表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/15

第10話 ケーキを買って思う顔は—sideナヅキ—


 改札を抜けて、大きく息を吐く。

 まだ馴染まないこの町の空気は、湿ったアスファルトのにおいと、少し甘ったるい何かを混ぜたような匂いがした。


 駅前の商店街を抜ける途中、小さなケーキ屋が目に入った。

 ガラス越しに、明るい照明に照らされた色鮮やかなケーキが、ほんの少し、現実から浮いて見えた。

 ふと、ひまりちゃんの顔が浮かんだ。


(……あの態度は、よぐなかった)


 初対面、というほどでもないけれど。

 昨日、彼女が寮に来てからも、わたしは必要以上に距離を取ってしまった。

 壁を作っていたのは、きっと、わたしのほうだ。


 ケーキ屋の閉店間際、端のほうにぽつんと残っていた3つのケーキを選んで、箱に入れてもらう。

 ケーキを盾にするなんて、と自分で笑いたくなるけれど、なんだかそれが小さな勇気になる気がした。


(わたしのほうが、避けてた……)


 ひまりちゃんは、悪い子じゃない。

 むしろ、まっすぐで、よく笑って、まぶしいくらいの子だ。

 でも、だからこそ――少し、こわかった。


 学生のとき。

 明るくて人気者の子に、訛りを真似されて。

 それが“クラス公認のいじり”に広まっていったときの、あの笑い声が、今も耳に残ってる。


 その子とは違う。


 分かってはいたけど、花守くんが笑わずに聞いてくれた、あの場所を壊したくなくてーー距離をとった。


 でも。


 手に持ったケーキの箱を見下ろす。

 これが、小さな一歩になるなら。


「……よし」


 そうつぶやいて、寮の玄関の鍵を開けた。

 ふわりと鼻をくすぐる、だしと醤油のいい香り。

 花守くんが料理をしているときの匂いだ。

 玄関でスニーカーを脱ぎながら、小さくひとりごちる。


「……ただいま」


 つぶやきに返事はなく、でも、足音が近づいてくる。


「おかえりなさい、ナヅキ先輩っ!」


 跳ねるような声とともに、ひまりちゃんが顔を出した。

 高い位置のポニーテールに、ラフな部屋着。手にはペットボトルの水。

 さっきまで配信してたんだろう。ほんのりと体温の残る雰囲気。


「……あ、ただいま」


 緊張のせいか、声が少し詰まった。

 訛りは……出てない、はず。いや、わからない。呼吸のリズムが合わない。


「今日、歌録りだったんですよね? おつかれさま〜」


「ん……ありがど。んと、ありがとう……ね」


 言い直す瞬間、自分でもわかるほど顔が熱くなった。

 ――やば。訛った。


 ふだん配信では少し気にしなくなった。でも、目の前で、リアルに聞かれるのは、別だ。

 気まずくて、視線を逸らそうとした、そのとき。


「んふふ、ナヅキ先輩って、ほんっと天然なんですね〜」


 くすっと笑う声。

 ナヅキは一瞬、目を伏せかけた。


――笑った。やっぱり……


 でもその直後、ひまりちゃんの声が続いた。


「今の、訛ったことに笑ったわけじゃないですからね!言い直さなくていいのに、って思っただけ」


 ぱち、とまばたきする。


 ……ほんとに?


「……そいでも、笑うなや……」


 小さく拗ねたように言えば、ひまりちゃんはほっぺをふくらませた。


「えー? だってさ、癒しボイスでズルいもん。ほんと、得してますってば!」


 大げさに肩をすくめるその様子に、思わず笑いそうになって、唇を結んだ。


「……うるさい」


 でも、その声は、少しやわらかかった。

 心の中の緊張が、ひとつ、ほどけていく。


「ふたりとも、風呂は後にしてごはん食べない?ちょうどできるとこ」


 食堂から、花守くんの声が聞こえた。

 エプロン姿で、湯気の立つお玉を持って現れるその姿を、つい見てしまう。


 ――似合ってる。素敵だな。


 そう思った自分に、驚いて、ほんの少しだけ眉を寄せた。


(……なに、言ってんだ、わたし)


