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第19話 秋の風まかせ


 朝。

 窓の向こうで鳥の声が遠く響く。


「……ん」


 布団の中で目を覚ました私は、小さく伸びをした。昨夜のワインの残り香がまだ微かに鼻先に残っている。


 カーテン越しに差し込む光が柔らかく、ほんの少しだけ重たい身体をそっと起こす。




 ここは“音森荘”。昔の私なら“都落ち”なんて失礼なことを考えたかもしれない。


 歌にしろ、ダンスにしろ、配信にしろ……より強みのある後輩がデビューして、焦ってばかりいたあの頃の私なら……


 “あの子たちにだけは負けたくない”なんて、意地だけで全力で走っていた時期もあった。


 でも、あの意地があったから続けてこられたのだとも思う。



 今の私は、思ったよりも“普通”だった。漠然とした焦燥感はあるけど、どこにゆくのか、秋の風に任せてみようと腹を括ったからかもしれない。


「……今日から、ね」


 私はそっと自分の頬を叩き、小さな笑顔を作った。





⭐︎ ⭐︎ ⭐︎




 朝食の時間、寮の食堂は穏やかな匂いで満ちていた。


「おはようございます、雪代さん」


「……おはよう、奏太さん」


 目が合うと、昨夜とは少し違う、柔らかい笑顔が浮かぶ。

 小さく揺れるような笑顔だけれど、それでも不思議と近くに感じられる笑顔だった。


「よければこれ、どうぞ。二日酔いに効くって祖母が言ってたんで……効果は怪しいですが」


 俺が渡したのは、りんごと人参のスムージーだった。


「ふふ、ありがとう……昨日は飲み過ぎちゃったものね」


 雪代さんは一口飲んで目を細める。一口飲むと、ひんやりとした甘さが喉を滑り落ちていく。なのに身体の奥がじんわりと温かくなる気がした。


「甘くて……やさしい味ね」


「そう言ってもらえると、作った甲斐があります」


 そんなやり取りをしていると、


「おはよーございまーす!」


「おはよ……」


 ひまりとナヅキがほぼ同時に食堂に顔を出した。

 ひまりは朝から元気いっぱいで、ナヅキは少し眠たそうに目を擦っている。



「あ、セラ先輩……じゃなくて、雪代さん! おはようございます!」


「お、おはようございます……」


 二人の言葉に雪代さんは少しだけ笑った。


「おはよう、二人とも。昨日は遅くまで配信していたのでしょう?」


「へへ、ちょっとだけ……! でも、めっちゃ楽しかったんですよ!」


「……わたしは昨日、少しだけだけど……配信して、楽しがった……」


「でも、もっと上手く伝えられるはずなのに……って、終わった後に思っちゃうんですよね」

 

 ひまりがぽそりとこぼす。ナヅキも目を伏せ、頷いた。


 二人の顔には疲れも見えたが、それ以上に充実した光が宿っていた。

 その表情を見つめて、雪代さんは少しだけ視線を落とす。


「……やっぱり良い顔、しているのね」


「え?」


「ううん、なんでもないわ」


 雪代さんは微笑むと、スムージーの残りを飲み干した。



 朝食の準備が整う頃、ひまりとナヅキは皿を並べながら小さな相談を始めていた。


「うちさ、今度の歌枠で歌いたい曲あるんだけど……どうやったら、もっと“楽しい”って伝えられるかなって思って……」


「……ひまり、だいじょうぶだ……楽しいって思ったことが、声に乗っでる……」


「そ、そうかなぁ……でもセラ先輩……あ、雪代さんみたいに、元気届けたいんだよね」



 その言葉に雪代さんの手が一瞬だけ止まる。


「……届けたい、か」



 呟いたその声はひまりには届かず、ナヅキだけがそっと雪代さんを見上げた。


「……雪代さん、何かアドバイス、ありますか?」


 ナヅキが勇気を出して問いかける。


「……そうね」


 雪代さんは小さく笑い、一度硬く目を閉じる。


「“届けたい”って想う自分を信じることかな」


 その言葉は、まるでひまりの瞳に映る自分自身に言い聞かせるような響きだった。



「……自分を信じる、かぁ」


 ひまりはぽかんとした顔をしたが、すぐに笑顔になった。


「うん! ありがとう、雪代さん!」


 ナヅキも、小さく頷いた。


「ありがど、ございます」




 朝食を囲みながら、三人の笑い声が食堂に広がる。

 その中で雪代さんは静かに箸を置き、ふと窓の外を見つめた。


 朝日が差し込む窓の外に、10月の秋風が優しく吹きつける。



「2人とも行ってらっしゃい」

「ふふ、気をつけてね」


 ひまりとナヅキが収録とレッスンに向かう背中に、雪代さんと一緒に声をかける。



「はい! 行ってきます!」


「……いってきます」


 2人が笑顔で振り返り、小さく手を振る。


 その笑顔を見つめながら、雪代さんもそっと笑った。





「雪代さん」


 2人をを見送ったあと、俺はそっと声をかけた。


「ん?」


「もし良ければ、一緒に散歩しませんか?」


「……散歩?」


「ええ。ここ、都心よりも自然が多くていいところなんです。……その、秋風が気持ちよさそうなので」


 雪代さんは少しだけ驚いたように目を瞬かせたあと、ゆっくりと笑顔を見せた。


「ふふ……そうね。行きましょう、奏太さん」




⭐︎ ⭐︎ ⭐︎




 朝の光が差し込む食堂で、ワインの残り香がまだわずかに漂う。


 静かに流れる時間の中で、私は自分の心の奥に問いかける。


 ――私は、ここで何を見つけたいのだろう。


 問いはまだ答えを持たず、胸の奥で小さく揺れ続ける。


 けれど、その問いが少しだけ温かく感じられるのは、一緒に秋風に吹かれてくれる人が目の前にいるからだろう。

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