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第25話 星が戻った夜

 次の瞬間、巨大侵食体が内側から光を放ち——消滅した。


 渋谷の空に、星が戻った。6月の夜空。星の光が、涙のように降り注いでいた。


 蒼太はアスファルトの上に仰向けに倒れていた。全身の力が抜けている。MPはゼロ。身体中が痛い。


 でも、笑っていた。


「……やった」


 仲間たちが駆け寄ってきた。凛が泣いている。健吾がガッツポーズをしている。結菜が「蒼太にぃ!」と叫びながら走ってくる。梓はゆっくり歩いてきて、静かに微笑んでいる。零は——微かに、笑っていた。


「やったぞ、お前ら」


 蒼太は仰向けのまま、星空を見上げて笑った。


 灰色の世界は、もうどこにもなかった。



 7月。期末テスト。


 蒼太は机に向かっていた。自分の部屋。参考書とノートが広げてある。


 右手にシャーペン。【叡智の瞳】は使わない。自分の頭で、自分の力で解く。


 渋谷の侵食体を倒してから、東京の異変は収束に向かっていた。巨大侵食体がいなくなったことで、小型の侵食体も急速に数を減らしている。完全になくなったわけではないが、蒼太たちで対処できるレベルだ。


 蒼太の日常は、ようやくバランスを取り戻しつつあった。


 塾には週3日通うことにした。毎日ではなく。残りの日は、侵食体の巡回と、自分の時間に充てる。母も、その方針を受け入れてくれた。


「全部完璧にやる必要はないのよ。お父さんにはそれを教えてあげられなかったけど、あなたには伝えたい。バランスを取りなさい」


 母はそう言って、微笑んだ。


 梓が組んでくれた勉強計画は、驚くほど効率的だった。6週間で、各教科の「出やすいポイント」を徹底的に押さえる戦略。蒼太は【叡智の瞳】を「復習時の構造理解」にのみ使い、テスト本番では純粋な実力で挑んだ。


 期末テスト最終日。蒼太はすべての科目を解き終えて、シャーペンを置いた。


 ——できることはやった。結果がどうであれ、今の自分にできる精一杯だ。


 不思議と、穏やかな気持ちだった。



 期末テストの結果が返ってきた日。


 蒼太は職員室の前に立っていた。手には成績表。隣には凛と、廊下で待つ健吾と結菜。


 成績表の数字——学年12位。偏差値は15ポイント回復し、FPSは上位10%圏内に跳ね上がっていた。


 蒼太はノックして、職員室に入った。毒島のデスクの前に立つ。


「毒島先生。期末テストの結果、ご確認いただけますか」


 毒島は無表情で成績表を受け取り、目を通した。


 その瞬間——毒島の表情が、ほんの一瞬だけ歪んだ。


「……学年12位?」


「はい。先生が信じるFPSのロジック上、俺のスコアは上位10%に入りました」


 毒島はしばらく成績表を見つめていた。それから、ゆっくりと顔を上げた。


 蒼太は、毒島の目を真っ直ぐ見た。そこに見えたのは——怒りでも敗北でもなく、奇妙な疲労だった。


「……桐谷くん」


 毒島の声が、初めて「先生」ではなく「一人の人間」のものに聞こえた。


「誤解しないでほしい。私は君が嫌いなわけではないんだ」


「……」


「私はただ——効率の悪い個体が、集団の足を引っ張るのを防いでいるだけだ。それが教育者の責務だと信じている。限られた時間とリソースの中で、最大多数の生徒に最大の結果を出させるために。感情に流されては、それはできない」


 蒼太は、その言葉を噛みしめた。


 ——この人にも、この人なりの「正義」があるのか。


 毒島は続けた。


「君もいつか、管理する側になればわかる。100人の生徒を預かって、全員に手を差し伸べることは不可能だと。だからスコアで線を引く。——それが最も公平な方法だ」


 蒼太は深呼吸した。そして——怒りではなく、静かな確信をもって答えた。


「先生。一つだけ聞いていいですか」


「何かね」


「先生の効率の中に——『心』は計算されていますか?」


 毒島が、わずかに眉を動かした。


「俺が成績を落とした2ヶ月間、先生は俺を『リソースの無駄遣い』と呼びました。母を学校に呼んで、白石さんとの関係を引き裂こうとしました。——でも先生、その2ヶ月間に、俺に『どうした?』と聞いてくれましたか? 一度でも」


 毒島は答えなかった。


「成績の数字は戻りました。FPSも回復しました。先生のルールの上で、俺は証明してみせました。——でも俺がここに立っていられるのは、FPSのおかげじゃない」


 蒼太の頭に、仲間たちの顔が浮かんだ。凛の正論。梓の戦略。結菜の発明。健吾の分析。零の言葉。母の抱擁。


「先生の効率からは『無駄』に見える0.1%——昼休みに声をかけてくれた友人、泣いてもいいよと言ってくれた人、糖分補給の飴、深夜に届いた論文のリンク——そういう『無駄』の中に、俺を救った本当の力があったんです」


 毒島は、長い間沈黙した。


 やがて——目を伏せた。


「……成績表は受け取った。席に着きなさい」


 それだけだった。謝罪はない。毒島が自分の信念を曲げることもない。


 しかし蒼太は、毒島のわずかに震えた手を見逃さなかった。


 ——この人も、何かを失ったことがあるのかもしれない。


 蒼太は一礼して、職員室を出た。


 廊下で待っていた凛が、安堵の表情を浮かべた。


「……どうだった?」


「勝ったかどうかはわからない。でも、言いたいことは言えた」


 健吾が拳を突き出した。結菜は「蒼太にぃ、かっこよかった!」と飛び跳ねた。


 ——魔法では殴り倒せない敵を、言葉で向き合った。


 倒したのではない。ただ、自分の答えを示した。おとぎ話のように、悪を滅ぼして「めでたしめでたし」にはならない。でも現実の勇者は——倒すのではなく、示すのだ。自分が信じるものを。


 後日、梓がメッセージをくれた。


『聞いたよ。毒島先生、あの後しばらく一人でコーヒー飲んでたって。——変わるかどうかはわからないけど、少なくとも「考え始めた」のは確かだね。それだけで、十分すごいことだよ』


 蒼太はスマートフォンの画面を見つめて、小さく笑った。



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