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第2話 最初の入居者は


 午前十時。まだ夏の気配が抜けきらない9月の陽射しが、くすんだ白い外壁にじりじりと照りつける。


 寮の2階。共用の風呂とトイレを掃除してから、1階の奥——ばあちゃんが元音大生たちのために用意した三つの防音室へ向かう。


(懐かしいな……昔は毎日のように使ってたのにな)


 今じゃ物置に近いこの防音室も、配信者が入居すれば意味を持つ日が来るかもしれない。

 そんなことを思いながら、掃除機をかけては雑巾を持ち隅々まで吹き上げていく。


 掃除の手を止めて、ふっと息をついた。


「やっぱ、古いなぁ……」


 階段を下り、玄関へ。箒を持ち直して外に出ると、じっとりとした空気が肌にまとわりつく。

 それでも手を動かす。白壁にこびりついた時間の色も、地面の隅に溜まった小さな埃も、できる範囲で整えていく。


(鉢でも置いて、植物を育てたら……古さも、少しは“味”に変わるかな)


 そんなことを考えていたときだった。



——ガラガラガラッ



 不意に、タイヤを引きずる音が聞こえる。


 顔を上げると、真っ黒な服装に身を包んだ人物が、でかいスーツケースを転がしてこちらへ近づいてきていた。


「怪しい……」


 思わず、声が漏れる。

 黒い帽子に、黒いマスク。体格に合っていないダボダボの黒いパーカー。肩を小さくすぼめて目立ちたくなさそうに歩いているのに逆に目立っている。


「いかんいかん、あんまり見たら失礼だって……」


 目を逸らしつつも、気になって仕方がない。黒い人物は寮の前を通り過ぎ、角を左に曲がっていった。


(暑そうだけど、徹底して日焼け対策か……)


 確かに、今日は暑い。玄関脇にある管理人室の冷蔵庫からスポーツドリンクを取って戻る。再び箒を持ち直したとき——


——ガラガラガラッ


 また、あのタイヤ音。


(あれ? さっきの人……戻ってきてる?)


 黒パーカーの人物が、今度は寮の前で立ち止まっている。

 ためらうように、けれど少し助けを求めるような雰囲気があって——


「こんにちはー……あの、もしかして……道、迷われてます?」


——ビクッ!


 全身が跳ね上がるほど驚かれてしまった。

 でもその目が、印象的だった。秋に咲く紫苑の花のような薄紫色。薄らと涙の膜を張った——どこか不安と期待の入り混じったような色。


(……どこかで見たような)


——バッ!

 

 無言で勢いよく渡された手書きの地図は確かに迷うよなって思うくらい分かりづらかった。


「あの……この『音森荘』って、ココですよ」


——ビクッ!


 全身が跳ね上がるほど驚かれてしまった。


「ここの管理人の花守はなもり奏太かなたです」


 自己紹介をしながらお辞儀をすると丁寧にお辞儀を返してくれる。

 無言だけどコミュニケーションを避けているわけではないようだ。


「今日入居予定の方ですよね?」


——コクコクコク


 やっぱり無言で頷いて肯定する。


「あの……とにかく部屋に案内しますね。実は配信名しか聞いてなくて、ちょっと表ではお名前の確認が出来ないんです」

 

 少し近づいて小声で伝える。

 身バレ防止も兼ねて全6部屋の寮を全て『lyric(リリック) colour(カラー)』が借りた。

 配信名を外で言うわけにはいかなかった。

 

