第3話 騎士団長の敗北
森の朝は冷える。
特にこの「常闇の森」は、魔素の影響で気温が低い。
布団から出るのが億劫になる季節がやってきた。
けれど、今日の私は一味違う。
(……ふふふ、完成したわ)
私はリビングの中央に鎮座する、正方形の台座を見下ろしてほくそ笑んだ。
天板は、熱伝導率の高いミスリル銀製。
布団は、火トカゲの皮を加工した繊維と最高級綿のハイブリッド。
そして熱源ユニットには、半永久的に熱を発する『太陽石』の欠片を組み込んである。
名付けて──『絶対捕縛コタツ・ブラックホール』。
一度足を踏み入れたが最後、その心地よさは重力のように人を縛り付け、二度と外界へ戻ることを許さない。
人をダメにする魔道具シリーズの最高傑作だ。
「さあ、試運転よ」
私はマグカップ片手に、その魔の領域へ足を滑り込ませようとした。
その時だ。
ピキキ……ッ。
嫌な音がした。
見ると、頑丈に補強したはずの玄関扉が、白く凍りついている。
霜が蔦のように広がり、蝶番をきしませる。
(……寒気?)
いや、違う。
これは魔法だ。
それも、私の『安眠結界』を力ずくでこじ開けてくるほどの、暴力的な出力。
ドォォォン!!
轟音と共に、扉が粉々に砕け散った。
氷の破片がキラキラと舞う中、一人の男が踏み込んでくる。
黒い軍服に、漆黒のマント。
長身痩躯だが、全身から放たれる威圧感は、先日来た騎士たちの比ではない。
何より恐ろしいのは、その目だ。
氷河のように青く、けれど血走った瞳が、ギョロリと私を射抜いた。
「……見つけたぞ、魔女め」
声が低い。
地獄の底から響いてくるようだ。
私はあくびを噛み殺し、コタツの布団を肩まで引き上げた。
「……ドアの修理代、請求しますよ?」
「黙れ。我が部下たちに何をした」
男は抜剣した。
白銀の刃が、室内の冷気を吸ってさらに鋭さを増す。
「彼らは帰還後、腑抜けた顔で『森は平和でした』などと虚偽の報告をした。……あの真面目な部下たちが、だ」
男が一歩、また一歩と近づいてくる。
床が彼の足元から凍りついていく。
「貴様だな? 彼らに精神干渉魔法をかけ、洗脳したのは」
「人聞きが悪いですね。私はただ、お茶を出して休ませてあげただけです」
「それを洗脳と言うのだ!」
話が通じない。
どうやら彼は、部下が「元気になった」ことを「おかしくなった」と認識しているらしい。
なんてブラックな思考回路だろう。
(面倒くさい……)
戦う気など毛頭ない。
私は平和主義者だ。
争う時間があるなら、その分寝ていたい。
けれど、このままでは私の安眠パラダイスが氷漬けにされてしまう。
男が剣を振り上げた。
「国の憂いだ。消えろ!」
氷の刃が迫る。
私はため息をつき──コタツのスイッチを『強』に入れた。
「……まあ、とりあえず座ったらどうですか?」
とん、と床を叩く。
瞬間。
コタツの下から、目に見えない「熱の波動」が爆発的に広がった。
『強制誘導』
私の魔力が、室内の冷気を一瞬で駆逐する。
振り下ろされようとしていた男の剣が、ピタリと止まった。
「……ッ!?」
男の表情が強張る。
彼は何か目に見えない巨大な手で掴まれたかのように、ガクガクと震え出した。
「な、んだ……この、熱波は……! 攻撃魔法、か……!?」
「いいえ、遠赤外線です」
「足が……勝手に……!」
男の意志とは裏腹に、彼の体は抗えない引力に引かれ、コタツの方へと吸い寄せられていく。
彼の本能が、「そこに入れば楽になれる」と叫んでいるのだ。
「くっ、おのれ魔女め……! 俺の精神を、乗っ取るつもりか……!」
男は必死に床に剣を突き立て、抵抗しようとする。
すごい根性だ。
普通なら、この半径一メートル圏内に入った時点で意識を手放すはずなのに。
彼の額から、脂汗が流れる。
目の隈が濃くなり、顔色が土気色になっていく。
(……ああ、この人)
近くで見て分かった。
彼は怒っているのではない。
限界なのだ。
体中の魔力回路が焼き切れ寸前で、精神が悲鳴を上げている。
痛みと疲労で神経が張り詰めすぎて、逆に倒れることができなくなっている。
いわゆる「過労死一歩手前」。
「……頑張り屋さんなんですね」
私は少しだけ憐れみを込めて、そう言った。
「でも、ここでは無意味です。観念して、堕ちてください」
私はコタツの布団をめくり、彼を招き入れる。
それが決定打だった。
ふわりと漂う温かい匂い。
視覚的な「ふかふか感」。
男の瞳から、ハイライトが消えた。
「あ……」
カラン。
剣が床に落ちる音。
次の瞬間、国最強の騎士は、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
ずるずると、その長い体がコタツの中へと吸い込まれていく。
そして、あろうことか。
「……うぅ」
彼は最後の力を振り絞って前進し、コタツの中にいた私の膝に、頭を乗せた。
(えっ、膝枕?)
