第7話 最強の「コタツ」攻防戦
戦場──と呼ぶには、あまりにも間の抜けた光景だった。
「突撃ぃぃぃ! 魔女を殺せぇぇぇ……ぐえっ!?」
「な、なんだこの地面は!? 足が……沈む……!?」
小屋の前の広場は、阿鼻叫喚と安堵の吐息が入り混じるカオスと化していた。
エドワード軍の先鋒隊が踏み込んだエリア。
そこは、私が昨晩徹夜(二度目だ、許せない)で仕込んだ『人をダメにする泥沼』地帯だ。
見た目は普通の土だが、足を踏み入れると体重に合わせて沈み込み、絶妙な反発力で体を包み込む。
「くそっ、抜け出せな……うぅ、腰への負担が、消える……」
「地面が……俺の形に……フィットする……」
鎧を着た重装歩兵たちが、次々と地面に吸い込まれていく。
彼らは本来なら抜け出そうともがくはずだ。
だが、連日の激務で疲労困憊の彼らに、その気力はない。
「……おやすみ」
「ああ、母さん……」
一分もしないうちに、数十人の兵士が地面と一体化し、幸せそうな寝息を立て始めた。
「第一陣、制圧完了」
私はテラス席で、冷えたブドウを摘みながら呟く。
隣ではジークフリートが、望遠鏡を覗きながら感心したように唸っていた。
「恐ろしい兵器だ。剣も魔法も使わず、ただ『心地よさ』だけで敵を無力化するとは」
「人間、楽な方には抗えませんから」
「俺もあの沼にハマりたい」
「仕事が終わったらどうぞ」
さて、次はどう出るか。
私は視線を後方の馬車へ向けた。
予想通り、エドワード様が顔を真っ赤にして叫んでいる。
「何をしている貴様ら! 寝るな! 立て! 国のために働け!」
彼は自分の部下が「寝落ち」した事実を受け入れられないようだ。
まあ、無理もない。
彼の計算式に「休息」という変数は存在しないのだから。
「リリィ! やれ! 奴らを叩き起こせ!」
「は、はい……!」
馬車の上で、聖女リリィが杖を掲げた。
まばゆい黄金の光が降り注ぐ。
『聖なる覚醒』
聞こえはいいが、その本質はただの「神経への電気ショック」だ。
「ギャアアアアアッ!!!」
「痛い、痛いぃぃぃ!」
寝ていた兵士たちが、悲鳴を上げて飛び起きた。
目から血の涙を流し、痙攣しながら無理やり体を動かす。
「進め! 止まればまた痛みが走るぞ! 魔女を殺せば解放してやる!」
エドワード様の怒号。
ゾンビのように起き上がった兵士たちが、涙ながらにこちらへ向かってくる。
「……殺してくれ……」
「もう嫌だ……眠らせてくれ……」
口々に漏れる、悲痛な願い。
私は、手に持っていたブドウを握り潰した。
果汁がポタポタと落ちる。
(……ああ、不愉快)
胸の奥で、冷たい怒りが渦巻く。
私はサボるのが好きだ。
楽をするのが好きだ。
でも、それは「次に動くための休息」であって、命を削ることじゃない。
眠りたいと願う人間から、眠りを奪い、痛みで支配する。
それは私の美学──「怠惰の流儀」に対する、最大の冒涜だ。
「ジークフリート」
「……分かっている」
彼が剣の柄に手をかけた。
その瞳には、かつてないほどの激しい怒りが宿っている。
「俺が出る。あんな非道、騎士として見過ごせん」
「いいえ」
私は彼の手を制した。
「貴方が行けば、彼らを斬らなければならなくなる。……彼らは被害者です」
「だが、このままでは!」
「私に任せてください。……少々、手荒な『寝かしつけ』をしますけど」
私は立ち上がり、テラスの柵に足をかけた。
そして、懐から一つの小瓶を取り出した。
中に入っているのは、虹色に輝くスライムの核。
『超・高反発モチモチスライム(増殖機能付き)』
本来は、城壁の補修用に開発していた産業用素材だ。
でも、ちょっと配合を間違えて、「触れたものすべてを包み込み、衝撃をゼロにする」魔物質になってしまった失敗作。
「……寝なさい、可哀想な子供たち」
私は小瓶を、戦場の中央へ放り投げた。
パリーン!
乾いた音が響く。
瞬間。
ボワンッ!!!
