「あなたを愛することはない」――そう言ったボケナスは私でした
「あなたを愛することはないわ」
そう告げると、はるばるこんな辺境まで婿入りしてきた「旦那さま」は溌溂とした笑顔を見せた。てっきり激昂するなり落ち込むなりを想像していたので、思わず目を見開いてしまった。
「はい! 承知いたしました! 私も愛さないようにしますね! 精一杯努めますので、末永くよろしくお願いします!」
「ああ、うん、はい。元気ね。私たちはもう夫婦なのだから、もう少しくだけてくれてもいいわよ」
「わかった! よろしくなマチルデ! 俺のことはロベルトって呼んでくれ!」
「距離感の詰め方狂ってる方?」
この時点で既に、収集していた彼に関する情報のほとんどは役に立たないし、おそらく意図して流布されたものだとは察していた。あまりにもかけ離れ過ぎている。いえほんと誰? なに?
かと言って、別段、何かをするつもりはなかった。
これから彼は、ロベルト・ランソルではなく、ロベルト・ヴェルディとしてこの地で生涯を閉じるのだから。誰からも遠巻きにされる「赤百合」女伯爵の生贄として。
ろくな見合い相手に恵まれなかった私は、何の力もなく何の脅威にもなり得ない、私の威を借ったとしても大したことはできやしない、そういう子爵家から彼を「買った」。
これはそういう契約なのだ。
愛だの恋だの、戦場に心を置き去りにしたままの私には難解すぎるし、煩わしい。
だから、私になにひとつ期待するなと意思を込めて、もう一度ロベルトを見遣った。
彼はただ、楽しそうに微笑んでいた。
――半年後。
「好き………………………つら………………………むり………………………」
私はロベルトに骨抜きとなっていた。
「しかしお館様。先に牽制されたのはあなたですよ」
「分かってるわよ過去の自分を縊り殺せるなら殺してるわよ!」
家令に指摘され、執務机に突っ伏しながら叫び返す。
どうして。どうしてこうなった。
唸りながらこの半年で知ったロベルトのひととなりを思い返す。
誰に対しても、使用人でも領民でも、本当に、誰に対しても丁寧で、誠実で、朗らか。その屈託のない笑みを見てしまえば、誰もが彼を好きになった。
博識で、本が好き。最低限の教養と学があればいいと育てられた私と違って、知識欲が強い。持ち腐れとなっていた屋敷の書斎に光と温もりを灯したのは彼だ。
時折、寂しそうに微笑む。自分が愛される人間ではないと思い込んでいるように。価値がないと信じ込んでいるように。抱き締めたくなる孤独を抱えている。
あと、顔がいい。すごくいい。
栗毛の馬のように艶々と光をはじく髪に、淡い朝焼けのようなアメジストの瞳、均整の取れた肉体、くるくるとよく動くので日に焼けた肌。
すごくいい。ハンサムとかわいいが同居してる。天才。神さましごでき。
「マチルデ、庭の薔薇が美しかったんだ。あなたの部屋に飾ってもいいかな」
この笑顔である。
え、私の部屋に美しいものがあって、私の視界に彩りがあればいいと思ってくれてるの……? いっぱいすき……。
伯爵の伴侶である彼は、私の領地経営も手伝ってくれるけれど、主としては家政を取り仕切ってくれている。
その過程で、庭師とも仲良くなったらしく。こうして花を持ってきてくれることが多かった。
最初は懐柔でもする気かと半目で眺めていたけれど。
こうもぺかぺかの笑顔で来られてしまうと、疑っているのが馬鹿らしくなった。
そして、絆されて絆されて、今である。
相手に絆す気は一切なくて何なら全く脈がない現状が辛い。
しかも先に「愛するつもりはない」とか言ってる。
馬鹿がよ。私だったらそんなこと言ってきた男が手のひらを返して愛を囁いてきたら叩き斬ってる。つまりそういうことだ。私に愛も恋も乞う資格はない。
あの、寂しそうな人に。先に線を引いて、ひどい言葉をぶつけたのは私なのだ。
「はぁ。ひとまず呻いていないで当たって砕けてみては?」
「不敬~~~~~~。ビックリする。なに? 私の心が砕け散ってなおかつロベルトが不快な思いをしてもいいって言ってる? 処す?」
「旦那様はまず信じないと思いますので不快も何もないかと」
「え? 殺しに来てる?」
戦場を共に駆け抜け、今は「剣なんて野蛮なもの持ったこともありません」という面で家令をしている気心の知れた部下兼使用人たる彼は、ざくざくと心を抉ってくる。
分かっている。分かっている。
どう足掻いたところで彼はもう私のもので。私のものにしかなれなくて。そうして生きて、ここで死んでいくしかないのだ。
そんな彼に、私は快適な環境を提供すればいいと思っていた。けれど今は違う。
あの瞳の奥の寂しさを掬いたい。彼の心を曇らせる全てを蹴散らしたい。
