第26話 現実の黒幕
同じ頃——御子柴に関しても、一つの決着がついた。
梓が蒼太たちから依頼を受けて進めていた「社会のルールでの反撃」。その成果だ。
梓はまず、御子柴の投資先企業のメンタルヘルス問題を、匿名で報道機関にリークした。2030年の日本では「企業の心理的安全性」が厳しく規制されており、違反すれば重大な行政処分が下る。
さらに、凛が生徒会のSNSアカウントと学校のネットワークを通じて、「渋谷の異常気象は本当に自然現象か?」という疑問を丁寧に発信。直接的な告発ではなく、「若者たちの素朴な疑問」という形で——しかし、そこに健吾が仕込んだデータ分析の裏付けが添えられていた。
投稿は瞬く間に拡散し、報道の追い風を受けた行政が動いた。
御子柴の投資先企業3社が行政指導を受け、渋谷再開発プロジェクトは第三者委員会の監査対象となった。御子柴本人への直接的な制裁には至らなかったが、彼の「負の感情を放置して利益を得る」ビジネスモデルは、社会の目にさらされた。
蒼太は、そのニュースをスマートフォンで読みながら思った。
——おとぎ話の黒幕は、勇者が剣で倒す。でも現実の黒幕は、情報と連帯で追い詰める。
——俺たちには、剣と盾だけじゃない武器がある。それは仲間の知恵と、社会のルールだ。
御子柴はまだ完全には倒せていない。しかし、蒼太たちが「監視している」ことを、御子柴は知った。それだけで、抑止力になる。
現実の戦いに、完全な勝利はない。でも、一歩ずつ前に進むことはできる。
◇
夏休みに入った日、蒼太たちは6人で渋谷に集まった。あの戦いの場所に。
昼間のスクランブル交差点は、いつも通り人で溢れている。あの夜の出来事を知る者は、ここにいる6人だけだ。
カフェのテラス席に座って、アイスコーヒーを飲む。7月の日差しが眩しい。
「結局、あの力って何だったんだろうな」
健吾が首を傾げる。
「物語の力が現実に発現する……SFでもあんまり見ないパターンだぞ」
「量子もつれの一種かもしれないよ! 物語を読む行為が、認知的な——」
結菜が身を乗り出しかけるのを、梓がやんわり止めた。
「結菜ちゃん、その仮説はあとでゆっくり聞くから。今はアイスが溶ける」
「あ、そうだった!」
「理屈はわからない」
蒼太は正直に答えた。
「でも、一つだけわかったことがある。力は、それ自体に意味があるんじゃない。どう使うか、何のために使うかで、意味が決まる」
「カッコつけてんなー」
「うるさいな」
健吾と笑い合う。凛もくすくす笑っている。結菜はアイスに夢中。梓は眼鏡の奥で微笑んでいる。零だけが無表情だが、アイスコーヒーをおいしそうに飲んでいるあたり、居心地は悪くなさそうだ。
「ねえ、桐谷くん」
凛が聞いた。
「この先、どうするの? 侵食体はまだゼロじゃないし、新しい脅威が出てくるかもしれない」
「そうだな。でも、もう一人で抱え込まない。みんなで対処する。——あと、受験勉強もちゃんとやる」
「両立できるの?」
「やるしかないだろ。現実の勇者は、魔王を倒すだけじゃ終わらない。テストも受けるし、進路も考えるし、母さんの手伝いもする」
蒼太は空を見上げた。7月の青空。雲一つない。
「おとぎ話の勇者は、物語の終わりで『めでたしめでたし』になる。でも現実には終わりなんてない。毎日が続いていく」
蒼太は右手を見つめた。指先に、金色の光が淡く灯っている。
「だから、毎日が冒険だ。——まあ、悪くないだろ」
健吾が笑った。凛が笑った。零は——やっぱり笑わなかったが、コーヒーカップを軽く掲げた。それが彼なりの同意だった。
6人は渋谷の街に出た。人混みの中を歩く。AR広告が空中に浮かび、自動運転のバスが静かに走り、AIアシスタントの声があちこちで聞こえる。2030年の東京。
蒼太のポケットの中で、スマートフォンが鳴った。母からのメッセージ。
『今夜は蒼太の好きなカレーにしたわ。早めに帰ってきてね』
蒼太は笑って返信した。
『了解。楽しみにしてる』
——父さん。俺、勇者にはなれたかな。
空を見上げる。答えはない。でも、風が一瞬、頬を撫でたような気がした。
桐谷蒼太、17歳。
受験生で、魔法使いで、不器用な息子で、友達思いの仲間で——現実世界の、勇者。
彼の物語は、これからも続く。
灰色の日常を、自分の手で塗り替えながら。