爆発的な膨張。
虹色のゲルが津波のように広がり、進軍してくる兵士たちを飲み込んだ。
「うわっ!?」
「なんだこれは、ネバネバ……いや、サラサラする!?」
スライムは生き物のようにうねり、兵士たちの鎧の隙間に入り込み、強制的に関節を固定する。
だが、それは拘束の苦しみではない。
まるで、巨大なウォーターベッドの中に放り込まれたような浮遊感。
「あ……痛くない」
先頭の兵士が呟いた。
リリィの魔法による痛みが、スライムの「衝撃吸収」によって中和されていく。
「体が……浮いているみたいだ」
「なんだこれ、最高か……?」
ドサッ、ドサッ。
兵士たちが、自らスライムの海に身を委ねていく。
もう、誰も立っていない。
スライムの波は止まらず、後方の馬車──エドワード様たちの元へも押し寄せた。
「ひっ!? 来るな、汚らわしい!」
エドワード様が悲鳴を上げ、防御魔法を展開する。
だが、その隣にいたリリィ様は違った。
彼女は迫りくる虹色の波を見て、呆然とし──
そして、ふらりと杖を取り落とした。
「……リリィ?」
「……もう、いいですよね」
彼女の瞳から、ポロポロと涙がこぼれた。
「私、疲れました。……聖女なんて、もう嫌」
「なっ、何を言って……!」
「キラキラしたドレスも、高いヒールも、笑顔を作るのも、もう限界なんですぅッ!」
彼女は叫び、自ら馬車から飛び降りた。
ダイブ。
スライムの海へ。
ボフンッ。
彼女の体は優しく受け止められた。
「あぁ……」
リリィ様はスライムに埋もれながら、恍惚の表情を浮かべた。
「エドワード様の演説より、この感触のほうが……ずっと素敵……」
数秒後。
「スー……スー……」
可愛らしい寝息が聞こえてきた。
彼女もまた、限界だったのだ。
「リ、リリィ!? 貴様、聖女の務めを放棄するか!」
エドワード様が絶叫する。
だが、誰も答えない。
戦場に立っているのは、もう彼一人だけだった。
周囲一面、虹色のスライムの海。
そして、数百人の兵士と聖女の、大合唱のようないびき。
「……どうしてだ」
エドワード様は震えていた。
「どうして誰も……私の言うことを聞かない! 私は正しいはずだ! 効率こそが正義で、数値こそが真理で……!」
彼は一人、孤独に叫ぶ。
その姿は、滑稽で、哀れだった。
私はテラスから、魔法で声を拡大して彼に呼びかけた。
「エドワード様」
彼はビクリと肩を震わせ、私を見上げた。
その目は充血し、狂気と恐怖で揺らいでいる。
「……なぜだ、アメリ。なぜ貴様ごときが……」
「簡単なことです」
私は手すりに肘をつき、頬杖をついた。
「貴方は『北風』だったんですよ」
「北風……?」
「無理やりコートを脱がそうとしても、人は抵抗します。でも、暖かくしてあげれば、勝手に脱いで寝てしまう」
私はスライムの海で眠る兵士たちを指差した。
「彼らはサボったのではありません。貴方のやり方が、あまりに寒すぎたから、私の『コタツ』を選んだだけです」
「……黙れ!」
彼は杖を振り上げた。
まだやる気らしい。
でも、彼一人で何ができるというのだろう。
「私は認めない! こんな……こんなふざけた敗北など!」
彼は懐に手を伸ばした。
そこから取り出したのは、禍々しい黒い光を放つ魔石だった。
(……あれは!)
「自爆用の魔石……!?」
隣でジークフリートが息を呑む。
「国を守れないなら、いっそ灰になればいい! 貴様らも道連れだ!」
エドワード様が魔石に魔力を注ごうとする。
まずい。
あれが爆発すれば、眠っている兵士たちごと森が吹き飛ぶ。
「ジークフリート!」
「ああ!」
言うより早く、彼はテラスを飛び越えていた。
氷の英雄が、空を舞う。
だが、距離がある。
間に合うか──?
その時。
「……うるさい」
スライムの海の中から、ぬっと一本の腕が伸びた。
それは、エドワード様の足元で眠っていた、あの一番最初に罠にかかった隊長の腕だった。
「え?」
エドワード様が足元を見る。
隊長は眠ったまま、無意識に──寝返りを打った。
ドスンッ。
「ぐわっ!?」
足払いを食らった形になり、エドワード様は体勢を崩した。
手から魔石がこぼれ落ちる。
コロコロと転がった魔石は、ぽちゃん、とスライムの中に沈み込んだ。
「あ」
ボシュッ。
スライムの中で小さな爆発音がしたが、衝撃はすべてモチモチのゲルに吸収され、微かな煙が出ただけで終わった。
「……」
呆然とするエドワード様。
その頭上から、ジークフリートが着地した。
「終わりだ、エドワード」
ジークフリートは剣を突きつけることなく、ただ静かに、友の肩に手を置いた。
「……お前も、少し休め」
「……う、あ……」
エドワード様は膝から崩れ落ちた。
緊張の糸が切れたのか、それともスライムの香りに当てられたのか。
彼もまた、白目を剥いて倒れ込んだ。
戦いは終わった。
勝者、アメリ軍。
決まり手──『二度寝の誘惑』。
「……ふあぁ」
私は大きなあくびをして、伸びをした。
「さて、と。……あの子たち(兵士)を起こさないように、後片付けをしなきゃね」
まったく、面倒な仕事が増えてしまった。
でもまあ、彼らの寝顔を見れば、悪い気はしなかった。