ロベルトと。愛を、恋を。交わしたい。そうして、私のわがままだと知っているけれど、それを幸せだと思って、笑ってほしい。私との日々が幸福だと感じてほしい。
それならば。それならば、私は立ち上がって、形振り構わず彼の心を乞うべきだった。
「無理~~~~~~~~好きすぎて無理~~~~~~~~~~~どの面下げて言うのよ『あなたを愛することはない』とかボケナス言ってんのよ私ホントどの面下げればいいのよ生憎この面しか持ってないのよ!!」
「ところでお館様、女王陛下から書簡が届いております」
「え!? 今までそれ持ったまま突っ立ってたの!? 仕事する気ある!?」
「お館様が使い物にならなければ私の仕事はないので……」
「ぐう」
「ぐうの音は出ましたね」
はいこちらです、と渡された、バチバチに格式張った最上級の親書と分かるそれに、こいつこれをすぐに渡さないで小一時間私を眺めてたの? と信じられない気持ちになる。
肝が太すぎて大樹の域だと思う。
『やっほ~~余だよ! 結婚生活うまくいってる? 子供はいつできそう? 余があげた伯爵位、一代で終わらせたら来来来世まで恨むよ! がんばってね!
追伸 次の講和記念舞踏会こなかったら潰す』
「はわ……」
一から十まで勝手すぎるうえにこんな気合の入った親書で送ってくる内容ではないと我が君ながらドン引く。
彼女のためなら一国も滅ぼしてみせるしどんな首も狩ってくるし死ねと言われれば死ぬけど、さておき、こわい。
さすが隣国との戦時中に内輪揉めを繰り返すボケカス王侯貴族を軒並み殺し尽くして継承権九位からこの国史上初の女王となり、戦争にもきっちり勝った女は違う。
ちなみに国内外の敵を殺し尽くしたのはだいたい私である。
しがない騎士の家系だった私は、順当にいけば次代を生む胎として生涯を終えるはずだったけれども。神さまは趣味が悪いらしい。
私は、六歳のころ、習ったこともない見様見真似の剣技で、父の首を狙ってやってきた暗殺者を仕留めてしまったのだ。たまたま夜中に起きて鉢合わせただけだったけれど。あっさりと命を取ってしまった。
そんな私に試しに剣を握らせた父は。何の訓練も積んでいない状態で、兄たちを叩きのめし、父にすらも肉薄してみせた私に。剣の道を指し示した。
『お前の剣は、振るわねばいつかお前の手の中で腐り落ちて、何もかもを殺す呪いとなる。ならば、お前は神の与えた才に従って生きなさい』
確かに。あのままただの女として生きていたら、私のこの才能はよくない形で暴走していたかもしれない。
戦場という、私という獣の正しい居場所を教えてくれた父には感謝している。
そんなこんな。まだ末の王女であったころの陛下に見出され、八面六臂の活躍をし、晴れて戴冠され戦争にも大勝ちした彼女に史上初となる女の身でありながらの伯爵位を叙された私は、国境の領地を与えられ、そこで暮らすこととなった。
やったこともない領地経営に四苦八苦しつつ、生活が落ち着いたころ。
陛下から結婚を勧められた。彼女が言うのであればと、私は重い腰を上げた。
結果。
惨敗だった。
この男社会で武功を立てまくり、史上初の女王と彼女の覚えめでたい史上初の女伯爵として言ってしまえば権力を握りまくっている私は、それはもう、遠巻きにされたし、馬鹿にされたし、怖がられたし、好奇の目に晒された。
近付いてくるのは剣の腕に見合わぬ私の美貌――いやほんと、これはほんと、私結構な美人――に惹かれてきて私の男にへりくだらない性格を嫌ったやつとか、私とひいては陛下の威光目当てのバカとか、あとは物見遊山の物好きとか、そういうのばっかりだった。
なので、私は陛下のご下命に応えるため。
小さな小さな、ほんとうに、なーんの力もない子爵家から婿を「買った」。
子爵家は「ロベルトの」散財によって傾いており、早急な援助を必要としていた。
かの家の次男であったロベルトは、優秀な兄に比べて非才の己にいじけ、浪費と女に走り、誰にでも横柄で、暴力的で、とんでもない男だという話だった。
どうでもよかった。羽虫のように小さな家だ。婿をもらった後、私や陛下に少しでもたかろうものならぷちりと潰してしまえばいいと思っていた。
私という、歪な女の家に囲うのだ。何の力もない男で、さらに問題のある男ならなけなしの良心も痛まないと思った。
ちなみに。ロベルトと彼の兄は瓜二つらしい。ふ~~~~~~~~~~ん。
「マチルデ、あなたの家は本当にあたたかいな。人も優しくて寛容で、部屋は清潔で隅々まで行き届いていて、みな強く姿勢が美しくて、料理もとても美味しい。あなたがそうしているんだな」
あっ子爵家つぶそう。そう誓った瞬間だった。
こぉんな優しくて綺麗で照れ屋で朗らかで明るくて可愛くて愛しい男にカスみてぇな悪評流して放置してる家とかどうでもよくない?
