第4話 秘密の保養所
「……来たな」
時計の針が午後三時を指した瞬間、空間が歪む気配がした。
私は読んでいた本(『いかにして猫は丸くなるか』)を閉じ、ため息をつく。
コンコン、と控えめだが力強いノック音。
返事をする前に、ドアが開く。
「……邪魔する」
入ってきたのは、漆黒の軍服に身を包んだ大男──騎士団長ジークフリートだ。
彼は眉間に深い皺を寄せ、疲労困憊のオーラを纏っている。
だが、その手には可愛らしいピンク色の包みが握られていた。
「王都で評判の『天使のプリン』だ。……入場料として納める」
「はい、合格。冷蔵庫に入れておいてください」
私が顎でキッチンを指すと、彼は素直に従った。
国一番の権力者の一人が、私のパシリのように動く。
プリンを冷蔵庫に収めると、彼は迷わずリビングの中央へ向かった。
そこには、私の最高傑作『絶対捕縛コタツ』が鎮座している。
彼はコートを脱ぎ捨て、ネクタイを緩め、無言でコタツの中に滑り込んだ。
「……あぁ」
低い吐息。
氷のようだった彼の表情が、一瞬で溶けていく。
「……極楽だ」
そして、三秒後には寝息を立て始めた。
(……野良猫か何かかしら)
私は呆れつつ、彼の寝顔を横目に見る。
あれから数日。
彼はこうして、毎日ここへ通ってくるようになった。
名目は「魔女の監視」らしいが、やっていることはただの昼寝だ。
最初は追い返そうとした。
だが、彼が持ってくる「貢物」が魅力的すぎた。
新鮮な野菜、霜降りの肉、入手困難なスイーツ、そして魔導具の素材となる希少金属。
これらを「場所代」として置いていくのだ。
食料調達の手間が省けるなら、寝場所くらい貸してやってもいい。
私のコタツは四人まで入れるサイズだし、彼一人が寝ていても、私のスペースは確保できる。
「……むにゃ、アメリ……」
彼が寝言で私の名を呼んだ。
そして無意識に、コタツの中で私の足を探り、その体温に触れようと擦り寄ってくる。
(湯たんぽ扱いしないでほしいんだけど)
私は無慈悲に彼の脛を蹴飛ばし(彼は気持ちよさそうに呻いただけだった)、自分の昼寝に戻ろうとした。
その時だった。
ザッ、ザッ、ザッ。
窓の外から、複数の足音が聞こえてきた。
それも、一人や二人ではない。
軍隊の行進のような、規則正しいリズム。
(……何?)
私は嫌な予感がして、窓を開けた。
「!」
絶句した。
小屋の前に行列ができていたのだ。
黒い鎧を着た騎士たちが、二十人……いや、三十人ほど。
彼らは整然と二列に並び、私の小屋をじっと見つめている。
その目は、捨てられた子犬のように潤んでいた。
「……何をしているんですか?」
私が声をかけると、先頭にいた騎士(以前、クッションの罠にかかった隊長だ)が一歩前に出た。
「魔女殿! い、いや、アメリ様!」
「はい」
「我々も……その、入店を希望します!」
彼は背中に隠していた大袋を差し出した。
中には大量のジャガイモと玉ねぎが入っている。
「入場料です! どうか、どうか我々にも『あの快感』を!」
「俺もです! 最高級の羽毛を持ってきました!」
「俺は実家から新茶を送らせました!」
騎士たちが口々に叫ぶ。
彼らの顔には「過労」という二文字が張り付いている。
目の下の隈、こけた頬、ささくれた指先。
王都での激務に耐えかね、ジークフリート団長だけが癒やされているという噂を聞きつけ、決死の覚悟でここへ来たのだろう。
「……お断りします」
私はピシャリと言った。
「見ての通り、小さな小屋です。貴方たち三十人も入ったら、酸素がなくなります」
「そ、そこをなんとか! 庭でもいいんです! 軒先でも!」
「雨が降ったらどうするんですか。風邪を引かれたら、看病が面倒です」
私が拒絶すると、騎士たちは目に見えて落胆した。
その絶望感たるや、世界の終わりを見たかのようだ。
大の大人たちが、肩を落とし、とぼとぼと帰ろうとする背中。
(……あー、もう)
私の良心(の欠片)がチクリと痛む。
それに、彼らが持ってきた大量の食材は魅力的だ。
あれがあれば、冬の間、買い物に出なくて済む。
「……はぁ」
私は大きなため息をつき、提案した。
「条件があります」
騎士たちがバッと振り返る。