拒否する間もなかった。
彼の頭はずしりと重く、熱かった。
「……暖かい……」
それが、彼の最後の言葉だった。
直後、寝息が聞こえ始めた。
スゥ……スゥ……。
まるで子供のような、無防備な寝息。
先ほどまでの殺気が嘘のように消え失せている。
「……はぁ」
私は天井を見上げた。
最強の侵入者を撃退した(寝かせた)のはいいが、これでは私が動けない。
重い。
退かそうとして、ふと彼の手を見た。
剣ダコだらけで、ボロボロの手。
爪の間には血が滲んでいる。
どれだけ自分を追い込んで働いてきたのだろう。
(……まあ、いいか)
私の『コタツ』は、入った者の魔力を吸って熱源にする循環機能がある。
彼ほどの魔力持ちなら、極上の燃料になるだろう。
湯たんぽ代わりだと思えば悪くない。
私は彼の硬い髪を少しだけ撫でてやり、手元の本(『効率の良い二度寝バイブル』)を開いた。
静かな午後が過ぎていく。
私の膝の上で、国の英雄が涎を垂らして爆睡していること以外は、平和な一日だった。
◇
「……ッ!」
男──ジークフリートが目を覚ましたのは、日が暮れて、月が昇った頃だった。
彼はガバッと上半身を起こし、周囲を警戒するように見回した。
「俺は、気を失って……!?」
敵地で意識を飛ばすなど、騎士としてあるまじき失態。
彼は即座に腰の剣を探し──そして、自分の体の異変に気づいて固まった。
「……痛くない」
彼は自分のこめかみを押さえた。
「頭痛が……ない? 関節のきしみも、魔力欠乏の寒気も……消えている?」
彼は信じられないものを見る目で、自分の手を見つめた。
十年以上、彼を苦しめてきた慢性的苦痛が、完全に消失していたのだ。
まるで、生まれ変わったかのように。
「目が覚めましたか?」
私の声に、彼はビクリと肩を震わせて振り向いた。
私はコタツの対面で、焼きミカンを食べている。
「き、貴様……俺に何をした!」
「寝かせただけです。……あと、貴方の魔力が漏れ出ていたので、コタツの燃料として有効活用させてもらいました。おかげで部屋が暖まりましたよ」
「魔力を吸っただと? ……バカな」
彼は狼狽えている。
魔力回路の詰まりが取れ、循環が正常化したことに戸惑っているようだ。
「毒や呪いではありません。ただの休息です。……もう用が済んだなら、帰っていただけますか? そこ、私の定位置なので」
私はシッシッと手を振った。
だが、彼は動かなかった。
いや、動けなかったようだ。
そのアイスブルーの瞳が、じっと私を見つめている。
殺意はない。
あるのは、縋るような、飢えたような光。
「……もう一度だ」
「はい?」
彼はテーブル越しに身を乗り出し、私の手首をガシリと掴んだ。
その手は熱く、微かに震えていた。
「もう一度、頼む! 俺を……俺を眠らせてくれ!」
「はあ?」
「薬も、魔法も効かなかった俺が、数年ぶりに熟睡できたんだ! この感覚は……この救済は、ここ以外にはない!」
必死の形相。
威厳もプライドもかなぐり捨てた、切実な叫び。
彼は私の手を両手で包み込み、拝むように言った。
「金を払う! 言い値でいい! 公爵家の全財産を投げ打っても構わない! だから頼む、俺に『次』の予約をさせてくれ!」
「……ええと」
私は困惑した。
どうやら、厄介な常連客(クレーマーではなく信者)を作ってしまったらしい。
「あの、とりあえず手を離してくれませんか? ミカンの皮が剥けないので」
「頼む! 責任を取ってくれ!」
「重いです」
騎士団長ジークフリート。
後に「アメリの番犬」と呼ばれることになる最強の男は、こうして私のコタツの虜となったのだった。
(……平穏な生活が、遠のいていく気がする)
私は彼の熱烈な視線から目を逸らし、ため息と共にミカンを口に放り込んだ。
甘酸っぱい味がした。