「は~~~~~~~~~~~子爵家の裏探っといて。景気よく潰せるようにあらゆる罪をさらってきて。ないなら捏造していいわよ」
「ああ、舞踏会で晒し首にされるので? 講和の場に相応しくないのでは?」
「講和ぁ? ナマ言ってんじゃないわよ。あんなの隣国が調子乗らないようにもう一度へし折っておく場に決まってるでしょ。なら身内でも平気で首を斬り飛ばすところを見せてあげた方が親切だわ」
「我が国野蛮が過ぎませんか?」
「兄弟姉妹を殺し尽くして玉座に就いた女が頭にいる限り品行方正は無理よ。というか、あと隣国がうちに勝てるって夢見てる内も無理ね。そもそも戦争がなかったら陛下だって大人しく政治の駒としてどこぞに嫁いでたわよ」
「あの陛下が大人しくされてましたかね……」
「陛下はご自身の責務に誠実な御方よ。それが国益となるならばなんでもされるだけ」
その姿に忠誠を捧げた。ただの剣を上手に振れるだけの獣でしかない私を、正しく使ってくれる方。彼女のためならなんだってできると思った。
「どうでもいいですけど旦那様にちゃんとご実家蹂躙しますって言っておいてくださいよ」
「嫌われたらどうするのよ!!」
「知りませんよいきなり目の前で惨劇見せられた方が嫌でしょ」
「ぐう」
そして私は、新たな難題に立ち向かうこととなった。
――数ヶ月後。講和記念舞踏会。
「言えなかった~~~~~~~~~!!」
「うるさいうるさい知りません存じ上げませんとっとと嫌われてきてください」
「だってぇ! 私ロベルトに嫌われたくなくて家臣団との鍛錬も見せてないのよ!? なのに急に私が戦場帰りの蛮族みたいなこと言ったら引かれるじゃない!」
「戦場帰りの蛮族でしょうが! 冷酷無比の!」
家令にめそめそと泣き付く私を、既に馬車を降りて困った顔でこちらを見ながらロベルトが待ってくれていた。金にモノを言わせて着飾ってもらったので、いつも素敵で無敵なのに今日は無双って感じだ。
すごい、彼が動くたびに彼という存在を光が追い掛けて瞬いているようだ。それぐらい目を奪われた。
何度も鏡で確認してきた自分の姿を思い返す。今日もちゃんと、それなりに私は美しかった。
私はこの顔に何の価値も今まで見出していなかったけれど。
今日ばかりは。彼の横に立つに相応しいのではないかと、この顔に感謝した。
傷を隠すために首や手首まで覆うドレスだけれど、それでもちゃんとこれも腕のいい職人に仕立ててもらったものだ。見劣りはしないはず。
月明かりに反射する金髪が嫌いだった。夜襲の邪魔になるから。
美しい顔などどうでもよかった。相手がなめてくれるという価値しかなかった。
女性平均程度の身長がもどかしかった。もっと上背があれば、私はもっと強かった。
必要な筋肉しかつかない、ドレスを纏えば細身にすら見える体が疎ましかった。もっと鍛えた分だけ応えてくれる肉体がほしかった。
それでも私は誰よりも強かったからそれでよかったけれど。
「マチルデ、すごい、あなた、あんまり綺麗で……白百合みたいだ」
彼が、そう言ってくれるなら。今日まで煩悶のすべてが、どうでもいいと思った。
白百合。白百合ですって。
思わず扇で口元を覆って笑ってしまった。
愛しいロベルト。あなた、忘れているのかしら。
私は、赤百合。赤百合のマチルデ。血濡れとなった白百合の成れの果てだ。
それでも、あなたが。そう言ってくれるなら。私は嬉しいと微笑むことができた。
「あら、まぁ。陛下。隣国はバカなのですか?」
「馬鹿なのだろうなぁ。おまえがいると知ってなおこの愚行を働くのだから」
会場内。
舞踏会が始まってから数時間後。
そこは、血の海となっていた。
使節団が暗殺部隊だった。言ってしまえばそれだけの話。陛下に挨拶をするために近付いた彼らは、その凶刃を振り被って――やや距離を置いて見張っていた私が投げたナイフによって片目を失った。
