食堂に居た。
そこに、黒髪の少女が入ってくる。
その体型はセンターの制服の上から見ても出るべき所は出て、くびれ部分との差をさらに大きくしている。
手も足も首も、簡単に折れてしまいそうなほど細い。
肌は、比喩表現で無いほどに白い。しかし、病的な印象を与えるようなものではない。
長くなったが、一言で言えば美少女なのだ。かなりのレベルの。
しかし、目立つ容姿の中でも最も印象に残るのは目だ。
落ち着いているが、確かな強い意志を感じさせる。その紫の瞳で見つめられると、自分の内面まで覗き込まれている気さえしてくる。
少女は、にわかにざわつく食堂の中、きょろきょろと何かを探している様子だ。
手を振って合図を送ると、こちらに向かって歩いてくる。そして………
「あなたが……?」
「ああ。」
「……はじめ…まして。………水城彼方……」
「いや、ハジメマシテじゃないんだが…、気づかないか?」
『彼』は一時間前に出来上がったばかりの、センター職員証明証を見せながら言った。
「俺は、今日から専属になった中位サポーターの倉見良紀だ。
……久しぶり、彼方。流石に俺の事忘れてるってのは無いよな?」