流れる。のを辞める④
――――――――
「ぜー……はー……!……運動不足が祟ってるぜ、ちくしょう……!」
小走りで街の裏路地まで逃げてきた。
あー、少し走ったらもう体がダルい……
くっそ……世界も変わった事だし、ちゃんとやらないとな。
何をやるにしても体は資本だ。
「ふー……。それにしても……」
軽い気持ちでこのバッジを出したのは失敗だった。まさか、ヴァンシュタイン家があんなにまで人気が有るとは思わなかったぞ。
確かにカーンさんは、来たばっかりの俺から見ても凄く出来た人だなとは思ったが……。
もしかしたら、あの家の代々の当主は皆、相当な名君揃いなのかも知れないな。
「……いや、そんな事よりも今は宿だ宿!早いとこどうにかしないと野宿だぞおい!」
思わず独り言を叫んだ時、不意に背後から声を掛けられる。
「ひっひっひっ……宿を探しておるのかい?其処行く兄さんよ」
「――うおっ!?誰だ爺さ……いや、婆さんか?」
「儂ゃババァじゃよ。兄さんよ、宿なら良いのを知っとるぞ」
「ホントか!?……いや、でも待てよ」
申し出自体は有難い。有難いが……
この婆さん、どっからどう見ても怪しさたっぷりなんだけども。どうしよう。
路地が薄暗いからか、顔も良く見えないし……
「どうした?代金が不安ならその串焼きでも構わんぞ」
「いや……別にそういう訳じゃ。……えっ、串焼きで泊まらせてくれんのか?」
「ひっひっ。儂ゃカエルに目がないでの」
思いっきり、魔女じゃねーか……もしくは山姥。
「有難いけど、本当に大丈夫か?」
「あん?何がじゃ」
「いや、泊まらせておいて俺を喰うとか……しないよな」
「ひっひっひっ……!誰が好き好んで人間なんぞを喰うものかね!」
「それ、下手したら喰う可能性が有るって事じゃないのか?」
不安しかねーけど、うーん……
仕方無い……か。
「分かった。婆さん、世話になるよ」
「ひっひっ、交渉成立じゃな。代金はどっちになさるかね?」
「じゃあ串焼きで。……良いのか?」
「構わん、構わん。困った時にゃあお互い様じゃ」
婆さんに袋ごと、串焼きを全部渡す。
婆さんは串焼きを一本取り出すと、一息に平らげる。
「んむんむ。カエルはやっぱり旨い、旨い。のう……ひひひっ」
大丈夫……なのか?
もしかしたら俺は、選択肢を間違ったのかも知れない……。
――――――――
「ここじゃ」
婆さんに連れられて来たのは、寂れた建物が並ぶ通り。
その一角の、これまた随分と寂れた……ていうかもう朽ちてないかコレ?ボロボロだぞ。
……まぁとにかく、古い宿(?)だった。いちおう看板らしきものが提げられているから多分そうだろう。
「さぁお入りよ、兄さん」
「あ、あぁ。世話になる」
言われるままに中に入る。
入り口で靴を脱がずに廊下を進むと時折、足裏から嫌な感触がする。
もう少し体重を掛ければ恐らく、床が抜ける様な……そんな感じの感触が。
窓に目を向ければ、ジッとこちらを見つめる黒い鳥が庭の木に止まっている。
「……な……なぁ。婆さん」
「なんじゃね」
「俺の他に客は……」
「今日は兄さんの貸切じゃよ。ついとるのー、ひひっ」
……怖い。今になってめっちゃ怖くなってきたんだが。
だけど、逃げ出せない。人って本当、不思議だよなぁ……。こういう時、逃げたほうが却って恐ろしいのかも知れないとか考えちゃうんだから。
うん。
やっぱこういう時は流されるままに限るな……
本当……どうしようもねーよ。
「この部屋に泊まっていき。儂ゃ入り口近くの部屋におるでの」
着いたのは建物の一番奥の、こじんまりとした部屋。
なんか湿気が凄いし、暗い。壁に掛かった絵もやたら不気味に見える。
「あ、あぁ。……ありがとう」
「ひっひっ。ではの」
笑い声を残し、婆さんは何処かに消えていった。
部屋に一人残された俺は、不自然な程に静まりかえった空間にぶるる、と身震いをする。
「……寝よう。寝れば朝になってるさ」
風呂も入らず、湿った布団に潜り込み目を閉じた。
自分で思っていたよりも疲れていた俺は、少ししてから眠りに落ちた。
……しかし。
――カタッ。
カタタッ。
「…………ん」
なんだ?
