第16話 歓迎会の準備
10月も半ばを過ぎたある日。
ナヅキとひまりは、朝からそわそわと落ち着かない様子で寮のあちこちをうろついていた。
「かなたん、こっちのリビング掃除しておくねー!」
「……二階のトイレは、わたしがやっておぐな」
普段から手伝ってくれることはあるが、今日は断る隙もない勢いだった。
さすがに理由は、分かっている。
「みんな、今やってるとこ終わったら、買い物行こうか。……今日、歓迎会しよう」
そう、今日の午後には、新しい入居者がやってくる。
Vtuber界の“レジェンド”——『白雪セラ』の引っ越し日だ。
2人とも、普段とは段違いにキビキビした動きで何度目かの掃除を終え、玄関に集まった。
秋の風が冷たさを含み始める中、ナヅキはゆったりとしたニットワンピース、ひまりは薄手のロングコート姿で現れた。
可愛いと綺麗、声のトーンも性格も正反対。それでも、2人の“この日を大切にしたい”気持ちは、どこか同じ温度を帯びていた。
「じゃあ……駅前のモール、行こうか」
目指すは、以前ナヅキと一緒に行った大きめの商業施設だった。
少しずつ色づき始めた街路樹の下を、3人で並んで歩いていく。
緊張と期待が入り混じった空気に、会話が自然と弾んだ。
「『白雪セラ』さんって、どんな人なの?」
「……わだしは、個別で話したのは、数えるほど……。ばって、落ち着いでて、すごい人……」
「うちは、イベントで会ったくらい!緊張するよー、楽しみすぎて!」
ひまりの言葉は相変わらずポジティブ全開だが、口元はいつもよりきゅっと引き結ばれている。
「ひまりちゃんは、強いな……」
「へへ。でもナヅキちゃんが緊張してるの、珍しいね?」
「……あの人は、“lyric colourの良心”って呼ばれでらんだ……何でも、できる……」
「配信も歌もすごくて、それでいて、後輩にもちゃんと向き合ってくれる……って、みんな言ってるよ。うちも、先輩たちから話いっぱい聞いてる!」
「そっか……そういう人が来てくれるのは、嬉しいな」
少しだけ、胸が温かくなる。
きっと今日は、3人にとって新しい“はじまり”になるのかもしれない。
俺たちの“今”も変わっていく気がする――そんな予感がした。
「好きなものとか、あるの? 苦手なものでもいいけど」
何気なく尋ねた俺の問いに、ナヅキとひまりは顔を見合わせてから、ほぼ同時に答えた。
「お酒が、大好きだな!」
「お酒が、ちょっと苦手ー♪」
「……どっちなの?」
「えへへ、たぶんどっちも本当。場面で、相手に合わせるの、上手い人だから……」
人によって見え方が変わるタイプ。
一緒に飲んだ人のお酒が“好き”“嫌い”によって、変わるのだろう。
デパートに到着すると、ナヅキとひまりはスイーツ売り場へ、俺はお酒売り場へと別れて行動した。
“苦手”に備えて軽めのチューハイ、“大好き”に備えて少し上質なワインを探す。
ふとワインの棚を眺めていると、どこか遠慮がちに独り言を呟く声が耳に入った。
「……あの子は、未成年だったかしら……」
声の方を振り向くと、銀髪をハーフアップにまとめた女性が、棚の前で真剣にワインを見つめていた。
その澄んだアイスブルーの瞳に、思わず見入ってしまう。
ふと目が合い、すぐに視線を逸らすのも不自然な気がして、お互いに軽く会釈を交わし、ワイン選びへと戻る。
「……3人だから、3本? いや、2本にして……いや、でも……」
急に声色が低くなり、さっきまでの優雅さが嘘のような口調になる。
思わず、くすっと笑ってしまい、慌てて口を押さえた。
「す、すみません……つい、知り合いを思い出して」
「ふふ、私もすみません。独り言が多くて……」
女性も俺に合わせて、くすっと笑う。
その笑みは、どこか懐かしく、安心感があった。
「分かります。自分も家事なんかは独り言だらけで」
女性は少し大げさに目を開く。
「まぁ。お若いのに家事をされるなんて素晴らしいですね」
初めて会ったはずなのに、不思議とそうは思えない感覚。
女性もそう感じているのか、自然と話を続ける。
「これも一期一会ということで、相談に乗ってくださらない?……あなたくらいの年齢の方への贈り物なんだけど、初めて会う方なので、迷ってしまって」
「自分でよければ、と言いたいところなのですが、実は俺も迷っていまして。初めてお会いする大人の女性への贈り物なのですが」
女性はパァっと顔を輝かせる。
「それなら、お互い自分が好きなものを紹介し合いましょ」
その提案は俺には渡りに船だったため、お互いにそれぞれの好きな銘柄を教え合った。
「この街には初めてきたけど、さっそく良い出会いがあって良かったわ。お互い相手が喜んでくれるといいわね」
そう言って、彼女はふわりと笑い、くるりと背を向ける。
揺れる髪からは、ほんのりとサンダルウッドの香りがした。
落ち着いた仕草や言葉遣いにも関わらず、どこか心がざわつくのは、“初めての街”で“初めての出会い”をすると言った彼女の目が、どこか“終わり”を見ているように揺れていたからだろうか。
買い物を終えて合流した3人は、両手いっぱいの袋を抱えながら寮へ戻った。
「セラさん、気に入ってくれるかな……?」
「んだ……楽しい時間に、なればいいの……」
「うん!きっと、なるよ!」
俺は思わず頬を緩める。
それを不思議そうに見る2人に伝える。
「こうして準備をしてる2人を見てると、なんだか“家族”って感じがしたんだ」
日が一番高く上り、街を優しく照らす。
料理も、お酒も、きっと大事だけど。……今日は、それ以上に“大切な何か”が始まる日になる気がした。
それぞれが、心のどこかでそう思っていた。




