第7話 ひまりの努力
出来上がったお惣菜をタッパーに詰めていく。本当は可愛らしいお弁当箱なんかがあれば、もっと喜ばれるのかもしれない。
ふと、いたずらっ子みたいな笑顔を浮かべるひまりの顔が頭に浮かぶ。
彩りは悪くない。栄養も——多分、偏っていない。喉にも……悪くはない、はず。
夕食の時間が過ぎても、ひまりは食堂に降りてこなかった。
軽く声をかけたときには「ありがと〜♪」と明るい声が返ってきたから、体調が悪いわけではなさそうだ。
ダンスレッスンに出かけているナヅキのように、配信以外の時間にもやることが多いのかもしれない。
もらっている食費くらいはちゃんとしなきゃ——と自分に言い訳しながらも、俺自身わかっている。
昼間に見えた、ひまりの“張っている”感じが、どこか引っかかっていた。
おかずと一緒に、手軽に食べられるように小さなおにぎりも用意する。
それを持って、二階の廊下を歩く。
ひまりの部屋の前で足を止める。中から、軽妙な声が聞こえてきた。
「……はぁ?今ので怒ると、器の小さいおっさんだけど、いーの?」
「えっ、シンプルにキモいかも〜」
「……そんなんだから生まれてからずっと彼女がいないんだよ〜♪」
……なかなかの煽り文句が飛び交ってる。電話? いや、これは……。
ポケットからスマホを取り出し、配信アプリを開く。
『陽向レイ』のページには、二時間後の配信予約が表示されていた。
(リハーサル……?)
ドアをノックしていいものか迷っていると、焦ったようなトーンで声が続く。
「あー、どのくらいの煽りならセーフなんだろー……」
(……ごめん、聞くつもりはなかった)
小さく息を吸って、ノックをする。
「ひまり、部屋で食べられるようにしておいたよ」
「ちょっ! ちょっと待ってて!」
慌ただしい物音がして、数秒後にドアが開いた。
「ありがとー♪ ごめんね、行けなくて!」
笑顔は、さっきの声より少し無理をしているように見えた。
でもそれでも、「おにぎりじゃーん!」とか「神かよ! 優勝〜!」なんて、わざとらしくおどけて見せる。
——なんだか、懐かしい。
昔、コンクールに出ていた頃。緊張で張りつめて、声をかけてくれた誰かの優しさに、上手く応えられなかったときの自分を思い出す。
「配信終わってからでもいいから。ごめんね、忙しいときに」
ひまりがふと、タッパーを胸元で抱えたまま、目を伏せた。
「……ほんと、助かる。ありがと。……マジで」
言葉より先に、素の声が漏れたようだった。
「ひまりって、紅茶飲める?」
「え? あれば、飲むくらいかな」
「ちょっと待ってて」
階段を駆け下りて、キッチンを漁る。アールグレイのティーバッグ、はちみつ——あった。
再び二階へ戻って、ノックをして声をかける。
「開けるよー」
「ちょ、ちょっと待って!」
ドアが開いた瞬間、ひまりは慌ててノートを伏せる。
「もー、かなたんはせっかちだな〜♪」
その手元のノートは、タイムスケジュールや煽り文句のメモでびっしりだった。
「ごめん、ちゃんとノックしたんだけど……」
「いーのいーの、もう一回来るの分かってたのに、うちがボーッとしてた」
俺はノートには触れず、湯気の立つカップを差し出す。
「はちみつ入りのアールグレイ。ベルガモットの香りってリラックス効果あるらしいし、喉にもいいって聞いたから」
ひまりはカップを受け取り、ゆっくりと湯気を眺めたまま呟く。
「……ありがと。マジで……配信終わったら返しに行くね。よかったら、聞いてて」
その夜、食堂に座って、スマホをつける。
『陽向レイ』の配信が始まる。
ダンスレッスンから帰ったナヅキも、後輩の配信を気にかけていた。
《うい〜! 陽向レイのお時間だよ〜! みんな準備はできてる?》
画面から聞こえるひまりの声は、不安なんてなかったかのように、明るい。
聞いている分には、ごく自然に、リスナーとやり取りをしている。
リスナーのコメントを即座に拾い、言葉を重ねて笑いに変えていく。——あれは、練習してると思わせないほど“練習”した成果か。
あっと言う間の1時間……最後まで嫌味たもなくリスナーを煽って、普段の生活を忘れられるような、楽しい時間だった。
配信が終わった頃、食堂のドアがゆっくりと開いた。
「お疲れ様、めちゃくちゃ楽しかったし……ナヅキ……音無さんも褒めてたよ」
「えっ、音無先輩も見てくれてたの!? もー、それならもっと可愛い系でいけばよかったー!」
「ついさっき、用事があるって部屋に戻ってった」
たぶんナヅキなりの気遣いなのだろう。
「本当に、掛け合いもトークも最高だったってさ」
「にしし、張り切っちゃったかも!」
「でも、大成功だったんじゃない?」
「うん、反応はよさげ! あとでエゴサして、対策立てとこ〜」
「無理しないでね、って言っても、ひまりは無理するんだろうな」
「え〜、たった一日でひまりのこと分かった気〜? かなたん、ひまりのこと好きすぎじゃん♪」
軽口を叩きながら、ひまりは手を振って部屋に戻っていった。
その笑顔は、本当に、自然だった。
これからも、あの調子で準備を重ねていくのだろう。
まだ何かできるわけじゃないけど——せめて、生活のことだけでも、支えられたらいい。
そのくらいだけなら、俺にもきっと、できる。