第32話 産声
食堂のテーブル、紅茶の香りがふんわりと漂っていた。
テーブルを囲むのは、ナヅキ、ひまり、雪代さん、ナヅキのマネージャーである雨音さん。俺を含めて5人だ。
テーブルの上にはノートやパソコン、飲みかけの紅茶に昼間に作ったスコーン。開いたノートには、少し照れくさそうに記された文字——“Tintale”。
「じゃあ、ここからは実務の話、しましょうか」
自然と中心に座っている雪代さんと雨音さんが手を打つ。長年の活動で鍛えられた進行力はさすがだ。
「私、こういう新しいことにチャレンジするの……地味に燃えるタイプなのよ」
「さすがこの業界のファーストペンギン」
俺が苦笑しながら言うと、雨音さんが笑いを漏らす。ナヅキもひまりも少し緊張したように紅茶のカップを指でいじる。
「活動開始のタイミングだけど……どうする?」
雪代さんはペンを手に取りながら言う。
「どうせなら3Dでドンってやるがいいべ」
ナヅキがぽつりと呟く。
「……それなら、うちの3Dお披露目ライブ、4ヶ月後に決まってて……それまで待ってもらえます?」
ひまりが控えめに手を上げた。
ナヅキと雪代さんは同時に勢いよくひまりを見る。
「ねぇ、もしよかったら……」
「なぁ、もしえがったら……」
ナヅキと雪代さんの声が重なる。
ひまりは珍しくキョロキョロと目が泳いでいるが、恐る恐るといった様子で言葉を引き継ぐ。
「えーっと、そこで、ユニット曲……やれたりしますか?」
「ぜひお願いしたいわ!」
「ぜひお願いすます!」
再度、ナヅキと雪代さんの声が重なる。
「構成はもうおおむね固まってるけど、一曲くらいなら私が押せばどうにかなるよ」
雨音さんも頷きながら答える。
「ひまりの“ソロ”のラストに“仲間”が加わるっていう流れ、演出的にも良いし……ひまりのライブ演出班は私もよく知ってるし」
「うぅ……それ、めっちゃ嬉しいかも……」
ひまりは笑いながら目を潤ませた。
「でも、曲をどうするか、よね?
曲が出来て、編曲、レコーディング……ミキシング、マスタリング……いや、ライブだけなら……
とにかく、2ヶ月……いや6週前までに曲ができれば、伝手を使って間に合わせるわ!」
雨音さんが誰に曲を頼もうかと考え始めた。
その言葉に、俺は逡巡しながら、口を開いた。
「……あのさ、ひとつ聴いてほしい曲があるんだ。昔、趣味で作ったやつだけど」
そう言って、スマホを取り出し、持参した小さなスピーカーに接続する。
流れてきたのは、自分の葛藤や楽しさ、色々な気持ちをこめて作った曲。
なるべく、優しく、少し切なく聴こえればと作ったメロディラインに、全員の表情が変わる。
「……これ、かなたんが?……すごい」
ひまりが小さな声で尋ねる。
「コード進行……なんか、わたしの好みだ……」
ナヅキが呟くように言った。
「…………」
雨音さんは目を白黒させている。
「よし!これを軸にしましょう」
雪代さんが即決し、「歌詞は……誰かやってみたい?」とみんなに問いかける。
一瞬の沈黙。誰も手を挙げなかった。
その静けさを破ったのは、問いかけた雪代さん自身の言葉だった。
「ナヅキ……やってみない?」
「へっ……? わたしが?」
驚いたナヅキの声が裏返る。
「今回の曲は、奏太さんの“経験”から来てる。
同じ場所で、同じように学んだナヅキなら……
それに“今”の私たちの想いを重ねるなら、言葉を誰よりも大事にしてきて、悩んできたナヅキがぴったりだと思う」
「そ、そんた大役、わたしに……」
ナヅキは顔を真っ赤にして視線を逸らしたが、どこか、期待するような光が目に宿っていた。
「俺も、ナヅキにお願いしたいな」
俺は静かに言う。
「ナヅキの言葉だったら、絶対、誰かの心に届く気がする」
ナヅキは俯いたまま、小さく、それでもはっきりと頷いた。
「……んだな。やってみる。難儀かもしれねぇけど……それでも、ちゃんと書いてみてぇ」
「よし、作詞担当決定!」
雨音さんが勢いよく手を叩いた。
「じゃあ、編曲・ミックス・マスタリングあたりは私が掛け合ってくるよ。プロ経験のある人、何人か伝手あるから」
「雨音、本当にありがとう!」
雪代さんが笑いかけると、美羽さんは鼻を鳴らす。
「あと、リーダーはひまり! 異論は認めないわ」
雪代さんはこれは決定事項だ、と言うように強く伝える。
「へっ……えぇっ!? このメンバーでうちがリーダー!?」
ひまりが目を見開いた。
「理由、教えてもらえますか……?」
ひまり尋ねると、雪代さんは柔らかく微笑んだ。
「ムードメーカーって、大事なの。ひまりがいると場が柔らかくなるわ。それに周囲をちゃんと見てるし、このメンバーだからこそ、ひまりのためなら頑張れる空気がある」
「……わたしも、ひまりがリーダーでいいと思う」
ナヅキがぽつりと呟いた。
「うぅ、が、がんばります……!」
ひまりは真っ赤な顔で拳を握った。
すると雨音さんが、ふと肩をすくめる。
「なんかさ……雪代さん、裏に回るのを断るっていうのに、作詞はナヅキ、リーダーはひまりって……結局、プロデューサーやってるじゃないですか!」
「——でもさ。私、久しぶりにわくわくしてる」
雪代さんが笑いながら言った。
「また、飛び込みたいと思える“海”を見つけてられた、気がするわ」
雪代さんは俺の方を向いて、小さくウインクをした。あまりに様になっていて思わず顔が赤くなる。
「……わたしは……」
ひまりは小さく呟いた。
「……雪代さんがプロデュース転向を打診されたの、きっとうちが頼りなかったからだって、やっぱり思うから。でも、リーダーになれたなら……もっと進化して、もっと信頼される存在になるよー♪」
ひまりは俺の方へ手をグーにして突き出して“ふんす”と気合いを入れる。その仕草の可愛いらしさに心臓が跳ねる。
「……わたしも、これは“筆触分割”だと思う。色んな色が隣り合って……より輝げると思う」
ナヅキは、ノートの「Tintale」の文字を指でなぞって、俺の方を向き、小さく笑う。ナヅキの整った顔が輝きを増す。その綺麗さに目を奪われる。
「——そんじゃ社長には雪代さんはプレイングマネージャーになったって説得しておきますね!」
雨音さんは笑いながらも、強く言う。その声色には嬉しさが滲んでいた。
色と色が混ざり合い、筆跡が交差していくように。
ばらばらだった声が、ひとつのハーモニーになるように。
“Tintale”は、いま、生まれたばかりだった。




