第6話 白石凛
変化は勉強だけではなかった。
ある日の昼休み、蒼太は教室で弁当を食べていた。隣のクラスの女子生徒が、廊下で泣いているのが見えた。
名前は白石凛。成績優秀で、生徒会の副会長。完璧な優等生として知られているが、最近少し元気がないと噂されていた。
蒼太は普段なら見て見ぬふりをするタイプだ。他人に関わる余裕なんてなかった。
けれど——。
無意識に【叡智の瞳】が発動した。消費MP:5。蒼太の視界に、凛の「状態」が浮かび上がる。
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ストレス値:極めて高い
身体的兆候:筋緊張、呼吸の乱れ、瞳孔の拡大
推定状態:強い心理的圧迫下にある
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——誰かに追い詰められている。
蒼太は足を止めた。
——関わるべきじゃない。俺には俺のことで精一杯だ。
そう思った。けれど、次の瞬間、父の言葉が蘇った。
「怖くても、前に進むからだよ。それが勇気だ」
蒼太は、一歩踏み出した。
「あの……白石さん、大丈夫?」
凛が驚いたように顔を上げた。目が赤い。
「……桐谷くん? ごめんなさい、大丈夫。ちょっと考え事してて」
「大丈夫じゃなさそうに見えるけど」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出た。
凛は一瞬目を見開いて、それから力なく笑った。
「……バレてた?」
「うん。かなり」
沈黙が流れた。凛はしばらく迷っていたが、やがて小さな声で話し始めた。
「……生徒会の仕事が、どんどん増えてて。断れないの。断ったら、私じゃなくなる気がして」
「断ったら?」
「期待されてるから。『白石凛なら大丈夫』って。先生も、親も、友達もみんなそう言う。——だから大丈夫じゃなきゃいけないの。大丈夫じゃない白石凛は、誰にも必要とされないから」
その言葉は、静かだが、刃物のような鋭さがあった。
凛の家では、3歳上の兄が医学部に現役合格した「天才」として扱われている。凛がどれだけ成績を上げても、両親の第一声は「お兄ちゃんはもっと上だったわよ」。いつしか凛は悟った——「完璧」でなければ、この家にいる資格がない。
だから凛は演じる。完璧な優等生を。穏やかに微笑み、誰にでも優しく、一切の弱みを見せない「白石凛」を。それは鎧であり、牢獄でもあった。
「……家では、兄と比べられるの。何をしても足りない。でも学校では『完璧な白石さん』でいなきゃいけない。——もう、どっちの自分が本物かわからない」
——俺と、同じだ。
蒼太はそう思った。蒼太は「期待に応える受験生」という仮面を被り、凛は「完璧な優等生」という仮面を被っている。形は違えど、二人とも——本当の自分を殺して、誰かの望む「自分」を演じている。
「俺も、似たようなもんだよ」
蒼太は自分の話もした。塾漬けの毎日。模試の判定。母の期待。ただ、魔法のことは言えなかった。
「……桐谷くんも、そうだったんだ。なんか、安心した。一人じゃないって思えるだけで」
凛が少し笑った。今度は、本当の笑顔だった。
その日から、蒼太と凛は時々話をするようになった。放課後、教室に残って勉強する時間が重なると、互いの愚痴を言い合った。
蒼太にとって、それは大きな変化だった。自分のことで精一杯だと思っていたのに、誰かの支えになれるかもしれない。その実感が、胸の奥で小さな炎のように灯っていた。




