第8話
ある日の早朝、御上は何をするでもなく机に突っ伏してHRの開始を待っていた。
今日は静かだと思いながら横を見ると綾嶺の席には誰も座っていない。
(今日は休みか)
パターンからして今日は来ると思っていたが、予想は外れてしまった。
御上としてはいない方が気が楽なので望むところなのだが。
「今日は静かに過ごせそうだ……」
な、と御上が言い終わる前に廊下からバタバタと慌ただしい音が響き、ガラガラと教室のドアが開けられる。
御上が無表情で顔を上げると案の定、綾嶺が教室に入ってきた。
何となく今のタイミングで来そうな気がしていたが、的中しても嬉しくない。
綾嶺は途中の何人かに挨拶して御上の隣の席に座る。
「……おはよう……御上君」
全速力で走ってきたからか、呼吸は荒く、汗で濡れた髪が顔に張り付いていた。
綾嶺の前髪は目が隠れるくらい長いので、顔に張り付いて鬱陶しいだろうなと思いながら御上はハンカチを取り出す。
「ほら」
「……ありがと」
綾嶺は躊躇いがちにハンカチを受け取ると額や髪を拭い始める。
「しかし、お前が遅刻ギリギリで来るなんて珍しいな」
「ええ……まあ……ちょっと」
不登校の日が多い綾嶺だが、来る日は早く登校しているのだ。
なので御上は教室に入った時に綾嶺の席をまず最初に見るのが習慣になっていた。
「アニメでも見てたのか?」
綾嶺は毎日のように深夜放送のアニメを見ているという。
大体三時前には終わるらしいが、中にはスポーツの試合等で放送が遅れる事もあるらしい。
御上は去年の夏休みに付き合わされた事があるのだが、遅い時間まで起きてアニメを見るというのが今一つ理解出来なかった。
録画して後から見れば良いと思うのだが、リアルタイムで観賞して同好の士と意見交換する楽しみがあるらしい。
閑話休題。
御上の推測に対して綾嶺は首を横に振る。
「ちょっと……掲示板で激論をね」
「激論だ?」
「きのこ派がやけに噛み付いてきたから」
「……」
きのことはあれだろうか。
山か? 明治製菓が販売している。
何故激論になるのか御上には理解出来なかったが、まあ、そういう世界もあるのだろうと無理矢理納得する。
「参考までに聞くが、何時までやってた?」
「六時を過ぎた所でいったん手打ち……明後日再戦」
「……」
御上は視線を外して壁に貼られている時間割り表を確認する。
二時間目が移動教室だった。めんどくさい。
「寝たらそのまま寝過ごしそうだったから……起きてたんだけど……家を出る直前で寝ちゃって」
遅刻しそうになった理由を聞き終えた御上は両腕を組んで綾嶺を見据える。
「控え目に言って、お前馬鹿だろ」
「……酷い」
綾嶺は恨めしげな視線を向けるが、精一杯オブラートに包んだ御上としては心外だった。
「お前、確か両親と住んでたが、何も言わなかったのか?」
「子供の個性を尊重してくれる」
「それは放任主義と言わないか?」
御上は綾嶺の両親と何度か会った事があるが、ごくごく普通の人だった。
まあ、今日も遅刻した訳ではないし、授業中の様子を見る限りでは成績を維持しているようなので好きにさせているのかもしれないが。
「他人の家の教育方針に口を突っ込むのも野暮か」
「そんな事より……御上君もたけのこよね?」
何で半ば確信してるんだろうか、と思いながら御上は一言。
「俺はカントリーマアム」
「……そう」
「ああ」
綾嶺はあからさまに表情を曇らせるが、御上にしてみればお菓子一つで大袈裟だという気持ちで一杯だった。
実の所、何となく綾嶺を困らせようと思ってパイの実と言っただけで、コアラのマーチだろうがパイの実だろうが小枝だろうが好き嫌いはないのだが。
そうとは知らずに俯いていた綾嶺だったが、不意に顔を上げる。
「ハンカチ……洗って返すから……今日は私のハンカチを使って」
そう言いながら綾嶺は刺繍が入った白いハンカチを御上に差し出す。
御上としてはそこまでしてもらわなくても良かったが、無償の好意を無碍には出来ない。
それに、どうせ断っても綾嶺は無理矢理押し付けてくるだろうという事を御上は知っていた。
「じゃあお言葉に甘えて」
御上がハンカチを受け取ると同時に教師が入ってきたので、二人は会話を打ち切って正面に向き直った。




