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第33話 はじまりの音


 練習スタジオに響くのは、3人の歌声と、俺の弾くキーボードの音。

 仮の練習音源を用いた練習の合間、実際に生音で合わせている。


「やっぱ、生音はテンション上がるーっ♪」


 ひまりが両手をあげて飛び跳ねる。その無邪気な様子に、雪代さんも笑みをこぼす。


「うん。ちょっとずつ、形になってきたわね」


「……ズレてたら言っでぐれな」


 ナヅキも控えめに声をかける。その頬には少しだけ赤みが差していた。

 楽しそうだ。――3人とも、本当に楽しそうだった。



「それじゃ、次のサビからもう一回――」


 俺がが譜面を整えようとした瞬間、雪代さんがふと、手で止めた。


「ねぇ奏太さん。ちょっとだけ、歌ってみない?」


 場が一瞬で静まり返る。


「いやいやいや……俺は歌う人間じゃないから」


「でも、ハモリの感じ、あなたに合わせた方が自然だったのよね。参考程度にでいいから」


「……おーっ、かなたんの歌、久しぶりに聞いてみたいーっ♪」


 ひまりの無邪気な言葉に、ナヅキも小さく「んだ」と頷く。


 3人の視線が、一斉に集まる。

 視線の圧に押されながら、俺はしぶしぶマイクを用意する。


「……ちょっとだけ、な?」


 緊張で喉が渇いていた。それでも、キーボードに合わせて声を出す。

 数小節の間だけ、邪魔をしないように、合わせられるように。


「――うわぁ、なんか、やっぱメロい歌声だ……」


 ひまりが、感嘆の声を漏らす。


 雪代さんは黙って目を閉じて、じっと聴いていた。


「……沁みるよなぁ、奏太の声って」


 ナヅキの小さな呟きに、思わず目を逸らしてしまう。



 そんなはずない、と心の中で否定した。

 俺は、もう――


「なあ、俺が表に出るのは違うと思うんだ。炎上しちゃうよ」


 マイクを置き、立ち上がる。


「今こうして裏で関わってるのは、嬉しい。でも……それ以上は、たぶん違う。俺は“管理人”だし。3人の背中を支える立場でいたいんだ」


 それは本心だった。

 けれど同時に――少しだけ、寂しさもあった。


 目の前でどんどん輝きを増していく3人。

 自分は“支える側”として、取り残されていくのではないか。

 いや、“管理人”なのだから、取り残されても良いはずなんだけど……。

 そんな不安が、喉元までこみ上げる。


「奏太さん……」


 雪代さんが、何か言いかけたが、口をつぐんだ。


 結局そのまま、練習は一旦終了となった。




⭐︎⭐︎⭐︎ 


 

 帰り道。荷物を抱えたまま、コンビニに立ち寄る。

 それぞれ、やることがあるからと帰りはバラバラだ。


 私は、あの時の奏太の揺れる目が忘れられなかった。


(奏太……、まだ音楽やりてんでねがな)



 ふと、掲示板に貼られた一枚のチラシが目に留まった。


「……?」


 そこには『地域児童音楽教室 講師募集』の文字があった。


「……」


 自然と子どもたちに囲まれた奏太の姿が目に浮かんできた。

 “誰かを支えられる”奏太が輝いている姿だった。


「見つけた。……奏太に、似合いそうだなって」


 そう呟いて、チラシを一枚、そっと剥がした。


「……今は、まだ渡さねぇ。でも……いつか、渡す」




 



 その声はどこまでも優しくて、どこか、切なかった。


 ナヅキの指先に握られた一枚の紙が、夜風に揺れていた。

 ナヅキのその視線の奥に、ほんのわずかな“決意”が宿っていた。

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