第9話 デートと勘違い
靴を履いて玄関前に立っていると、階段を降りる軽快な足音が響いてきた。
「おまた〜♪かなたん、今日はエスコート……よろしくー!」
昨日と同じように低い位置でまとめたツインテール。昨日とは違うベージュのキャスケット帽。ひまりは満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「……エスコートって、ただの町案内でしょ」
「分かってないなぁ〜。“デート”の方が美味しく感じるでしょ。もうランチは始まっていると言っても過言じゃないんだよー♪」
ひまりは“はぁやれやれ”とでも言いたげに肩をすくめて、芝居がかったため息をつく。
「俺はひまりと“デート”だと、緊張して味がわかんないかもな」
軽くおどけて返すと、ひまりは「えっ!」と目を丸くして固まった。
冗談のつもりで言ったのに、ひまりの反応が思ったより真剣で――こちらも慌てる。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて……」
弁解しようとしたその瞬間、食堂の扉が開いて、ナヅキがひょこっと顔を出した。
「花守くん……ひまりちゃん、行ってらっしゃい……」
なぜか一拍、間があった。それがどこか引っかかる。
「あっ、お、おう。秋月さんも気をつけて。施錠しちゃって大丈夫だから」
「ナヅキ先輩、収録頑張ってくださいね!」
「……ありがと。がんばる」
ひまりが明るく声をかけると、ナヅキはほんの少しだけ目を細めて微笑んだ。
けれどその笑顔は、よく見ると――どこか硬かった。
そんなナヅキに見送られて手を離した玄関の扉は、思った以上に静かな余韻を残して閉まっていく。
外は、午前中のやわらかな風が近くの小学校から合唱曲を運んでくる。
穏やかな空気の中、ひまりはどこか俯き気味で歩き出した。ツインテールの揺れも、いつもより少しだけおとなしい。
「ひまり、どうしたの?」
「うち、ナヅキ先輩に嫌われてるのかなーって。……硬くての、かなり距離を感じるかも」
語尾は明るくごまかしている。でも、その声色はほんの少しだけ沈んでいた。
「キャラ的に嫌われても仕方ないけど……うちは、ナヅキ先輩のこと、めちゃ尊敬してるからくるものがあるんだよ」
ナヅキの方言を隠したようなカタコトの話し方。なんとなく、理由は分かる。
配信では少し踏み出したナヅキ……でも、現実ではもう少し勇気がいるのだろう。
「秋月さんの性格からして、それはないと思うな。……俺から言うのもなんだけど、そのうちちゃんと打ち解けるよ」
「うーん、ま、かなたんが言うなら信じてみようかなー」
ひまりは一瞬だけ立ち止まって、ふっと息を吐く。
「……落ち込んでも仕方ないし、今日は楽しむ日にしよっ♪」
笑顔が戻ってくる。それでもほんの少しだけ、まつ毛が揺れた。
「今日、ナヅキの収録終わったら、みんなで晩ごはんにしようか。きっと一緒にご飯食べれば解決するよ」
「よーし、料理長!オーダー、仲良くなりそうな晩ごはん♪」
「任された!まずはランチで英気を養おっか」
2人は、ひまりがSNSで見つけた“映えランチ”のカフェに向かった。
少し早めに着いたはずなのに、すでに入り口には行列ができていた。
窓から中をのぞくと、席間は狭く、にぎやかな話し声が店内を埋め尽くしている。
「ひゃ〜、混んでるね〜……」
ひまりが少し声を潜めながら言う。さっきまでの元気が、ほんのり引いていた。
「ひまり、この近くに洋食屋があるんだけど、行ってみない?多分ここより静かで、話もしやすいと思う」
ひまりは一瞬目を見開いて、それから笑った。
「……ありがとう。やっぱ、うちのこと、ちゃんと見ててくれるね〜。さすが、ひまり大好きっ子!」
照れ隠しのように、くすっと笑ってから腕を振る。
「よっしゃー!めっちゃお腹すいたー!」
住宅街の角を曲がると、そこにその洋食屋はあった。小さな木の扉と、鉢植えのハーブが並んだ入口。派手さはないが、落ち着いた雰囲気が漂っている。
「わ〜、かわいいお店……!口コミは載ってなかったけど、穴場感あるね、こういうの好き!」
「でしょ。おばあちゃんに教えてもらったんだ。家族連れも多いけど、静かで落ち着けるって」
「ふふっ、信頼と実績の“おばあちゃんの知恵袋”だね!」
「知恵袋じゃないけど、お客さんから色々聞いてて、詳しいね」
2人で笑いながら店内に入ると、木のぬくもりが優しく迎えてくれた。カウンターには年配の女性、奥の厨房からはコトコトと煮込み料理の匂いが漂う。
テーブル席に案内され、メニューを開く。少し色褪せた写真だけど、一つずつ丁寧に紹介されている。
「うち、煮込みハンバーグにしよっかな……いや、オムライスも……ああ〜迷う!」
「じゃあ、どっちも頼んでシェアしようか?」
「えっ、いいの?ありがとう!やっぱ、かなたん、ひまり大好きっ子だね〜♪」
「何回言うんだよそれ……」