相手が一瞬動揺している間にドレスの下に隠していた短剣を取り出してそのまま躍りかかる。すっと陛下を確認し、「殺してヨシ」の合図が見えたので一人も残さず狩り尽くした。
「はぁ、今日はご覧いただきたい茶番がありましたのに」
「あー聞いておるぞ。余も見たかったのだがなぁ」
これではなぁ、と陛下は招待客のほとんどが逃げ出した後の会場を見渡す。もちろんランソル子爵家も消えていた。
「まぁ、次の機会だな。おまえ、領地に引っ込んでばかりいないでたまには顔を見せよ。つまらぬだろう」
「あなたが剣を必要とするときは、いつ何時でも馳せ参じますわ」
「妾のかわいい獣の仔。おまえの顔が見たいだけだよ」
「はぁ……」
私に剣以外の価値などないのに。やはり不思議な御方だと思った。
「マチルデ!」
「あ、う、ろ、ロベルト……」
陛下に礼をして御前を下がった私に、ロベルトは駆け寄ってきた。なんだったら一番逃げていてほしかった人だった。危なかったし、見られたくなかった。
「マチルデ、大丈夫か? 怪我は? どこにも痛みはないか?」
「ええと、ありがとう。なんともないわ」
「そうか……」
ほっと息を吐くロベルトに、戦闘で千切れてしまったドレスの袖をいじりながら俯く。火傷や切り傷、右腕一本に、さまざまな傷が刻まれていた。
見られたくなかった。
赤百合の私も。傷だらけの体も。
陛下の剣としてしか価値のない私を。見てほしくなかった。
お日さまみたいに優しくて綺麗なあなたの目に、映したくはなかった。
傷なんてどうでもよかったのに。剣であることは誇りだったのに。
恋とはかくも、ままならないものだった。
床に視線を落としたままの私に、ロベルトが一歩近付いた。
なんだろう、と顔を上げようとして。
ふわりと、抱き締められていることに気が付いた。
「マチルデが無事で、本当に良かった。あなたに何かあったらと思うと、身が引き裂かれそうだった」
「あ、の、ロベルト?」
「俺が飛び出してもあなたの邪魔にしかならないと分かっていた。だから見ていることしかできなかった。あなたは本当に強くて、美しくて、鮮やかで。獣のようにしなやかで、剣のように鋭かった」
「う、え」
「いつもの、温かくて、優しくて、親切で、丁寧で、穏やかなあなたにも恋焦がれていたけれど。戦場のあなたは本当に美しかった」
「こっ、こここ、こっ?」
「愛しいマチルデ。どうか俺を、陛下の剣たるあなたの、唯一無二の、人として羽を休める場所にしてくれないか」
顔をそっと包まれて、目が合う。
美しい朝焼けのアメジスト。私が世界でいっとう綺麗だと思う色。
その、瞳が。鏡で何度も見た己のそれと同じように、蕩けていた。
相手の心を恋願う、熱。
「あなたは俺を愛さないと言った。俺はそれを了承した。ならばこれは契約違反だ。分かっている。分かっているけれど。あなたがほしい。あなたの唯一になりたい。あなたが剣ならば、人としてのあなたを知るただ一人の男となりたい。穏やかなあなたも、抜き身のあなたも、たまらなく好きだ」
こつん、と額がぶつかる。視界いっぱいに、アメジストがあって。それが、懇願を湛えていて。
あんまりに、美しく揺れるから。
「マチルデ。俺を愛して」
血塗れの女に、そんなことを、あなたが囁くから。
「あなたを愛することは――もう、息をするのと一緒だわ」
私はたまらず、目の前の唇に自分のそれをぶつけていた。はしたなくてもいいと思えた。
「ロベルト。私を愛して」
恋焦がれて。誰も見ないで。人の私は全部あなたにあげるから、あなたの許してくれるところは全部私にちょうだい。
離れた唇が、今度は覆い被さるように塞がれる。ぬるりと這わされた舌を、口をそっと開いて受け入れた。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ロベルトが節穴でよかった!!!!!!!!
そんなことを思いながら、私は熱に酔い痴れた。




