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第10話 もう一人の「力の保持者」

「……説明してもらえる?」


 凛の声は、震えていたが、逃げようとはしていなかった。むしろ、真っ直ぐに蒼太を見つめている。


 蒼太は覚悟を決めた。すべてを話した。子供の頃のおとぎ話のこと。力が発現したこと。スキルのこと。そして、影のこと。


 凛は黙って聞いていた。そして、すべてを聞き終えた後、こう言った。


「……信じる」


「え?」


「だって、今目の前で見たもの。あの黒い影に取り付かれたとき、本当に苦しかった。頭の中に、暗い声が聞こえた気がした。『お前は無価値だ』って。でも、桐谷くんの光が来たら、すっと消えた」


 凛は深呼吸をして、続けた。


「それに……私にも、心当たりがあるの」


「心当たり?」


「小さい頃から、時々不思議なことがあった。感情が昂ぶると、周りの風が不自然に動いたり、水が揺れたり。気のせいだと思ってたけど……」


 蒼太は目を見開いた。


「白石さんも……力を持ってるのか?」


「わからない。でも、もしそうなら……あの影のこと、一人で抱え込まないで。私も手伝いたい」


 こうして、蒼太は初めての「仲間」を得た。


 しかし同時に、状況は蒼太の想像を超えて深刻化していった。


 影——「侵食体」と蒼太が名付けた存在——は日に日に数を増し、大きくなっていた。そしてその影響を受けた人々は、強い不安や絶望に襲われ、中には体調を崩す者もいた。


 蒼太のスキルだけでは、対処しきれない。


 ——俺の力で、本当にどうにかなるのか?


 不安が胸を侵食し始めていた。


 おとぎ話の勇者は、いつだって最終的に勝つ。でもこれは現実だ。現実には、約束された結末なんてない。


 そして——最大の衝撃が訪れた。


 ある夜、蒼太の部屋に、一人の人影が現れた。


 窓もドアも閉まっているのに、月光の中にすっと浮かび上がった人影。黒いコートに、銀色の髪。年齢は蒼太と同じくらいに見えるが、瞳の奥に深い闇を宿していた。


「——やあ、桐谷蒼太。君のことは知っているよ」


 蒼太は反射的に身構え、【聖盾】を展開しようとした。しかし、その人影は微笑んだだけだった。


「戦う必要はない。僕は君の敵じゃない。……少なくとも、今はね」


「お前は誰だ」


「名前は——黒崎零。君と同じ『力の保持者』だよ。ただし、僕が読んでいたのはおとぎ話じゃない」


 零は右手を持ち上げた。手のひらに、漆黒の炎が灯る。蒼太の金色の光とは対極の、闇の力。


「——悪役の物語さ」


 零の瞳が、闇色に光った。


「僕が子供の頃に繰り返し読んだのは、『闇の王レイス』。みんなに恐れられ、嫌われた魔王が——それでも世界を守るために孤独に戦う話だ」


 零は遠くを見るような目をした。一瞬だけ、その仮面のような表情にひびが入ったように見えた。


「表紙がボロボロになるまで読んだよ」


 零の声が、かすかに揺れた。


「僕の親は教育者でね。二人とも大学教授。『正しい子供』を育てることに執着していた。明るくて、素直で、従順な子供を。——でも僕は、その型に嵌まらなかった」


 零は漆黒の炎を手の中で弄びながら続けた。


「小学校で、いじめられてた子を庇った。相手を殴った。——親が呼ばれたよ。親は言った。『なぜ先生に言わなかったの。暴力は絶対に間違いだ』。先生に言ったら何もしてくれなかったから自分で動いた、と言ったら、また怒られた。『言い訳をするな。お前は悪い子だ』」


 蒼太は黙って聞いていた。


「——以来、何をしても『悪い子』だった。テストで満点を取っても『性格が暗い』。絵のコンクールで賞を取っても『もっと明るい絵を描きなさい』。中学でカウンセリングに連れていかれた。『この子は共感性に問題がある』と言われた」


 零は自嘲気味に笑った。


「レイスだけが、僕を肯定してくれた。闇に生まれたことは罪じゃない。誰かに『悪』と決めつけられても、自分が何者かは自分で決める。——あの本がなければ、僕はとっくに壊れていたよ」


 蒼太は息を呑んだ。零の中にある孤独が、一瞬だけ見えた気がした。それは蒼太の孤独とは形が違う。蒼太は「期待に応えられない苦しみ」を抱えているが、零は「存在そのものを否定される苦しみ」を抱えている。


 だが零はすぐに表情を戻し、淡々と続けた。


「あの影——侵食体は、僕たちの力が現実に干渉し始めたことで生まれた副産物だ。物語の力が現実に漏れ出すとき、光だけじゃなく、闇も一緒に漏れてくる。そして闇は、人間の負の感情を糧にして成長する」


「……お前が操ってるのか?」


「まさか。僕にもコントロールできない。でも、このまま放置すれば、東京は闇に飲まれる。——君の光の力だけじゃ、止められないよ」


 零はそう言い残して、闇に溶けるように消えた。


 蒼太は一人、暗い部屋に取り残された。


 心臓が激しく打っている。恐怖と、困惑と、そして——ほんの少しの、高揚感。


 物語は、新たな局面に入った。


 ——そしてその翌日、蒼太は塾で思いがけない言葉をかけられた。


 自習時間の合間、廊下に出た蒼太を、梓が呼び止めた。


「桐谷くん。ちょっといい?」


 梓は自販機コーナーの隅で、缶コーヒーを差し出しながら言った。


「最近、ずいぶん忙しそうだね」


「……まあ、それなりに」


「模試の成績が上がったのは立派だけど、ここ数日、別の意味で消耗してるように見える。勉強以外で何かやってるでしょ」


 蒼太の心臓が跳ねた。梓は観察力が鋭い。


「大学の研究で、ちょっと面白い論文を読んだの」


 梓は缶コーヒーを一口飲んで、さらりと続けた。


「2030年に入ってから、東京のいくつかの地点で微弱な電磁場の異常が観測されてるの。渋谷、新宿、池袋——繁華街が中心。公式には『測定誤差』で片付けられてるけど、パターンが自然現象にしては規則的すぎる」


「……それ、何の話ですか」


「さあ。ただの雑学だよ」


 梓は眼鏡の位置を直しながら、蒼太を真っ直ぐ見た。


「でも、もし桐谷くんが何か巻き込まれているなら——助けを求めることを恥じなくていいからね。大人にだって、頼っていいんだよ」


 その言葉は、母や健吾とは違う種類の安心感を持っていた。年上としての余裕。しかし同時に、梓の目の奥に一瞬だけ映った光——それは「知的好奇心」だと、蒼太は後になって気づくことになる。


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