笑いながらメニューを閉じると、ほっと息をつく。
目の前のひまりは楽しそうにカウンターのガラスケースに入ったケーキに目をやり、早くも何にしようか吟味していた。
料理が運ばれてくると、目の前の皿にひまりの目がきらきらと輝く。
「見てこれ〜!とろとろ〜!この匂いだけで、もう美味しいんだけど!」
「まだ食べてないのにテンション上がってる……」
「いや、これはテンション上がるって!もういただきまーすっ」
オムライスを大きくすくって、ひまりはひと口食べて、目を閉じた。
「……うんまっ……!」
声を殺すように呟きながら、目を開けた時の表情は、まるで子供のようだった。
小さな感動を、ちゃんと味わっている顔。
そんな表情を見るたびに思う。ひまりは明るくて、強くて、素直で……だからこそ、繊細な部分も見え隠れする。
「かなたんも、ほら、食べて食べて!オムライス、半分こね!」
「はいはい。じゃ、こっちもどうぞ」
皿を交換して笑い合うその瞬間だけ、少しだけ距離が縮まったような気がした。
食後は商店街を少し歩いた後、ふらっと立ち寄った公園のベンチに腰を下ろした。
休みの日には子どもの声が響くであろう公園も、平日の昼間は静かで、独占したような贅沢な気分だった。
木陰のベンチに座ったひまりは帽子をはずして、風を受けながら空を見上げる。
「ねえ、かなたん」
「ん?」
「さっきさ、“ナヅキ先輩とご飯食べたら、きっと仲良くなれるよ”って言ってくれたじゃん」
「ああ」
「……そうなるといいなって思ってる。でも……自分がどうして嫌われたか、なんか分かる気がしててさ」
ひまりの言葉は、どこか遠くを見つめるようだった。
「……うち、明るくしてるの、キャラ作ってるつもりもないんだよ。……けど、多分どこか、空気を読もうとしちゃうとこがあるんだよね。SNSの声にも左右されやすいし……私が強く見せてるの、バレてるんじゃないかなって……」
「……」
この年齢で大手の事務所に所属して、配信を続ける……他責思考でなく、自責思考だからできることだろう。
でも、今回はそれが、裏目に出ている。多分、そんな理由でナヅキは、嫌わない。
深くかぶり直した帽子のつばが、少しだけひまりの顔を影にした。その横顔はまっすぐと地面を見つめていた。
「秋月さんの……気にしているところを俺から話すわけにはいかないけど……」
と、俺は前置きをする。ひまりがこちらを見る気配がする。
「まだ、短い付き合いだけど……ひまりのその性格が好ましいと思ってる。多分、絶対にひまりが嫌われてることはないと思うよ」
ナヅキのお土産にとひまりが選んだケーキの箱を持ち上げて、ひまりに見せる。
「……俺は、こんなに他者のことを思って、選んでたひまりを知ってるからね」
少しだけおどけながら言うと、ひまりのハニーブラウンの瞳に俺がうつる。ひまりは少しだけ笑ってみせた。
「知ってくれてる人がいるって、けっこう救われるね」
そう言って、また空を見上げたひまりの表情は――少しだけ、やわらかくなっていた。
* * *
靴を脱いで、自分の部屋に戻ると、うちはは帽子をポスッとベッドの上に放った。
心地よい疲労感が体に残っている。
服もそのままに、うちは枕に頬をくっつけた。自然と小さく息がもれる。
「……かなたん、ほんと優しいなぁ……」
ひとりごとのように呟くと、スマホを手に取り、撮ったランチの写真を眺めた。
ハンバーグとオムライス、笑ってる自分――そのどれもが、今までの“うち”と少しだけ違って見えた。
なんでだろう、って考える。
別に、今までだって楽しいことはたくさんあったはずなのに。
「……違うか。今日のうちは、ちょっとだけ、ほんとの“うち”だったのかも」
配信者としてじゃなくて、空気もあまり読まなくて、
本当に、自然に、笑ってた気がする。
天井を見ながら、ぼんやりと浮かんでくる。
誰もいない公園、木漏れ日の下で、「知ってるよ」って言ってくれた彼の声。
たったそれだけのことなのに、胸の奥に何かがふわっと膨らんで、ちょっとだけ、こそばゆくなった。
「……うち、もしかして……」
そこで言葉が途切れる。
恥ずかしくて、最後まで考えられない。
でも、顔が熱い。
布団に潜って「うわーっ」と声を漏らす。
「ダメだってばー、こんなん、まだ出会って2日、これは勘違いでしょ〜〜〜!」
……でも、心の奥に浮かんだ“もしも”が、消えない。
体が熱い、顔が火照る、心が跳ねる。
かなたんが晩ごはんの下準備してる間に配信をしよう。まだ、案件もない新人だから、せめて量だけでも。
この日の配信は初めて、事前にSNSでのエゴサーチも碌に出来ず、でも少しだけ自然に、笑った自分を届けられた気がする。
ここに来てからの2日間、本当に調子が良いーー会ってからの時間なんて関係ない、のかもしれない。
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