どっかから物音が……
――ギシッ……ギシッ……
物音に身を起こす。
廊下……か?
こんな夜中に一体……
ギシッ……!
「……!?」
今……明らかにこの部屋の前で音がしたぞ……!?
なんだ、なんなんだよ!?
「――誰だ!?」
ひとまず、頑張って声を出してみる。
……反応は無い。無いけど、絶対に扉の前に何かがいる。そんな気配がする。
「……っ」
音を立てない様にして布団を抜け出す。
足音も鳴らさない様に最善の注意を払う。……掌にじっとりと汗が滲むのが分かる。
「うぅ……」
怖い。怖いけど……!
ここは意を決して……!!
「…………っ、誰だァ!!」
勇気を振り絞って扉を勢いよく開ける。
そこには――
「……誰も……居ない……?」
……は?
嘘つけ、絶対誰か居たじゃねーか……!いや居ただろ!!はぁ!?巫山戯んなよ!!!
いやでも待てよ、居たのがもし人間でも動物でも無いってんなら……
「お、お化け……っ!?」
震える足で静まりかえった部屋に戻ると、途端に恐怖に襲われる。
「……っ!!!」
耐えきれなくなった俺は、急いで布団に潜り込み……頭から布団を被り、必死に目を瞑る。
初めはガタガタ震えていたが、その内に眠りに落ちたようで……
気付けば、朝になっていた。
「…………」
昨夜の出来事が頭から離れずにぼーっとしていると、廊下から声を掛けられる。
「ひっひっひっ。おはようさん、良く眠れたかい?」
「眠れなかった……」
いや寝てたんだろうけど、寝た気は全くしない。
ガチャ、と扉が開かれる。
――アレ。
俺……扉、閉めたっけ。
「おやおや、随分と酷い顔じゃね。なんぞ化け物でも見たのかい……ひひっ」
……あ。
この婆さん、まさか……!?
「……知ってたのか?」
「うん?何がじゃね」
「幽霊だよ、お化け!昨日の夜に出たんだ!」
「ほう。やはり出たか」
「おい、ババァ!やっぱ知ってたのかよ!」
「化け物が出んとは言っとらんぞ」
このババァ……!
「いや聞いてねーけど!んな部屋に泊まらせんなよ!!」
「格安なんじゃから多少は飲み込め」
いや正しいのかも知れねぇけど!……腑に落ちな過ぎるぞ……
「ひっひっ。さ、起きたのならとっとと出ておいき。それとも、もう一泊するかい?」
「……する訳ねーだろ!」
なんとも重い気を拭えないまま、廊下を歩く。
「まぁ悪く思うな兄さん。この宿に儂以外の人間がいればアレは何故かそっちに行くのじゃ。お陰で快眠じゃったぞ」
「先に言えっつうの……そしたら泊まんなかったぞ……」
「じゃから言わんかったろ?」
「クソババァめ……」
入り口に着いた後……逃げるようにして、急いで建物を出る。
「じゃあなババァ!宿ありがとう!」
「ひひっ。またのお越しを」
二度と来るか!!
若干の筋肉痛を足に感じながら、その場を走り去った。
「……おや。お前さん、いよいよここを出る気になったのかい?」
「そうかいそうかい。あの兄さんがそんなに気に入ったかい」
「……あぁ、おいきよ。儂ゃ一人でも問題ない」
「ひっひっひっ。……面白い事になったのう」