「私の安眠を妨害しないこと。そして──『自分の寝床は自分で用意すること』。これなら許可します」
「……寝床を用意?」
「増築ですよ。この小屋の横に、貴方たちが雑魚寝できるプレハブでも建てなさい。資材は森にいくらでもあるでしょう?」
私の言葉に、彼らは顔を見合わせた。
次の瞬間。
彼らの目に、猛烈な炎が宿った。
「「「了解でありますッ!!!」」」
地鳴りのような返事。
そこからの彼らの動きは、凄まじかった。
「第一班、木材の伐採! 直径三十センチ以上の巨木を選定せよ!」
「第二班、整地! 土魔法と筋力で更地にしろ!」
「第三班、アメリ様の家の屋根の補修もついでに行う! 雨漏り一つ許すな!」
早い。
早すぎる。
普段、魔物討伐で鍛え上げられた身体能力が、すべて「建築」に向けられたのだ。
大木が切り倒され、瞬く間に製材され、組み上げられていく。
釘を打つ音がリズムよく響く。
魔法使いが土を固め、剣士が木材を加工する。
「アメリ様! 壁の断熱材には、このウール羊の毛を使ってもよろしいでしょうか!」
「いいえ、そっちの断熱スライムの膜を挟んで。その方が湿気を防げます」
「ハッ! さすがアメリ様、神の知恵!」
私はポーチの椅子に座り、指示を出すだけ。
彼らは私の適当なアイデア(前世のログハウスの記憶)を、現地の技術と体力で完璧に具現化していく。
夕方になる頃には、小屋の隣に立派な「別館」が完成していた。
三十人が足を伸ばして寝られる広間。
床暖房完備(地下に温泉脈を見つけて引き込んだらしい)。
壁は防音仕様。
「……やりすぎでは?」
私は完成した建物を見上げて呟いた。
「報告します! 別館『安らぎの宿舎』、竣工しました!」
汗だくの騎士たちが、満面の笑みで整列している。
「許可を! 入眠の許可を!」
「……どうぞ。好きに寝てください」
「「「ありがとうございますッ!!!」」」
彼らは歓声を上げ、雪崩を打つように新築の宿舎へ飛び込んでいった。
数分後。
森には、大合唱のようないびき……ではなく、静寂が戻った。
防音壁の性能は完璧だったようだ。
「……何事だ」
騒ぎが収まった頃、コタツからジークフリートがのっそりと出てきた。
彼は窓の外を見て、目を丸くした。
「いつの間に、砦が建っているんだ?」
「貴方の部下たちが建てました。今日からここは、騎士団の保養所です」
「……なんだと?」
彼は不機嫌そうに眉を寄せた。
「俺だけの隠れ家だったのに」
「子供みたいなことを言わないでください。……ほら、夕食にしますよ。今日は貴方が持ってきた肉でシチューです」
私がキッチンに立つと、彼は背後から近づき、慣れた手つきで野菜の皮むきを手伝い始めた。
(……騎士団長に家事をさせる元悪役令嬢)
字面にすると不敬罪で処刑されそうだが、今の彼には「仕事」以外の何かが必要なのだ。
「アメリ」
「なんです?」
「……この場所は、絶対に守る」
彼は剥き終わったジャガイモを鍋に入れながら、真剣な眼差しで言った。
「エドワードにも、国王陛下にも、ここだけは渡さない。ここは俺たちの……いや、俺の聖域だ」
「はいはい。じゃあ、守るためにしっかり食べて、しっかり寝てください」
鍋から湯気が立ち上る。
外には、眠りを貪る三十人の騎士たち。
家の中には、エプロン姿の騎士団長。
そして、あくびをする私。
奇妙な共同生活が、本格的に始まってしまった。
◇
一方その頃、王都。
魔導省の執務室で、エドワードは上がってきた報告書を握り潰していた。
「……騎士団の『魔の森調査隊』からの報告が、三日も途絶えているだと?」
「は、はい。ですが、GPS代わりの魔力反応は、森の一箇所に留まっておりまして……」
「動いていない? 全滅したのか?」
「いえ、生命反応は『極めて良好』。むしろ、出撃前より数値が向上しています」
「意味が分からん!」
エドワードは苛立ち紛れに、机を蹴り飛ばした。
「サボっているのか? あの仕事人間のジークフリートが? ……あり得ん。何かがある」
彼の片眼鏡が、冷たく光った。
「『聖女』を呼べ。……直接、確認しに行くぞ」
私の平穏な「引きこもりライフ」に、最大の危機が迫っていた。