 玄関へ案内しようと先に進もうとすると震える声が聞こえた。


「……こ、こんぬづわ……お世話になりますぅ……」


 その声を聞いた瞬間、急に昔の記憶が蘇る。

 思わず、身体が勝手に反応して振り返ってしまう。


「……もしかして……ナヅキ、さん? 秋月ナヅキさん、だよね?」


 帽子の下から覗く瞳が一瞬、驚いたように揺れた。けれど、すぐに懐かしい笑みが浮かぶ。


「お、覚えででぐれだべか……?」


「覚えてるよ。忘れるわけない」


「やっぱ、訛ってっだべな〜って思ったべ?」


「まあね。けど、それより……変わってなかった。声、すごく綺麗なままだったから」


 ナヅキの肩がわずかに震えた。驚きと、照れと、そして安心が混ざったような表情。

 昔と同じ、表情だった。



 寮の中に入ると彼女——ナヅキはようやく黒帽子と黒マスクを外した。


「ちょっと汗だくじゃないか」


「へへへ……気ぃ抜ぐと、すぐ日に焼けるべ。マネージャーさんに叱られっからな」


「Vtuberって日焼けもNGなんだ?」


「配信とは関係ねぇと思うんだけど、心配してくれんだ。ありがたい話だけどな」


 そう言って、彼女は額の汗をぬぐった。白磁のような肌が、少しだけ朱を帯びている。


「とりあえず、これ。冷えてるよ」


 スポーツドリンクを差し出すと、ナヅキは少し迷ったあと、そっと受け取った。


「ん? まだ口つけてないから大丈夫だよ。……それとも喉、守るために飲み物にもこだわりある?」


「いや……そうじゃねぇ……ただ、花守くんは変わんねぇなって思って」


「ん、どういう意味?」


「変わらずに優しいなって……」


「変わらずって、音大の副科で何回か話しただけで優しい要素なかったでしょ」


「その……昔っから、うちの訛りを……笑ったこと、なかったべ」


 照れくさそうに視線を落としながら、彼女は一口だけ、ドリンクを飲んだ。

 頬にかかった髪が、汗でしっとりと貼りついて、どこか子どもみたいだった。



「って、そうそう部屋に案内しないとね」


 ……なんだか、昔と変わらないな。

 思わず見惚れてしまいそうになるが、管理人業務中だということを思い出した。


「えーっと、秋月ナヅキさん——配信名『音無こゑ』さんは……この部屋を使って下さい」


 部屋へ案内するもナヅキは急に頬を膨らませてあからさまに不貞腐れた表情になる。


「あれ?気に入らなかったです?2階は6部屋あるからまだ変えれますが……角部屋でおすすめですよ」


「……違う……なんで口調がよそよそすくなった……?」


 予想外のことを言われてハッとなる。


「あ!管理人ってことを思い出したから……だよ」


「……その、話す方でい」


 ナヅキは短く言うと部屋の中へ駆け込んで2つの窓を開ける。

 ふわっと風が舞い込んで、町の音が聞こえる。


「やっぱす角部屋はいなぁ」


 ナヅキは鼻歌を口ずさみながら窓から外を見る。アッシュブラウンの髪の毛が優しく風に揺れていた。



「……それにしても、ほんとに綺麗な声なんだね」


「んぁ? そ、そだべか?」


「うん。配信でも、きっとすごく人気あるんだろうなって」


「…………」


 ナヅキは答えなかった。ただ、少し薄紫色の瞳が揺れていた気がした。


「まぁとにかく来たばかりだし少しゆっくりしててね。下の食堂が談話室も兼ねてるから自由に寛いでて」


 俺はあくまで管理人だからナヅキの仕事に関しては今聞くことではないだろう。


「……花守くんは?」


「昼ごはん作っておくよ。何かあったら呼んで」


「すたっきゃ、わも一緒さえぐじゃ」


 そう言ったナヅキは顔を真っ赤にしていた。白く小さな手で扇いで必死に熱を冷まそうとする。


「どうしたの?」


「……緊張してて……花守くんいて安心したら、方言ですぎだ……」


 目を泳がせながらナヅキはもう一度言い直す。


「そうしたら、わたしも、一緒に、行きます」


「あはは。話しづらかったら方言でもいいのに」


 ナヅキはより一層激しく手で扇ぎ、余計に熱を蓄えていく。


「……ありがと。……花守くんの手料理、楽しみにしてっがら」



 その昼、ナヅキに見守られていつもより少しだけ気合いを入れて作った昼食は、やたらと気恥ずかしかった。






 


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