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第12話 昂りの行方は


 次の日、俺たちは駅前のカラオケに来ていた。


「次の歌枠なんだけど……ちょっとだけ、手伝ってくれない?」


 ひまりにそう頼まれて話を聞くと、機材の相談ではなくーー自信がないという話だった。


「1周年で3D化するって話があってさ……歌やダンスも増やしていきましょう、みたいな流れでビビってるんだよね」


「それで、どんな曲を歌ったらいいか分からなくなった?」


「一応、こういう感じ目指してるっていうのあるんだけど……」


 そう言って、ひまりがスマホで再生したのはナヅキの歌ってみた動画だった。


 静かなピアノのイントロ。

 そこに乗るように、ナヅキの澄んだ声が流れる。


「……ナヅキ先輩みたいにさ、“透明感”とか“天使の歌声”とか、憧れるじゃん。でも、うちは……」


 ひまりは珍しく口ごもっていた。


「……ボイストレーニングには通ってるって言ってたよな?」


「うん。褒めてくれるし、アドバイスももらえるんだけど……」


 言葉が止まり、しばらく視線を伏せたままになる。


「褒められても素直に受け取れない、ってやつか」


「そうなんだよー……」


 瞳にうっすら涙の膜を張ったひまりの声は、かすかに震えていた。


「よし、じゃあさ。とにかく歌ってみよう。俺はプロのトレーナーじゃないけど、一緒に良い方向を探すことはできると思うんだ」


 明るく言ってみたけど、ひまりの顔は晴れない。


「……ありがとう、かなたん……」


 とにかく、歌ってみなければ始まらない。

 まずは、過去に歌ったことのある曲から入れてもらう。


 ひまりは恥ずかしそうにしながらも、数曲を選び、ゆっくりと歌い始めた。


 ——うまい。


 音程も合ってるし、声もちゃんと出てる。

 けれど、どこか窮屈そうだった。


「どうだったかな……?」


 一曲目が終わったあと、ひまりは探るような目でこっちを見る。


「上手だよ。本当に、気休めじゃなくて」


「へへ……ありがと」


「でも――」


「でも?」


「なんか、“こうしなきゃいけない”って感じがするんだよね。音とか、表情とか……うまく言えないんだけど」


 その歌はSNSの意見をガチガチに調べて行っていた以前の配信に、少し似ていた。


 言葉に迷いながら告げると、ひまりはふっと目を逸らす。


「……分かってる。うちの声、きれいじゃないって」


 ぽつりと、こぼすように加えた。


「昔、歌ってるとうるさいってママに怒られてたから……」


 静かにそう続けるひまりの姿に、胸が締めつけられる。


 そうやって折り畳まれてきた“ひまりの声”を、ここで肯定してあげたい。


「じゃあさ、俺と一緒に歌わない?」


 ひまりの目が、驚きでまん丸になる。


「一緒に……?」


「俺はプロじゃないけど、楽しむことならできると思う。今日はそれでいいだろ?」


ーー大丈夫。

 まだ出来る、はず。

 ナヅキとの買い物の帰り道、鼻歌を歌い合ったあの時は、ちゃんと楽しかった。

 俺は自分に言い聞かせる。


 そうして、ひまりに提示した曲は数年前に流行った男性アイドルのダンス付き曲。


「あー!これ知ってる!小学校のとき流行ってた!」


「俺、高校生だったな……今思うと結構な年の差だな」


「え、6個差?……やばっ、年上じゃーん!」


 2人で笑い合う。いつもの空気が少しだけ戻ってきた。


「せっかくだし、サビだけ踊りながら歌ってみない?」


「えっ、かなたん踊れるの!?」


「……サビだけなら、たぶん。高校の文化祭で練習させられた記憶が……ちょっと残ってる」


「見せてもらいましょ〜!」


 茶化すひまりの声に、俺も照れ笑いしながら立ち上がった。


 曲が始まると、ひまりは軽やかに踊り始める。

 レッスンを受けてるだけあって、動きにキレがある。


「じゃ、最初はかなたんが歌ってよ」


「任された」


 Aメロを俺が、Bメロをひまりが。


 そしてサビは、2人一緒に踊りながら歌った。


「ちょ、かなたん、歌メロいのに動きがカクカクすぎて笑える!」


「笑ってないで、ちゃんと歌えって!」


 もうヤケクソだったけど、ひまりの笑顔が見られたなら、それでいい。


 曲が進むにつれ、ひまりの声が変わってきた。

 張りつめていたものが少しずつほぐれて、自然な音になっていく。


 だから——最後の大サビは、ひまりに譲った。


 彼女の声が、ストレートに響いた。

 普段の高い話し声とはまるで違う。

 最初よりきれいでも、正確でもないかもしれない。

 でも——まっすぐだった。

 作られた透明感じゃない。誰かの真似じゃない。

 “ひまりの声”が、そこにあった。


 低く、力強く、でもどこかまっすぐで、胸に染みるような響きがあった。

 

「……すごっ」


 思わず、声が漏れた。


「ひまり、今の……本当にすごかったよ」


 ひまりは驚いたように俺を見る。


「うち……今、良かった?」


「ああ。なんか、今の声……まっすぐで、届いた」


「……そっか……うち、楽しいって思えた……」


 ハニーブラウンの瞳が、ふるふると揺れる。


 ひまりはそっと目元を拭いながら、照れたように笑った。


「ありがとね、かなたん」


 

 ……そして、ゆっくりと近づいてきて——俺の胸に顔を埋める。

 ふわりと柑橘の匂いと柔らかい感触が一気に飛び込んでくる。

 思考はパチンと炭酸の泡のように弾けて、そのまま少しの間——ハグをした。




「本当にありがとね、かなたん」


 どれくらいたったのか、胸元でひまりが呟く。



 その一言が、体の奥にじんわり熱を灯す。

 ——これは、恥ずかしさとは別の熱だった。



 帰り道。ひまりは少しスキップしながら先を歩いていく。


「あー!歌枠の日、早めちゃおっかな♪楽しかったー」


 跳ねるひまりを眺めながら、自分はどうだったのか考える。

 一緒に歌ったときは確かに——



 後日、ひまりの歌枠は大盛況だった。

 あえて男性ボーカルの曲だけを歌い、ひまりの低く、真っ直ぐにささる声はエモいと評判だった。

 

 「楽しいって、思えた」

 ひまりの言葉が、胸の奥に残っていた。


 

 あの日、自分も確かに——“楽しい”を思い出せた気がする。

 


 ナヅキと鼻歌を歌い合った帰り道も、

 ひまりと下手なダンスをしながら歌ったカラオケも、

 確かに楽しくて、何だか2人に会いたくて、その日は珍しく鼻歌を歌いながら晩ごはんを作ったんだ。




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