第10話 エピローグ
森に、本格的な冬が訪れた。
窓の外は一面の銀世界。
しんしんと降り積もる雪が、世界の音を吸い込んでいく。
けれど、私の小屋の中は常春……いや、熱帯のような熱気に満ちていた。
「アメリ所長! 第三テントの『床暖房スライム』が出力低下しています!」
「燃料の薪(要らない報告書)を投下して。あと三十分持たせて」
「了解!」
「陛下! みかんの皮を散らかさないでください! 王宮から苦情が来ますよ!」
「ええい、固いことを言うな! 余は今、究極のリラックス状態にあるのだ!」
相変わらずの日常だ。
『国立特別療養所』は、冬の寒さも相まって、空前の大盛況を迎えていた。
王都の貴族たちは、宝石やドレスよりも、「コタツの一角」を求めて裏取引をしているらしい。
平和だ。
(……忙しいけど)
私はコタツの定位置(一番奥、壁際)で、湯呑みを啜った。
カラン、コロン。
ドアベルが鳴る。
予約客だろうか。
また疲れ切った顔の貴族が入ってくるのかと思いきや、そこに立っていたのは意外な人物だった。
「……久しぶりだな、アメリ」
簡素な旅装に身を包んだ、痩せた青年。
エドワード・ヴァルダー。
かつて私を断罪し、国を過労死させかけた元婚約者だ。
「エドワード様?」
私は目を丸くした。
以前のような神経質な刺々しさがない。
顔色は健康的で、あの威圧的だった片眼鏡も外している。
憑き物が落ちたような、穏やかな表情だった。
「顔色が良くなりましたね」
「ああ。……三ヶ月、たっぷりと寝させられたからな」
彼は苦笑した。
「病院のベッドは退屈だったが……不思議と、悪くなかった。窓から雲を眺めているだけで一日が終わる。そんな贅沢があるとは知らなかったよ」
彼は私の前の椅子に座った。
以前なら「効率が悪い」と怒鳴り散らしていたであろう、のんびりとした動作で。
「今日で退院だ。……明日からは、南方の農業都市へ赴任することになった」
「左遷、ですか?」
「表向きはな。だが、希望したんだ。……数字や効率ではなく、土や作物と向き合いたいと思ってね」
「似合うと思いますよ」
お世辞ではなかった。
今の彼なら、きっと良い領主になれるだろう。
作物の成長を急かさず、雨の日には休むことの大切さを知っているから。
「アメリ。……すまなかった」
彼は深く頭を下げた。
「君の才能を、君の優しさを、私は『怠惰』だと決めつけていた。……本当に救われるべきは、私の方だったのにな」
「顔を上げてください。もう終わったことです」
私は彼に、カゴの中のみかんを一つ差し出した。
「向こうに行っても、ちゃんと寝てくださいね。……もし眠れなくなったら、いつでもウチの商品を送りますから」
「ふっ……。商魂逞しいな、君は」
彼はみかんを受け取り、少しだけ寂しそうに笑った。
「ありがとう。……幸せになれよ」
彼はそれだけ言い残し、雪の中へと去っていった。
その背中は、以前よりもずっと大きく、そして温かく見えた。
◇
夜。
療養所の客たちも帰り(陛下は騎士たちに担がれて強制送還された)、森に本当の静寂が戻ってきた。
パチパチと暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く。
私はコタツの中で、うとうとと船を漕いでいた。
「……アメリ」
隣に座っていたジークフリートが、静かに私を呼んだ。
「んぅ……」
「寝るな。大事な話がある」
「明日じゃダメですか……」
「ダメだ。今じゃないと、俺の勇気が持たん」
彼は私の肩を揺すり、無理やりコタツから上半身を起こさせた。
不満げに彼を睨むと、彼は真っ赤な顔をして視線を泳がせていた。
あの「氷の英雄」が、借りてきた猫のように挙動不審だ。
「……なんだ、その。……あれだ」
「どれですか」
「俺は、君の護衛だ」
「知っています」
「だが、護衛というのは契約だ。いつか終わりが来るかもしれない」
彼は拳を握りしめ、意を決したように私を見た。
そのアイスブルーの瞳が、暖炉の火を映して揺れている。
「俺は、終わりを作りたくない」
「……」
「君が作ったこの場所も、君が入れるコーヒーも、君の隣で眠る時間も。……すべて、俺の人生に不可欠なものになった」
彼はポケットから、小さな箱を取り出した。
パカッ。
中に入っていたのは、銀色の指輪。
中央には、淡く光る紫色の石──私が好きな『安眠石』が埋め込まれている。
「……結婚してくれ、アメリ」
直球だった。
飾り気のない、不器用な言葉。
「君のコタツの隣を、一生、俺に予約させてほしい。……君が眠る時は俺が守るし、俺が眠る時は君の体温を感じていたい」
「……」
私は指輪を見つめた。
綺麗だ。
それに、微かに魔力を感じる。
「これ、魔法がかかっていますね?」
「……ああ。『悪夢を見ない』加護と、『冷え性防止』の常時発動魔法だ」
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
宝石の価値よりも、私の「睡眠の質」を優先したチョイス。
世界で一番、私を理解している贈り物だ。
「……条件があります」
私は彼を見上げた。
「なんでも言え。国を一つ落とせと言うなら、今すぐ行ってくる」
「違います。……朝、私が起きるまで起こさないこと」
「容易い御用だ」
「二度寝を許容すること」
「俺も一緒にするつもりだ」
「休日は、一日中パジャマで過ごすこと」
「望むところだ」
彼は私の言葉を、すべて即答で肯定した。
私のダメなところも、怠惰なところも、すべて受け入れると誓っている。
(……ああ、やっぱり)
私は、この人のことが好きだ。
最強の騎士団長で、国の英雄で、でも中身は寂しがり屋の大型犬みたいな人。
「……契約成立、ですね」
私が左手を差し出すと、彼は震える手で指輪を嵌めてくれた。
サイズはぴったりだった。
「ありがとう、アメリ……!」
彼は感極まったように私を抱きしめた。
強い力。
でも、痛くない。
彼の体温が、コタツの熱と混じり合って、とろけるような心地よさを生み出す。
「愛している。……おやすみ、俺の愛しい魔女」
「おやすみなさい、私の英雄様」
窓の外では、雪が世界を優しく覆い隠していく。
明日の朝は、きっと遅くなるだろう。
もしかしたら、昼まで起きないかもしれない。
でも、それでいい。
誰にも咎められない。
だって、ここは私たちが作った、最高の楽園なのだから。
私は彼の胸に顔を埋め、深い、深い眠りへと落ちていった。
これにて、私の「断罪」から始まった物語は幕を閉じる。
めでたし、めでたし。
……むにゃ。