「賛成〜! 今日は一緒に食べましょう、ナヅキ先輩」


 ひまりちゃんが笑って言う。

 ナヅキは、少しだけ考えてから、ことりとうなずいた。


「……そうだね」


 そして、手に持っていた箱を少し掲げた。


「……お土産、買ってぎだ」


 わざと強めに出したイントネーション。

 ひまりちゃんはぱっと笑って、目を輝かせた。


「やっぱり、その感じのほうがいいじゃないですか〜♪」


 そして箱を受け取りながら「ありがとうございます。冷蔵庫入れておきますね」と笑って受け取って食堂に向かって跳ねていった。


「……かなたん、今日もご飯ありがと〜!ナヅキ先輩も、買ってきてくれた〜♪」


 その嬉しそうに報告する横顔を、ふと見つめた。


 ――ひまりちゃん、もしかして……


 ほんのかすかに胸の奥がざわつく。

 わけもなく、ひまりちゃんと花守くんの距離が気になる。


 でも、それ以上は考えないまま、足を踏み出した。


 食堂までの廊下。

 一つ緊張がとけて肩が軽くなったけど、一つ気になることができて、心臓は早い。



———



 食後に合計6個になったケーキの中からじゃんけんで狩った順に好きなものを選んだ。


 まさか、ひまりちゃんもケーキを用意してるとは思わなくて、明日のおやつも出来たねと3人して笑った。


 ケーキを食べながら目を細めていたひまりちゃんがぽそっと話す。


「ナヅキ先輩、訛りが出ないように、あのしゃべり方だったんですか?」


 一瞬、心がびくってする。

 でも、もう夕食のときに訛りを出していたことを思い出す。


「……んだ。笑われるのが、おっかなぐで……」


「可愛すぎてでしょ〜♪笑うわけないですよー!」


 笑いながらも、ひまりちゃんの目はまっすぐだった。

 ばかにする気なんて、これっぽっちもない。


「てか、かなたんもさ〜、さっきからやたら先輩に話ふってたけど、うちらを気ぃつかってたでしょ〜?」


 ひまりちゃんは、まるで答え合わせをするみたいに、嬉しそうに言う。

 その距離はやっぱり朝よりも、少し近かった。

 ほんのわずかに笑顔が固まった自分に、気づかれないようわたしは目を伏せた。


「……まあね。秋月さんが訛りを気にしてるのは、なんとなく聞いてたから。ひまりに言うのは違うと思って……間に入るくらいがちょうどいいかなって」


 そう言って、どこか照れくさそうに微笑む花守くんはケーキを食べ終え、席を立つ。

 たぶん、ひまりちゃんと2人で話せる時間を作るためだ。そういう気遣いの、人だ。


「……やさしいな、ほんと」


 流しへ向かう背中が、なんだか少し遠く見えた。


「……ナヅキ」


 呼びかけるように、小さく言った。


「え?」


「わたし、ナヅキ」


 何を言ってるんだろう。自分でも、わからない。


「……秋月……ナヅキさん、だよ?」


 不思議そうにまばたきする花守くん。

 横から、ひまりちゃんが口を挟む。


「にゃはは〜、かなたん、ほんっと鈍感! もっと仲良くしてってことだよー。名前で呼ぶくらいに、ねっ」


「……ああ」


 少し考えて、花守くんはゆっくり頷いた。


「じゃあ……改めて、よろしく。ナヅキさん」


 ――さん、か。


 ほんの少しだけ、胸がちくりとした。

 でも、わたしも、“くん”だ。

 この胸にちくりと走った痛みには気づかないふりをした。

 

 今日のぶんの勇気は、きっと使い切った。

  だから、もうひとつだけ、甘えてみる。

 二つ目のケーキにフォークを入れながら、そっと深呼吸した。




この作品をほんの少しでも「面白い」「続きが読みたい」と思った方は、

リアクションや感想、ブックマーク、下にある星での評価をしていただけると嬉しいです。


よろしくお願いします!



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