第11話 小さな一歩
炎上、というわけではなかった。
ただ、一部のファンが邪推しただけ。
「どうすっべか……」
「うちのことなのにすみませんっ!」
「いや、そのうぢ決めねばいけねことだったから」
食堂でナヅキとひまりが話し合っていた。ひまりは眉を下げ、いつもの元気がなかった。
2人が寮に引っ越してきてから2週間が過ぎようとしていた。9月の残暑から一転、10月の空気は肌寒く、秋の訪れを感じさせていた。
「わたしも……この2週間、雰囲気変わったって言われるべ…」
声を潜めてそう言うナヅキに、ひまりは思わず吹き出した。
「それは、急に津軽弁出すようになったら、そりゃ言われますよ〜!」
「……うるさい」
ナヅキは頬を膨らませるも、目は笑っていた。
俺は2人にお茶を渡し、テーブルに着く。
「この2週間で、ずいぶん仲良くなったね」
2人は朝の遅い時間、こうして顔を合わせては話し込むことが増えた。とはいえ、日中はボイトレやダンス、夜は配信で忙しい。顔を合わせる時間は決して多くない。
けれど、その短い時間を大事にしているのが伝わってくる。
「あ、でも最近ちょっとだけ、配信がしんどくて……」
ふと、ひまりがぽつりと漏らす。
「え?」
「……ほら、今日も“家庭的になったし彼氏だろ?”みたいなコメント来てたし……。うち、ちゃんとした配信できてないのかなって」
元気な笑顔の裏に、小さな不安が見えた。
ひまりは、人一倍がんばり屋で、誰よりも繊細だ。
「それ、ひまりのせいじゃないよ。配信がうまくいかない日もあるし、コメントは気にしすぎないほうが……」
俺が言いかけると、ナヅキがそっと言葉を重ねた。
「……そったとぎは、さぼってもいいべ。わたしなんて、ここさ来る前、2週間も休んだこどある……やっと戻ってきたんだもの」
その声は静かで、あたたかかった。ひまりの目が、ほんの少し潤んだ気がした。
だけど、すぐにひまりは笑顔を作り直す。
「ありがと。でも、やっぱり“自分が決めたこと”は続けたいし……そのために、かなちゃんになってほしいなって思って……」
「ちょ、かなちゃん?」
「にゃはは、実は配信で、すこ〜しやらかしまして……」
眉をぽりぽりと書きながらひまりは説明をする。
「……なるほど、食べたものを“美味しかった”って言ったらガチ恋のリスナーが誰かと同居してるって言い始めたのか……」
「今までは“今日はこのカップラーメン♪”って言ってたから違和感あったみたいで……」
「でも、外食してきたって言えばそんなの……あ、メニューが外食とは思えない家庭的なものだったのか」
実際、ばあちゃん仕込みの俺の料理は確かに若いギャルが外食で選ぶには少し違和感が出そうだ。
「そう。それにうちが“こんなん作れるの神♪”って誰かに作ってもらってる感じで言っちゃったからー……」
ほんの一部のリスナーが言っているだけ。
周りは、『家庭的な料理だって外で食べることもあるだろ』や『料理の配達だっていっぱいあるだろ』とか『カップラーメンばっかは心配だったから助かる』といった具合で特に気にした様子はない。
「じゃあさ、家族と同居したってことにすれば?」
「……ダメ、それだけはナシ!」
ひまりの声が少しだけ強かった。すぐにごまかすように笑ってみせる。
「……いや、なんかさ、家族って言うとね、余計に変に勘繰るリスナーがいるかなって……」
けれどその笑顔の裏に、少しだけ影が差した気がした。
そこにナヅキが爆弾を投げてくる。
「……そ。だはんで、奏太くんが女の子になれば解決……」
相変わらず無茶を言う。でもその目は真剣だった。
「女の子にはなれないけど……2人で一緒に住んでるって言ってみたら? ナヅキが作ってる設定でもいいし」
ちらりとナヅキを見ると、彼女は首をふる。
「……一緒さ住んでるのはい、でもわたしが作ってるのはダメだ……そのうそは、つけね」
ひまりもうんうんと頷いていた。
「やっぱり、“かなちゃん”って子が作ってるってことにしよー♪」
「……んだ。実際女の子みだいなもんだ……」
「確かにー! うちらみたいな美女に囲まれてもちゃんと“管理人”してるから、女の子だったのかも♪」
ひまりがぐっと近づいてきたので、慌てて身を引いた。
「あ、そうだ。配信の音、ちょっとノイズ入ってなかった? 昨日の夜、聞いてて気になった」
顔が赤くなるのを隠しながら、話題を変える。
「え、マジ? 自分じゃ気づかなかった……」
「マイクの位置、ちょっと変えた? あとゲインが高めだから、オーディオインターフェースのつまみ、少し下げてみるといいかも」
自然とアドバイスが出ていた。
それを聞いて、ひまりが驚いた顔をする。
「すご……そんなのまで分かるんだ」
「いや、ちょっといじってたから、つい……」
「前って、音大のとき?」
「うん。……教えるのも、ちょっとだけやってた」
ふと、昔の記憶がよみがえる。自分が“音楽の道”にいた頃のこと。
ひまりは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、また困ったら教えてもらおっと♪ かなたん、頼りになる〜!」
ナヅキも、少し笑ってうなずいた。
「……頼られるって、悪ぐないべ?」
その声はからかうようでいて、どこか優しくて、あたたかかった。俺は少しだけ照れくさくなって、うつむいた。
「じゃあさ、かなたん」
ひまりが、テーブルに手をついて、顔をこちらに寄せる。
「次に歌枠配信する予定なんだけど……ちょっとだけ手伝ってくんない?」
思わぬ提案だった。けれど、不思議と身構える気にはならなかった。
「うん。できることなら、手伝うよ」
自然と、そう言葉が出ていた。
ずっと遠ざけていた“音楽”に、こんなふうに触れる日が来るなんて思っていなかった。
でも今は、それが苦ではなかった。
“ありがとう”って言ってもらえた、あの時みたいに、誰かのために向き合えるのなら――また違う形で、音楽と向き合えるのかもしれない。
ふと顔を上げると、ひまりとナヅキがこちらを見ていた。
ふたりとも、なんとなく安心したような、嬉しそうな顔をしていた。
その笑顔に、背中を押されたような気がした。
小さな一歩だった。
けれど、それがきっと、何かを変えていく。
なんとなく、そう思えるのは、2人のおかげかもしれない。




